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日本の自動車メーカー ”童夢” の幻のスポーツカー ”零”

童夢という自動車メーカーをご存知でしょうか?マシンの製作やレースへの参戦などを行っているメーカーで、日本を代表するコンストラクターの一つです。そんな童夢が市販を目指して開発を進めていたマシンが”零”です。

童夢・零

童夢・零とは?

童夢・零(ドウム・ゼロ)は、日本の自動車メーカーであり童夢が制作した、二人乗り2ドアクーペのミッドシップスポーツカーです。1975年から開発がスタートし、1978年にジュネーブ・モーターショーで発表された童夢・零は、1960年台から1970年台の数多くの名スポーツカーが誕生した時代に誕生したマシンであり、、それらの伝説のマシンと肩を並べる名車と言えます。童夢・ゼロはあくまでプロトタイプカーであり、市販を予定していましたが、計画が難航し、ショーモデルの一台のみが制作されました。この点からも伝説のスポーツカーと言えます。ジュネーブ・モーターショーでは、日本の無名のメーカーによる処女作である童夢・零は、会場の片隅に展示されていましたが、その反響から会場の中心部に展示場所が変えられました。また、童夢・零は、あくまで”プロトタイプカー”としてジュネーブ・モーターショーで発表されたため市販化計画がまだ完成していない状態出会ったにも関わらず、ブルネイ王室やジャッキー・チェンなどをはじめとする世界中のセレブリティから20件以上のオーダーを受けたといいます。

市販化を実現するため、童夢は零で国内の数多くの認定を取得するためにテストを繰り返しましたが、管轄の国土交通省(当時の運輸省)は申請さえ受け付けず童夢・零の市販化ができませんでした。そのため、あとで紹介する童夢・P2をアメリカでの申請のために開発することとなりました。

童夢・零は市販車としてはリリースすることができませんでしたが、プラモデルや消しゴムに至るまで数多くの商品化申請があり、童夢にとって思わぬロイヤルティ収入となりました。

童夢・零は名のある4人のエンジニア・デザイナーたちがハードワークで開発を進めており、彼ら全員が奥さんに逃げられたということです。

童夢とは?

童夢は、1978年に京都で創業した自動車関連会社です。ショーカーの制作を行ったり、レーシングカーの設計、運営などレースにも深い関わりを持つメーカーとなっています。レーシングカーの開発および、レースへの参戦としては、『童夢-零』のレーシングカーバージョンとして『童夢-零RL』を開発し1979年のル・マン24時間レースに出場したことが有名です。その後も1984年までル・マンには参戦し続けました。また、日本が誇るレースカテゴリーであるSUPERGTへの参戦も積極的に行っており、上位のクラスであるGT500クラスで活躍しています。

童夢・P2

童夢・P2は、童夢・零が日本国内での認証取得ができなかったために、アメリカでの取得を目指して開発が進められたモデルです。童夢・零をベースに開発されていますが、ボディが大きくなり、サスペンションの変更、フロントバンパーの大型化など、一見零と同様に見えるボディもかなり異なった設計となっています。そのため、童夢・零との互換性はない形となりました。オーバーヒート対策にファンを収めるため、零にあったラゲッジルームもなくなり、インテリアも簡素化されるなど、零の難点を克服していく形での修正も行われました。しかし、童夢が零ベースのプロトタイプレーシングカーである童夢-零RLフォードの開発に着手し、1979年のル・マン24時間レースに参戦したため、童夢・P2の開発は中断し、現在に至るまで市販化されていません。

童夢・零のスタイリング

童夢・零のスタイリングは当時のトレンドを反映しているものとなっています。非常に低い車高の零は、開発段階から「世界一車高の低い車を作る」という目標に基づいており、その車高は980mmで身長が高い人は一切乗ることすらできない車内の狭さとなってしまいました。デロリアンやロータスのような印象すらある童夢・零は、ガルウィングドアとリトラクタブル・ヘッドライトを備えまさにスーパーカーという存在感をまとっています。角ばったデザインが現代のスポーツカーには見られない特徴で、当時のトレンドが垣間見える部分です。

童夢・零のパフォーマンス

童夢・零には、2800ccの日産L28型水冷直列6気筒SOHCエンジンをミッドシップに搭載し145psを発揮しました。ドイツのZF製の5速MTと組み合わされ、ボディは軽量でありながらも剛性を確保したFRP製を採用。車両重量が920kgで全長は4mとなっていました。残念ながら最高速道や0-100km/h加速については数値が公表されていません。更に現存する一台の童夢・零のエンジンが壊れており、近い将来にも走る姿を見ることはできなさそうです。

童夢・零が走る日は来るか

童夢から開発されたマシンである童夢・零について紹介してきました。童夢・零は当時の規制ガチガチの時代に日本から世界に誇るマシンを開発しようという崇高な目標のもと、開発がスタートしました。それぞれのエンジニアが奥さんに逃げられるほどのハードワークで開発したマシンは、世界的にも高い評価を受けましたが、市販化には残念ながら至りませんでした。役所の壁を超えることができなかったわけです。現在は一台の童夢・零と2台のP2が残っており、P2のうちの一台は走ることができるようにレストアされています。近い将来日本で童夢・零が走る日は来るでしょうか。

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高級車の記事をメインに、資産運用についても紹介していきます。

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