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芸術家、ミケランジェロと祭壇画「最後の審判」に潜む物語

ルネサンスの巨匠と呼ばれるミケランジェロは、晩年も意欲的に活動し、ルネサンス全盛のころとは違う手法マニエリスムの様式を取り入れました。ここでは、ミケランジェロの代表作「最後の審判」とマニエリスムについてご紹介いたします。どうぞご覧ください。

巨匠ミケランジェロの代表作「最後の審判」

ローマのシスティーナ礼拝堂の天井画「創世記」と祭壇画「最後の審判」は、ルネサンス期の巨匠ミケランジェロの代表作として知られています。天井画「創世記」を描いた20数年後、教皇クレメンス7世に制作を命じられ、1535年から1541年にかけて制作されました。当時ミケランジェロは、60歳から66歳でしたが、退くことなく第一線で活躍していました。天井画「創世記」で得た名声や絵画の手法を惜しげもなく捨てたミケランジェロのマニエリスムをご紹介します。

「最後の審判」をマニエリスムで描く

システィーナ礼拝堂の内部に描かれた天井画「創世記」と祭壇画「最後の審判」ですが、同じルネサンス期に描かれた作品でありながら描く手法が異なっています。「創世記」はちょうどルネサンス全盛ですが、ミケランジェロの晩年に制作した「最後の審判」になると、人体を引き延ばしたように描くマニエリスムを取り入れています。上の画像のキリストは「創世記」のころとは違い、人体を引き伸ばされて描かれているのが分かります。

本来ならばもう少し細身で描かれるはずのキリストを、引き伸ばして描くことで圧倒的な存在感が出ています。キリストが再臨し人々を裁くシーンだからこそ、あえてそのように描いたのかもしれません。解剖学をもとにした正確な肉体描写ではなくなり、人体などを不自然に描くことでドラマ性などを表現する、天井画を進化させた描き方へと移り変わっていきます。「創世記」を描いてから20数年の間には宗教改革やローマ略奪という情勢不安もあり、それは芸術の分野にも影響を及ぼしました。

マニエリスムとは?

上の画像はマニエリスムの代表的な画家であるパルミジャニーノの作品です。16世紀中ごろから末期にかけてみられる後期イタリア・ルネサンスの美術様式で、ヨーロッパの宮廷を中心に栄えました。調和のとれたヒューマニズムのルネサンス期と、躍動感のあるダイナミックなバロック美術の中間にあたり、どちらにも当てはまらないのがマニエリスムだと言われています。解剖学に基づいた忠実な表現美ではなく、絵画の技法で人工的な美を作り出し、体の一部の曲がりくねりや引き延ばし、遠近法を無視した奥行きのない平面などがマニエリスムの絵画には見られます。

人間性の自由と解放を求めたルネサンス

中世ヨーロッパでは、「人間は罪深く、神は絶対」というローマ教皇の思想が人々を支配していました。封建社会という中世の暗黒時代に風穴を開け、神ではなく人間を尊重する動きがルネサンスと言われています。神様中心の世界観から人間に焦点を当て、罪深き人間ではなく人間性の自由と解放を求めました。ミケランジェロの天井画「創世記」がちょうどルネサンス全盛の代表作になります。聖書に登場する神々もアダムとイヴのように人間らしい肉体を持ち、生き生きとした力強いタッチで描いています。

物議を醸しだした全裸の描写

祭壇画「最後の審判」は、キリストも聖母マリアも裸体で描かれていたと言われていますが、裸体は不道徳とされ、壁面から除去するという案もあったそうです。儀典長から全裸の描写について強く非難されたため、地獄で人々を裁くミノス王の顔を儀典長に似せて描きました。蛇が身体に巻き付いている人物がミノス王です。自分の芸術を理解していないというミケランジェロの仕返しだったという説もあり、ミケランジェロの人柄がうかがえるエピソードです。

儀典長はさすがにたまらずパウルス3世に抗議したそうですが、「地獄のことは私には請け負いかねる」と冗談交じりに受け流されたと言われています。ミケランジェロの死後、ミケランジェロのもとで学んだ画家たちによって腰布が加筆されましたが、現在では修復作業などで一部だけが元の姿に戻されています。

ダンテの「神曲」からイメージした地獄の風景

イタリアの詩人でもあり政治家でもあったダンテの「神曲」は、15~16世紀にかけて活字の印刷をされるようになります。ミケランジェロは「最後の審判」の右下部分にある地獄の風景を、ダンテの「神曲」をもとにイメージして描いたそうです。ダンテの作品は富も名誉も関係なく、生前の行いによって善悪を裁かれる内容になっています。ミノス王の顔を批判的だった儀典長に似せて描いたミケランジェロも、同じ思いで地獄の風景を描いていたのかもしれません。

反骨精神で描いた名作「最後の審判」

ミケランジェロの晩年に取り入れたマニエリスムは、絵画に寓意性が見られるようになりました。時の権力者に直接訴えることができなくても、芸術でほのめかすこともできますが、それには強い精神性も必要とされたようです。教皇の祈りの場に裸体の群像を描いたため、わいせつ画家と批判的に呼ばれたこともあるミケランジェロ。富や名誉を惜しげもなく捨て去る反骨精神があったからこそ、後世に残る名作が描けたのかもしれません。

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