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能鑑賞:「屋島」を見る

能鑑賞といえば、少なからず高尚で難解なイメージがあろう。だが、その身体性やセリフ・ストーリーの象徴性に注目できれば、無限のイマジネーションを喚起される非常にダイナミックな芸術表現であることが納得できる。筆者の初鑑賞における発見と感動を、玄人の指摘を恐れずに自由に書き留めたエッセイ。

ちょっと敷居は高いけど…

 先日、市の文化ホールで初めて能(のう)を鑑賞した。演目は能「屋島(やしま)」、狂言「清水(しみず)」、能「紅葉狩(もみじがり)」という組み合わせ(これを“番組”というのだそうだ)。
 僕の住む信州上田では十数年来「上田城跡(じょうせき)能」という催しを秋に開いている。予備校で大学受験生に古典も教えている身としては、日本が世界に誇る古典芸能である能は是非一度鑑賞したかったのだが、主にフトコロの問題でその機会を得られずにいた。今回ひょんなことからその機会を得られたのは、長男が通っている剣道の道場で仕舞を学んでいる先生がおられ、その先生が「今度の土曜日は通常の稽古は無し。そのかわり5・6年生は能鑑賞をすること。これをもって稽古出席と見なす」という、なんとも豪快かつ粋な計らいをして下さった事による。とはいえ、鑑賞するのは何しろ“能”である。僕も含めて多くの人々にとっては極めて奥深く高尚、つまり難解なものというイメージがあろう。また、非常にスローペースな所作で展開される芸能であるので、観客の多くが睡魔に襲われるという話もよく耳にする。そうした芸能を、まさか小学生が数時間にわたっておとなしく鑑賞できるわけがないので、周りの観客に迷惑を掛けないためにも大人の付き添いは是非とも必要となるが、たまたま道場の先生方の都合がつかない。では保護者から二名の付き添い要員を出すように、というお達し。この機を逃してなるものかと諸手を挙げたのが僕。そこにちゃっかり乗っかったのが妻、という塩梅(あんばい)。
 当日、能鑑賞に関する講座が午前中にあったのだが、僕は残念ながら仕事が入ってしまい、聴くことが出来なかった。能という、いかにも厄介そうなものを相手にするなら、しかも本来であればそこそこの出費も覚悟しなければならない“ハイソ”な芸術を鑑賞するなら、「要するに、何が何だか分からなかった」などという不毛な結論を導かないためにも、ある程度の準備はしてしかるべきであろう。しかし、こういう時に限って余計な雑事に振り回されるものだ。若者に古典文学を教える身として当たり前にしておくべき事前学習は、恥ずかしながら出来なかった。結局僕は、午後からの舞台をほぼ事前知識なしでぶっつけ本番で鑑賞することとなってしまったのである。
 チケットに示されていたのは、舞台に向かって前方右方の結構いい席。長男を含めた剣道少年少女たちはすでに午前中の講座を聞き終え、軽い昼食を摂ったところ。そ奴らが僕の前の席でふざけっこしたり、「ねえ、この後何時間あるの?」などといかにも退屈そうな様子を見せている。隣の席の妻に「午前中の講座、どうだった?」と訊ねると、「う~ん、…よく分からなかったんだよね」という何とも残念な答え。「キミ、一応美大で四年間芸術を学んでたんだよね、確か」と皮肉の一つも言ってやろうかと思ったが、逆に言えば、能とはまさにそういうものなのかもしれない。だとするとそうとう手ごわい相手ということか。
 開演5分前のブザーが鳴ってもガキんちょ共が静まらないので「てめェら、うるさくするんじゃねえぞ。退屈なら寝てろ。俺の邪魔しやがったら後ろから拳骨飛ばすからそう思え」と一喝すると、それなりに大人しくなった。“変テコな人だが、怒らすとおっかないお父さん”という僕のポジションが、こういう時に役立つ。と、隣の妻が何やらバッグをごそごそやっている。取り出したるは「フリスク」。“うん?”という目で見ていたら、結構真面目な顔でつぶやいた。「今日の目標、寝ない事」
何だよ、それ。
 僕の能初鑑賞は、こうした“退屈・睡魔との大いなる戦い”を予感させる不安の中で始まった。

能的身体:“止”の威力

 が、全く退屈しなかった。もちろん眠くなるべくもない。「紅葉狩」にもシビレたが、「屋島」が殊に凄かった。素晴らしすぎる。退屈どころの騒ぎではない。
 「…こりゃあ、戦いだな」
 事前知識なしで初めて能を鑑賞する僕が最初に持った印象がこれだ。戦いの相手とはもちろん退屈や睡魔ではない。能鑑賞に演者と観客の戦いを感じ取ったのである。能に造詣の深い人ならそうではないのだろうが、僕のようなビギナーにとっては、例えて言うなら“マジカル・アイ”(一見ただの模様だが、目の焦点を変えることで文字や図柄が浮き出て見える絵)を集中して見るようなものだ。漫然と見ていたら決して分からないが、集中して目を凝らすことで「それ」が見えてくる。そして見えた時の感動が圧倒的なのだ。逆に言えば、“見える”ためには極度の集中が要求される。能鑑賞における“戦い”の観客側の消息がこの「極度の集中」と見た。
 演者側の“戦い”は、ある世界を表現するために、逆説的に「動き」を極度に抑制する必要がある点だろう。能の演者の動きは全般的に非常に緩慢であり、時として長時間にわたって微動だにしないことも珍しくない。激しい動きを見せることは逆に極めて限定的である。しかし、その緩慢な所作や停止が、実は激しく動くことよりもはるかにテクニカルな身体の在り方である点は見逃すわけにはいかない。これは例えば古武道の経験者でなければ視覚的に理解するのがやや困難だろうか。僕は小・中学生時代に剣道を、社会人になってから居合道を修行しているため、この点に関しては初鑑賞でも感じ取ることが出来た。
 演者は舞台上を移動するとき、腰の上下動を全く見せず、滑るように歩を運ぶ。これは古武道における基本的な身体所作と同じである。具体的に言えば、ヘソ下のいわゆる「臍下丹田」に体の重心を集中させ、腰を浅く落として膝裏に余裕を持たせ(つまり膝は伸ばさない)、下半身は緊張を持たせてある程度固めるが、上半身、特に肩回りは力を抜いて柔軟性を保つということだ。そしてこの身体を維持するためには、臍下丹田への意識の集中と腹式呼吸の持続が不可欠である。激しい動きの中ではこの二つは必ずしも不可欠の要素とはならないが、停止状態や、躍動を極度に抑制した緩慢な所作の中では、臍下丹田への意識の集中と腹式呼吸の持続は一瞬たりとも解除することが出来ない。能においては、激しい動きよりも、停止状態の身体でこそより高度な熟練が要求されている。平たく言えば、動いているより止まっている方が余程難しいという事だ。僕が修行している居合道で例えるなら、能における停止状態は、鞘から刀を抜き出すと同時に敵に斬りつける初太刀の姿勢を固定するようなものだろう。この姿を長時間維持するのは並大抵のことではない。単なる体力・筋力の問題ではなく、的確な重心の固定と腹式呼吸の維持がほとんど無意識に出来る領域にまで修行が深まっている必要がある。素振り・素(す)抜(ぬ)きを百本やる方が余程簡単なのだ。古武道的な身体性においては、動作の抑制にはことほど左様に高度な技術が要求されるのである。
 ではなぜ能では、見た目の躍動感を犠牲にしてまで技術的にはるかに困難な身体の固定を頻用するのか。それは恐らく、この“動作の極度の抑制”がなければ観客側に「極度の集中」を要求できないからだろう。
 例えば僕のように、能に関する基礎知識は無いが、その身体性についてはある程度の理解が可能な者がこの“動作の極度の抑制”を目にすれば、どうしてもその矛盾について考えざるを得なくなる。能とは演劇の一形態なのだから、それが描く世界を鑑賞者により伝わるように表現しようとするはずである。ところが、能の所作は西洋演劇に見られるのとは反対に、敢えて動きを抑制する逆のベクトルを持っている。これが演者の体力を温存するといった省エネ的発想で行われているのならまだ分かる。が、何度も述べたように、この抑制は躍動よりもはるかに負荷のかかるものなのである。なぜ非常に困難かつ高度な身体技法を用いてまで、見た目の表現の幅を極限まで縮小しようとするのか。この問いについて考えざるを得なくなってしまうのだ。
 もちろん、答えなど分かり切っている。能とは数百年の歴史をもつ古典芸能なのだから、この矛盾が意味もなく行われるはずがない。その身体技法と動作の抑制に依(よ)らなければ表現できない何かがあるのだ。ではそうした営みによって表現しようとしているものとは何なのか。これを読み解こうとすれば、鑑賞にあたって極度の集中が必然的に要求されることになる。演者のごくわずかな動きや所作の変化から、一瞬たりとも目を離せなくなってしまうのだ。

無限・夢幻への扉

 そのように、演者の身体表情の揺らぎや重心の移動に渾身の注意を払って鑑賞しているうちに、僕はふと能の中に、茶道と共通のコンテクストがあるのではないかということに思い至った。
 茶道にも、不要な動作を全てそぎ落とし、所作をこれ以上はないという位にまでシンプルにするという洗練の方向性がある。茶道の眼目とはつまるところ、相手への最上のホスピタリティを表現することにあると僕はとらえているが、このホスピタリティ提供の向上・深化は、ホスト側の動作の多様化ではなく、逆に所作の単純化によって実現される。所作をとことんまで絞り込むことによって、相手に自分の真心をより深く伝えるのである。表現対象の拡大・深化が表現手段の単純化によって実現されるという逆説の消息は、茶室の在り方に最もよく表れているかもしれない。今日、文化財として残っているような有名な茶室は、極めて狭い。人間の日常動作にはほとんど対応できない狭さである。ではその中で営まれる茶事に携わる人間が、その狭さを狭さそのものとして求めていたのかというとそうではない。むしろ空間の極端な限定によって、無限の時空の広がりを感じ取っていたのだ。その極端な狭さは、イマジネーションやインスピレーションによって無限の宇宙的広がりを感得させるために不可欠の装置なのである。
 こうした文脈は、逆に広い空間で茶事を行う事を想像すれば理解がしやすいだろう。例えば、学校の体育館の真中で茶席を設ける光景を想像してほしい。このシチュエーションで、無限の空間的広がりを感ずることが出来るだろうか。出来まい。具体的な広さがあるところでは、その広がりの実感は現実的な区切り(体育館の壁など)で止まってしまう。広いことは確かに広いのだから、敢えて広さを想像したり感じ取ったりするイマジネーションやインスピレーションが働かないのだ。そもそも“無限の時空”、という概念が極めて形而上的なものなのだから、具体的な広がりは形而上的観念への飛躍を封殺してしまう。そうした感性を働かせるには、逆に現実的な広がりという要素を意図的に排除する仕掛けが必要となるのだ。
 もしこうした文脈が能の中にも流れているのだとしたら、演者の所作は、その所作そのものとして鑑賞するものではないということになる。その極度に抑制されたモーションを、無限の躍動を感じ取るための手掛かり、こちらのイマジネーション・インスピレーションを発動させるための仕掛けとして受け止める必要がある。そしてそのようにして極めて能動的な鑑賞へと意識を切り替えてみると、確かに見えてくるものがある。これは「屋島」よりも「紅葉狩」でより顕著に感じ取ることができた。上臈(じょうろう)たちの、前方にゆるゆると差し出された手の向こうに伸びやかで躍動的な舞が、空間的に限定された舞台の向こうに信濃(しなの)戸隠(とがくし)の紅を基調とした秋の眺望が、わずかずつではあるが確かな広がりとして感じられてくるのである。そしてその無限といい夢幻の時空が垣間見えた時の感動というのはなまなかなものではない。その圧倒的なスケールの大きさと深さは到底マジカル・アイどころの比ではなかった。

ZEAMI・コードの真骨頂

 さて、「屋島」。
 今回の公演で有難かったのは、チケット購入者に事前に渡されていたパンフレットに、演目のストーリーの概要と、演者たちのセリフが記載されていた事だ。もちろん、このパンフレットに僕は事前に目を通せなかったわけだが、演者たちのセリフが演目の進行と同時並行で確認できるのは、ストーリーを理解する上で非常に役立った。セリフは古語で書かれているとはいえ(さすがに現代語訳は付いていなかった)、日頃から古典に携わっている僕が理解するのはさほど難しくない。しかし、もしこれを演者たちの音声のみで、つまり聴覚的情報のみで理解しようとしたら相当な困難が伴ったはずである。主人公の“シテ”は多くの場合面をつけるので、必ずしもセリフを明瞭に聞き取れるとは限らない。また地謡(じうたい)の謡いには無論のこと抑揚や節回しがついているから、古文単語を一つ一つ確認するのは相当難しい。というより、ほとんど不可能だろう。そうした意味でも、パンフレットの存在は有難いものだった。
 そのパンフレットによれば、「屋島」のストーリー概要は以下の通り。

 ――都の僧が、讃岐(さぬき)国屋島の浦(現・香川県高松市)で立ち寄った小屋の主の漁翁と若い漁夫は、僧に求められるまま屋島の戦いを語る。漁翁が九郎(くろう)判官(ほうがん)義経(よしつね)の名将ぶり、悪七兵衛景(あくしちびょうえかげ)清(きよ)の錣(しころ)引き、能登(のとの)守(かみ)教(のり)経(つね)に討ち取られた義経の家臣佐藤(さとう)継(つぐ)信(のぶ)の最期、と次々と語って聞かせる為、僧が怪しむと、漁翁は義経の霊だとほのめかして姿を消す。
〈中入〉
 僧がまどろんでいると、義経の霊が甲冑姿で現れる。そして屋島の戦いの際、波に流された自身の弓を敵に取らせまいと、勇敢にも取りに行った様を現す。さらに義経は、修羅道において未だに能登守教経と争っている様を示した後、夜明けとともに消え失せる――

 こうしてみると短く簡潔なストーリーにも思えてしまうが、実際の演目は、僕の記憶が確かなら中入前後で一時間半くらいの長さがあったと思う(相当集中して観ていたので日常の時間感覚が失われていた)。しかし、じっくりとした重厚なセリフ回しや情景の表現が重層的に展開されるため、そこに集中さえ出来れば冗長な印象は決して受けなかった。
 前半の鑑賞ポイントは、都からやって来た僧たちが主に語る屋島の浦の情景と、漁翁が語る屋島の合戦の情景描写との鮮やかなコントラストだろう。
 僧たちが語る屋島の浦は、晴れ渡った海上に月が煌々と懸(かか)り、その光をさざ波がきらきらと照り返す静寂な海浜の夜景である。その浜にひっそりと立つ粗末な塩屋。塩屋とは塩釜で海水を煮詰めて塩を採る小屋であるが、漁師小屋でないという設定は気に留めるべきかもしれない。塩屋が実際にどのようなものか僕は知らないが、漁網その他の漁具が数多く置いてあるであろう漁師小屋よりは、その中にあるものの数や設備は簡素である事が想像されよう。この簡素さ、簡浄なイメージが、このあと漁翁によって語られる屋島の合戦の勇壮できらびやかな様を一層引き立てる仕込みとなっている。またこの仕込みは、僧一行が若い漁夫と漁翁に一夜の宿を乞うにあたり、「余りに粗末で見苦しいので」と二人が否もうとするセリフを一度ならず重ねることで、より一層手厚いものとなる。
 都から訪れた僧のたっての願いを無下にも出来ず、漁翁と漁夫は僧たちを招き入れ、さらにこの地に伝わる源平の合戦譚を乞われるままに語って聞かせる。この時漁翁は、僧一行に一夜の宿を否もうとした時の慎ましさとは打って変わった活気ある語り口を見せる。
 まず述べるのは海の平家と陸の源氏の陣立て。次いで義経の大将にふさわしい出立(いでたち)と振る舞いを事細かに物語る。そして歌舞伎・日本舞踊でも有名な錣(しころ)引(び)き。源氏方の三保の谷の四郎(一般には美(み)尾谷(おのや)十郎国俊)と平家方の悪十兵衛景清(悪七兵衛景清)の死闘の最中(さなか)、四郎の太刀が折れ、やむなく退かんとする四郎を逃さじと、景清が敵の兜の錣(頭頂を保護する伏せ椀型の“鉢”の下部周囲に取り付けた、後頭部を保護するための蛇腹状の部分)をとらえる。かたや逃れんと前へ引き、こなた逃さじと後ろへ引く。両兵とも音に聞こえた大力の猛者であれば、ついに錣は鉢から引きちぎられてしまう。その様を見事と歎じた九郎(くろう)判官(ほうがん)義経(よしつね)、騎馬にて汀(みぎわ)に打ち寄せたところを、この機とばかりに能登(のとの)守(かみ)教(のり)経(つね)の一矢が襲う。主君の危機を瞬時に悟った忠臣佐藤(さとう)継(つぐ)信(のぶ)、もはや他の手立て及ばずと主君の馬前へ馳せ寄せ、教経が必殺の一矢をわが身に受けるや、馬からどうと身を落として息絶える。一方、教経の兄・菊王(菊王丸)は、命なるかな、逆に継信の弟忠信(ただのぶ)の矢に貫かれて果てる。
 漁翁はこの合戦の有様を、腰掛けたまま微動だにせず語る。能舞台はこの時、あくまで粗末な塩屋の中として設定されているため、屋島の合戦のドラマは完全に鑑賞者のイマジネーションに委ねられるわけだが、この事が却(かえ)って語られる内容のスケールや奥行を制約の無いものとしている。義経の合戦といえば、他に一の谷、壇ノ浦があるが、この漁翁の語りを聞いていると、屋島における有名な那須与一(なすのよいち)のエピソードを欠いていながらも、英雄義経の生命が最も高揚し、沸騰した瞬間がこの屋島にあった事が、何か動かしがたいものとして感じられて来るのである。
 そうした漁翁の語りがあまりに真に迫っている事に僧が驚き、漁翁の名を訊ねるが、漁翁はこれを拒む。そして夢の中で義経の姿を見るならばその夢を覚まし給うな、と言い残して姿を消す。
 中入り(休憩)後、塩屋の本来の持ち主である浦人と僧の語りが入る。浦人はこの塩屋は間違いなく自分のものであり、漁翁とその連れの若い漁夫には心当たりがないと僧に告げる。このことで、僧は最前の漁翁がこの世ならぬ異界の者、すなわち亡霊の類であったことを確信する。僧は続けて浦人にも屋島の合戦譚を求めるが、浦人の語る内容は大筋においては漁翁と同様であるものの、細かな部分やリアリティにおいては漁翁の物語の方が明らかに重厚である。この相違によって、鑑賞者は前段の漁翁が義経本人の亡霊であるとの印象をより確かなものとし、この後の展開に自然に入っていけるようになる。
 さて僧がまどろんでいると、そこに義経の幽霊が屋島の合戦における出立(いでたち)で現れ、はっきりと名乗りを上げる。ここで僧と義経の掛け合いが始まるのであるが、これが真(まこと)に精妙である。一方が僧侶であることから、仏教的な世界観をベースにした応酬が展開されるのであるが、例えば僧は義経に対し、妄執によって成仏できずに修羅の世界から迷い来た者として相手を位置づける。この時、修羅道(生前、戦闘を事とした者が陥る地獄。永劫の戦いを強いられる)に対置する形で迷いを去った悟りの境地に言及するのであるが、この悟りの世界を僧は屋島の夜景、明るく隈無き月や、その光を映す海に例えていることを見逃してはならない。これに対し義経は、いかにも自分は迷い・妄執に満ちた修羅の巷(ちまた)からやって来たと答えるが、弓箭(ゆみや)の道に迷いはない、という印象的なフレーズも述べるのである。ここでふと思い出されるのは、前段で漁翁が登場したのが「塩屋」であった事だ。塩とは、現代でも“お浄め”に用いられる、清浄な位置づけを与えられたものである。ここを考え合わせるのであれば、この義経の亡霊は確かに異形の者ではあるが、邪悪な物の怪の類としての属性は付されていない、ということに気付くべきであろう。むしろ、「弓箭の道に迷いはない」というセリフと併せ、ある種の清浄さ、聖性に近いコンテクストを背負っていると見るべきである。
 ここから武者姿の義経の亡霊は、前段とは対照的な躍動を見せる。場面は彼(か)の「弓流し」。義経が馬を汀(みぎわ)に乗り入れ、舟上の平家方と矢戦(やいくさ)を交わしている最中、手にした弓を思わず取り落してしまう。これを見た敵方、舟を寄せ熊手を差し伸べて源氏の大将の弓を奪おうとする。義経、そうはさせじと熊手を太刀で切り払い、命を危険にさらしつつ辛うじて弓を取り返し、渚に取って返す。そして弓をとり戻した次第を語る。「自分の弓が敵方に渡れば、源氏の大将である自分が小兵であることを敵に侮られよう。末代までの恥である。佳名を後の世に伝えるためには、身を捨てても弓をとり戻さずにはおられぬ」というのがその概略。これを聞いた十郎権頭(じゅうろうごんのかみ)兼房(かねふさ)はじめ家臣たちが感涙に咽(むせ)ぶ。
 余談だが、「平家物語」ではこの下りの趣が若干異なる。義経が身の危険を顧みずに弓を取り戻したのは、その弓が弱いものだったからとしている。弓を取り戻した義経に対し、家来たちが「敵に呉れてやるのが惜しいほど高価な弓ならばいざ知らず、さほどとも思われぬ弓を命を懸けてまで取り戻したのはどういう訳か。御大将の身に何かあれば全軍が崩壊するではないか」と詰め寄る。これに義経が答える。「もしこの弓が為朝(ためとも)公が用いた程の強弓であれば、こちらから投げてでも敵に呉れてやろう。だが非力な自分の弱い弓が平家方に渡れば、“源氏の大将はこの程度の武者か”と侮る事は必定。末代までの恥である。武門の恥と我が一命と、いずれか重き」
 言うまでもなく、能「屋島」で義経が弓の奪還に命を懸けた理由を“小兵”としたのは、義経の英雄性を一貫させるためだろう。確かに、“修羅”が非力であるというのは、イメージとしていかにも都合が悪い。
 義経の亡霊は、この弓流しの場面を最大限の身体的躍動をもって再現して見せる。この事で、後世に伝わるエピソードが特に多い屋島の合戦の中でも、この弓流しの逸話こそが義経本人にとって武人の面目が最も躍如した瞬間であったのだと、鑑賞者に強く刻印される。
そしてストーリーは最も印象的な終局に移る。夜が白み始め、義経の亡霊はふたたび修羅の世界に戻る刻限となる。この時、亡霊義経の耳が修羅道の鬨(とき)の声を聞く。「今日の修羅の敵は誰か。なに、能登守教経か。敵にとって不足なし、手並みはよく知っている。思い出すぞ、壇ノ浦を」
そして元の世界に勇躍戻っていくのであるが、この時、修羅どもの剣光が月光に、兜の輝きが漣(さざなみ)の照り返しに、鬨の声が松を吹き渡る浦風に重ねられる。思い返すべきであろう。中入後の冒頭で、僧が悟りの境地を月の光やさざ波のきらめきに重ねて語っていた事を。ここに至って、屋島の浦の情景は、悟りと修羅の両界を等しく映すものとなっているのだ。鑑賞者は眩惑させられざるを得ない。眼前の光景は悟りであるか修羅であるか。修羅義経は地獄の業苦に喘いでいるのか、むしろ永劫の戦いに酔っているのか。
 清浄な塩に関わる塩屋の主として姿を現した事、妄執の巷である修羅道にありながら“弓箭の道に迷いはない”との述懐を述べた事。修羅義経とは、何者であったのか。
ふと思い至る。「屋島」で描かれる修羅道は、北欧神話で語られる“ヴァルハラ”の概念と極めてよく似ている。
 “ヴァルハラ”とは、北欧神話の主神・オーディンが主催する、戦士達の理想郷である。来たるべき最終戦争“ラグナロク”に備え、オーディンは特に勇敢な戦士をその死後ヴァルハラに迎え、戦士たちはここで戦いに明け暮れる。ヴァルハラでは何度敵に倒されても何度でも復活する。戦いは永遠に繰り広げられる。ヴァルハラに迎えられた戦士は“エインヘリヤル”と呼ばれるが、この称号は戦士たちにとって至高の名誉である。そしてこのヴァルハラは修羅道のごとき地獄ではない。死に赴く戦士たちが憧れて止まぬ、ユートピアそのものだ。
 義経の修羅とは、まさしくエインヘリヤルではないか。

“感動”なんてもんじゃない!

 ここに至っては、もはや迷いも悟りも無い。修羅も天も無い。残るのは、武人義経が見せた戦いへのきらめくような意思のみである。
 畢竟(ひっきょう)義経とは、死を賭して己が弓を取る、透き通った可憐さそのものだ。可憐な矜持(きょうじ)そのものだ。
 なんという美しさであろう!
 なんという厳かさであろう!

 僕は夢想する。
 もし自分が中世日本の武人であり、明日に死を賭した戦が予定された中で、この「屋島」の演目を観たのなら。
 生死はもはや我が事にあらず。貫くべきは我が武人の面目のみ。たとえ死すとも、その戦場(いくさば)を照らす月影、吹き渡る松籟(しょうらい)に永劫の修羅を留めん。
 かかる覚悟を持って夜明けを迎えることが出来ただろう。
 世阿弥がこの演目を創出した当時の、セリフを現代語として聞き取る事の出来た武士たちが受けた感動は、無論のこと僕が感じ取ったものの比ではあるまい。

 揚幕(あげまく)の奥に去る一座の背を見送って、ふと我に返る。潮騒のような拍手の波に、我が手が合わさる。“ブラボー!”“ワンダフォー!”“すげえ!”“ビューティフォー!”“ハラショー!”口を衝いて出るのはそんな言葉ばかりだ。そうした僕を見て、隣の妻がいぶかしげに言う。
 「あの話の、何が良かったワケ?」
 「“何が”って、決まってんだろ。全部だよ!」
 目の前では、ガキんちょ共がぐったりしつつも、背後の僕に気を遣っていかにも取って付けたように手を叩いている。
 「ほんとに分かったの?」
 「玄人(くろうと)と同じ解釈が出来てるかどうかは分からん。でも、俺なりの解釈は出来た。すげぇよ、これ。宮崎アニメが可愛く見えらぁ」
 「……やっぱアンタ、変だわ」
 「何が“変”だ。ちゃんと観てりゃ分かるわい!」
 「なんで“ちゃんと”観れんのよ。そもそもそこが変」
 ………何だとォ!?―――

 読者諸氏も、一度能鑑賞に足を運んでみてはいかがだろうか。上記内容はあくまでも一ビギナーの受け止め方に過ぎない。玄人衆から「それは違う!」と指摘を受ける部分も当然あるだろう。また、読者諸氏独自の見解や、僕ごときよりもずっと深い理解や解釈に至ることも少なくあるまい。この文章が、諸氏にとっての、能鑑賞に足を運ぶきっかけになれば幸甚である。

INTRODUCTION of THE WRITER

山家衛艮
name. 山家衛艮
長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、国語科予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段(夢想神伝流)。これまで小説・エッセイ等で16のコンテストで受賞経験あり。2016年、信州真田郷:「延喜式内 山家神社」の衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「夢を叶える145」にも記事を掲載中。右利き。

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