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80年代を疾走した夭折の天才”キースへリング” 落書きで世界を変えたレジェンド

2017.07.04
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80年代ニューヨークを中心にムーブメントを巻き起こすポップアートという前衛的な絵画。シルクスクリーンを多用した、云わば大量生産する事の出来る絵画。そしてビルや地下鉄の壁面をキャンバスに見立てペインティングする違法行為でもある”ストリートアート”と呼ばれる作品。所謂、絵画作品の常識を覆したポップアートはニューヨークのカルチャーとしても浸透していきます。ポップアートの重要人物であり、レジェンドでもある人物が”キースへリング”。”サブウェードローイング”と呼ばれる落書きで世界を変えたストリートアート界のパイオニア。31歳の短い人生を全力で駆け抜けた天才キースへリングに迫ります。

キースへリング(Keith Haring)とは?

ストリートアートのレジェンドでありパイオニア

”キースへリング”と言う名前を知らなくても彼の作品を目にしたことはある必ずある!そう断言できるほどキースへリングの作品は至るところで目にします。世界中で愛され続ける彼の作品は、様々な場所やitemに使われています。

日本ではユニクロのTシャツでもお馴染みのキースへリングのアート。太い線で極端にデフォルメされた人やアイコンである犬は記号やマークのようにも見えます。カラフルな色彩に力強い線で描かれた簡略化されたアート。それがキースへリングの作品の特徴です。

一見、子供の”落書き”のようにも見えるキースへリングの作品は、見る者によってイメージが異なります。デフォルメされた太い線に様々な思いを込めたキースへリングの作品。

キースへリングがこの世を去って30年近く経ちますが、彼の作品は色褪せる事はありません。毎年確実にファンを増やし続ける”落書き”をアートの域まで高めた天才に迫ります。

”ストリートアート”のパイオニアであるキースへリングは1985年にペンシルべニア州のレディングという町で生まれます。幼い頃よりアートに興味のあるクリエイティブな子供でした。

ストリートアートとは”落書き”の事、現在は”グラフティー”とも呼ばれる美術様式ですが、建物や壁に無許可で描くストリートアートは勿論、違法行為です。このストリートアートを芸術作品として、世界に認めさせたレジェンドがキースへリングです。

キースへリングの作品には、幼いころから親しんだ、ディズニーキャラクターが大きく影響していています。キースへリングは、影響を受けた人物として”ウォルトディズニー”の名前は度々上げれています。

前衛的な作品を精力的に発表し続けたキースへリングはアート界に重鎮”パブロ・ピカソ”の作品からインスピレーションを受ける事も多かったと言われています。

キースへリングはグラフィックデザインを学ぶためにアートスクールに入学するも、自身がグラフィックデザインに興味がない事が分かるとすぐに見切りを付けます。2年でアートスクールを中退したへリングは独学で自分の描きたい絵画を模索し続けます。

ペンシルべニアを離れニューヨークへ拠点を移すことによりへリングの才能が開花し始めます。
ニューヨークの”スクール・オブ・ヴィジュアルアーツ”へ入学したへリングは、ペンシルべニアとニューヨークのアートに対するマインドや捉え方の違いに驚愕します。

キースへリングがニューヨークに渡った1970年代後半は、同じペンシルベニア出身の画家”アンディ・ウォーホル”が”ポップアート”と呼ばれる全く新しい価値観の絵画を立て続けに発表、正に”時の人”となっていた時期です。

ニューヨークのアート界自体が変革期でもありました。本来の絵画制作のプロセスを根底から覆したウォーホルの”キャンベル缶”や”マリリンモンロー”のシルクスクリーン作品。

一点モノである事が芸術であり、アートであると信じて疑わなかった絵画の世界に、ステレオタイプの大量生産作品で、アート界に”中指を立てた”ウォーホルの作品を、キースへリングも間違いなく目にしています。

若きキースへリングも大都会ニューヨークで自分にしか書けない作品で勝負していく事になります。

キースへリングを一躍有名にした”サブウェードローイング”とは?

地下鉄の黒板に白のチョークで絵を描くアート表現

キースへリングの名前を一躍有名にしたアートワークこそ”サブウェードローイング”です。"サブウェードローイング”とはキースへリングが地下鉄の壁に描いたストリートアートの事です。ニューヨークの地下鉄の壁には広告を貼るスペースがあります。そして広告が貼られる前の空いたスペースには、当時は黒板が付いていました。つまりポスターは黒板の上に貼る仕組みだったようです。

キースへリングはこの空いた黒板スペースに白のチョークでストリートアートを描きました。これが”サブウェードローイング”の始まりです。勿論この行為は犯罪行為。見つかれば現行犯逮捕は免れません。その為短時間で作品を仕上げる事が絶対条件。この短時間で書きたいモノを描く作業が、キースへリングの作風を決定付けたとも言われています。

集中力と緊張感が入り混じるライブ感のある”サブウェードローイング”は見る者に”心地よいリズム感”を与えました。「黒板にチョークを滑らせる独特の描き心地は、ヤミツキになるほどの恍惚感が得られた」とキースへリングは後にインタビューで答えています。

キースへリングの恍惚感と緊張感がmixされたリズム感のあるアートが、ニューヨークの人々を夢中にしていったのは当然なのかもしれません。

サブウェードローイングから生まれたデフォルメされた”キースへリングアート”

キースへリングの独特のアートの世界。一目でキースへリングの作品と分かる極端にデフォルメされた人物やモチーフ。太い線で描かれた簡略化された世界には様々なメッセージが込められていました。

美術大学に籍を置いていた時期から始めた、アートワークである”サブウェードローイング”。キースへリングのアートの表現であり、作品の発表の場として始めた活動ですが、次第に観る側へのメッセージ性が強くなってきます。

自己満足や自己顕示欲の一つとして始めたストリートアートが作品となっていきます。そしてただの”落書き”からアート作品として人々から認められるようになりなります。

キースへリングは”サブウェードローイング”から1年足らずで、注目のアーティストとして近代アート界にその名を轟かす事となります。

キースへリングはアート界の寵児となる

企業デザインや”popshop”をオープン

80年代最も成功したアーティストでもあるキースへリング。キースの描くインパクトの強くデフォルメされたアートに大手企業が注目します。キースへリングは企業からデザインの仕事を受けます。この事でさらにキースへリングの知名度は高くなります。

商品のパッケージデザイン等の企業系デザイナーの仕事も、アートを身近な存在にと考えていたキースへリングにとっては有り難い仕事でした。

キースへリングは人気絶好機の1986年にニューヨークに”popshop(ポップショップ)”というショップをオープンします。このポップショップでは自身のアート作品の他にフィギュアやステーショナリー、Tシャツなども販売されていました。

ポップショップは触れることの出来るアート作品を目指したキースへリングの理想を形にしたショップで今の美術館にあるアートショップの”ハシリ”でもありました。

キースへリングが”popshop"をオープンさせたワケとは?

”崇高なモノだけがアート作品ではない”キースへリングのアートに対する考え方です。これはポップアートの先駆者であるアンディ・ウォーホルや”戦友と”も呼べるバスキアとも同じマインドです。

ポップショップのオープンは、膨大な時間を掛けた油絵が絵画の頂点であり、それ以外は”2流作品”として捉えられていた、古臭いアート界へのアンチテーゼンの意味もありました。

時代の寵児となったキースへリングのオープンさせたショップとは言え、80年代は今ほどポップアートの価値も高くない時代です。アート界からは非難の方が圧倒的に大きかったと言われています。

しかし、流行に敏感なファッショニスタや若きアーティストの間ではポップショップは話題の”トレンドスポット”となっていきます。ポップショップの成功にはウォーホルのバックアップも大きかったと言われています。

ポップショップで販売されていたitemは殆どが安価なモノばかり。”莫大な資金がある人間しかアート作品を所有できない時代はもう古い!”。ポップショップをオープンしたキースへリングの思いはそこにあったように思います。

キースへリングにとって世界中がカンバス

壁や人体もキースへリングにとってはカンバス

”サブウェードローイング”からアーティストとしての礎を気づいたキースへリングは、カンバスに向かって作品を制作するよりも壁や建物に絵を描く事を好んだアーティストです。

気球や今は無き”ベルリンの壁”にも作品を描いた事でも話題となりました。そしてキースへリングの作品は永遠に残るモノだけではありません。

キースへリングはモデルの身体にも作品を描くアートワークも行っています。永遠に残らない作品もアート。そして買う事が出来ないアートがあってもいい。公共施設や人体をキャンバスに見立てた、キースへリングアートワークは後のアーティストにも大きな影響を与える事になります。

キースへリングと社会的活動

生涯力を入れたパブリックアート

キースへリングは社会活動にも進んで参加したアーティストです。パブリックアートとして学校や病院など多くの人の目に触れる場所に作品を残しています。孤児院や小児病院や保育園にも多くの作品を残した事でも有名です。

晩年にはエイズ撲滅キャンペーンにも積極的に参加。自身がHIV感染していた彼だからこそできる説得力のあるメッセージを発信し続けました。

キースへリングの最期

エイズにより死去

キースへリングは人気絶頂期の1988年にエイズに感染しているを告げられます。同性愛者であったキースへリングは自身がエイズに感染したことを機に、エイズ撲滅キャンペーンに積極的に参加します。

そして描く作品もエイズ撲滅のメッセージが強い作品が目立つようになります。キースへリング自身、同性愛者である事への強い不安感を抱え、社会から阻害される恐怖に怯えていました。

キースへリングの作品には、同性愛者が社会から疎外される事なく暮らしていける、偏見のない社会を強く願うメッセージも込められています。

エイズ感染が告知された2年後の1990年、エイズ関連の病気を発症。31歳の若さでこの世を去ります。晩年、キースへリングは様々な財団に多額の寄付を行っています。

中でもエイズ啓発運動として最も有名な”アクト・アゲインスト・エイズ(act against aids)
"の最初のポスターを手掛けたアーティストとしても有名です。

キースへリングの最後の作品

聖アントニオ教会の壁画

キースへリングの最後のパブリックアートはイタリアのピサにあります。1989年の6月に”聖アントニオ教会”の壁に描かれた鮮やかなアートは平和を表現した作品とも言われています。

色合いはピサの街に溶け込みやすいように少しスモーキーな色彩。ピサの市民が彩色には参加したとの事です。この大作を約1週間で手掛けたそうです。

死後もキースへリングの作品の人気と価値は高まるばかり

20代の全てをアートに捧げた夭折の天才

彗星の如くアート界に現れポップアート界を疾走したキースへリング。キースへリングはアートをもっとカジュアルにそして、生活の一部にと考えた人物です。

キースへリングの作品はポスターとしても人気が高く、リビングやオフィスにカラフルな作品を飾るセレブも多い。そしてもっと、キースへリングの作品を身近に感じることの出来る、食器やステーショナリーアイテムも数多く展開しています。

30年以上前にキースへリングの考えた”アートのあり方”が今実現されているようにも感じます。

ポップショップでもキースへリングの作品であるシルクスクリーンが販売されていまいした。当時は1枚1万円未満で販売されていた作品ですが、今では大体200万程の価格帯。かなりの大幅な値上がりですが、ウォーホルやバスキアに比べればまだ手の届きやすい価格帯です。

さらに高額になる前にセレブの皆さん。キースへリングの作品を入手されてはいかがでしょうか?時代を作った夭折した天才の作品には魂が震えます。

INTRODUCTION of THE WRITER

hansu719
name. hansu719
ショップバイヤー、スタイリストを経てフリーライター兼シンガーソングライターが生業です。ハイブランドからストリートstyleまでラグジュアリーな香りのするstyleが好みです。

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