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日本が誇るラグジュアリーブランドの元祖! ケンゾー ( KENZO ) の揺ぎ無きモードスタイル

パリのモード界を牽引したラグジュアリーブランドのパイオニアであるケンゾー。オートクチュールが主流だった1970年代のパリで、プレタポルテによる、センセーショナルなコレクションを発表し、一躍注目ブランドとなったケンゾー。創立者は高田賢三。高田賢三は、1965年には既に、パリで自身のキャリアをスタートさせ、1970年には、パリに、プレタポルテ専門ブティックである、”ジャングル・ジャップ”をオープンさせた人物です。日本という国さえ、まだはっきりと認知されていなかったパリで、ブランドをローンチし、モード界のトップに上り詰めた鬼才デザイナーである高田賢三。1999年に高田賢三は引退、2011年からウンベルト・レオンとキャロル・リムがクレイティブ・ディレクターとして、ラグジュアリーモードブランドを支えています。ラグジュアリーモードブランドの雄、ケンゾーに迫ります。

高田賢三イズムを受け継ぐクリエイティブ・ディレクターによるケンゾー(KENZO)

軽やかでモダンなケンゾー(KENZO)にファッショニスタは夢中

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ケンゾー(KENZO)の創立者である、高田賢三が、ケンゾーを去って、20年近い月日が流れました。高田賢三なき、ケンゾーは、数々のクリエイティブ・ディレクターによって、現在まで支えられてきました。

そして現在、ウンベルト・レオン(Humberto Leon)とキャロル・リム(Carol Lim)がケンゾーのクリエイティブ・ディレクターとして歴史あるラグジュアリーブランドの舵取りを任されています。

ウンベルト・レオンとキャロル・リムがクリエイティブ・ディレクターの就任してから、ケンゾーはヤングセレブレティから注目を集めるようになります。

それはでは、富裕層向けのハイエンドなブランドのイメージが強かったケンゾーですが、リュクスなストリート感覚を根幹に持つ二人が、手掛けるケンゾーは、新進ブランドのような、フレッシュさを醸し出していました。

しかし、創立者である、高田賢三へのリスペクトが随所に感じられる、デザインは、紛れもなく、1970年代のモード界を牽引したケンゾーのワードローブでした。

クラシカルなデザインと、ウンベルト・レオンとキャロル・リムの得意とするハイエンドなストリートスタイルをミックスさせた、スタイルは、新生ケンゾーとして多くのファッショニスタを夢中にさせました。

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コレクションを重ねるごとにファンを増やしていくとも言われる、ウンベルト・レオンとキャロル・リムによるケンゾーは、世界中のファッションエディターや富裕層が注目する、老舗ブランドでもあります。

フレッシュでモダンに生まれ変わった、モードブランドの雄の最新コレクションをご紹介いたします。

ケンゾー(KENZO)2018‐19年秋冬コレクション

テーマーは”My Sister's Wedding”

2018年1月21日にはは発表された、ケンゾーの2018‐19年の秋冬コレクション。メンズ・レディース合同のショーがパリで行われました。ケンゾーの創立者である、高田賢三が、常にコンセプトとして掲げていた、”多様性と個性”を表現したようなポップでカラフルなアイテムが目立った今回のショーは、1970年代半ばの、ケンゾーの最も勢いのある時代を髣髴させるような、ノスタルジックな雰囲気も漂わせていました。

今回のショーのテーマは”My Sister's Wedding”です。しかし、ドレッシーなスーツやテーラードジャケットがメインのワードローブではなく、ベーシックなメンズのデイリーウエアから、レオパードパターンのロングジャケットやファーコートまで幅広い、ガーメンズが混在するコレクションでした。

今回頻繁に登場するカラーの黄色の毛足の長いニットに、赤のタートルネックをレイヤードし、更にショート丈のベストを合わせる着こなしは、ノスタルジックであり、ナードな雰囲気も漂います。ショー全体を通じて、メインボトムスは、クラシカルなノープリーツのスラックス。英国調のグレンチェックや、格子柄のスラックスはノーブルで、エレガントな雰囲気を醸し出していました。

鮮やかなスティックパンツも、タイトなスラックス同様のシルエットのモノが多く、ストイックで何処となくスポーティでフレッシュな印象を与えていました。

メンズアウターとして定番アイテムを鮮やかな色でリリースする事が多かった、2018‐19年のケンゾーのメンズコレクション。

ダッフルコートや、レインコートと言った定番アウターも、鮮やかなカラーにオーバーサイズで登場するとかなり新鮮でした。

ベーシックなストリートストリートスタイルからラグジュアリーなファーコートまで

ベーシックなリアルクローズアイテムがメインのコレクションかと、高を括っていると、いい意味で裏切ってくれる、クリエイティブ・ディレクターの、ウンベルト・レオンとキャロル・リム。

後半には、レオパードパターンのエメラルドグリーンのロングジャケットや、ドロップショルダーのエレガントで何処となくグランジな雰囲気のファーコートも登場。会場をヒートアップさせてくれました。

古着ライクのかなり着込んだようなレザーブルゾンは、よく見るとカーディガンで、90年代のロックスターを彷彿させるような着こなしがラギッドでした。

刺繍を施したアイテムのかなり多かった、2018‐19年秋冬のケンゾーのコレクション。ジャポニズムをイメージしたオリエンタルな、ドラゴンと桜のような花の刺繍が施された、スポーティーなブルゾンや、ニットが登場。

ドラゴンの刺繍が入ったポロネックタイプのニットに、チェックのスラックスを合わせるスタリングは、様々なカルチャーが融合している、ロンドンのストリートスタイルを髣髴とさせられます。

スーベニアライクのショルダーバッグやパイソン柄のシューズにファッショニスタが注目

ガーメンツ同様に、ファッションエディターやファッショニスタから注目されている、ケンゾーのシューズやバッグ。今回はフォークロアで、ジャポニズム漂うショルダーバッグに視線が集中しました。

ニットやスポーツジャケットに施された、オリエンタルな雰囲気が漂うドラゴンモチーフのショルダーバッグは、一見、スーベニア品のようなチープな雰囲気を醸し出しています。

ドラゴン以外にも花柄のショルダーバッグもランウェイに登場しました。ショルダーバッグ以外には、アクセサリーのように手に持ったクラッチバッグのようなアイテムにも、ファッショニスタから、熱い視線が注がれていました。

ショルダーバッグ同様に、オリエンタルな花柄が施された、バッグは、アクセサリーとしてもファッションにアクセントを与えてくれます。

シューズはボリューム感のあるスリッポンがメインで登場し、特にパイソン柄のラグジュアリーでグラマラスなシューズは2018年秋冬のトレンドとなりそうです。

上品で少しナードなスタイルから、パンク、グランジスタイル、シースルーの花柄のフェミニンなアンサンブルや、ユニフォームを連想させるセットアップと、正に、多様性と個性の集合体のようなコレクションで、富裕層やセレブレティを夢中にさせた、ウンベルト・レオンとキャロル・リム。

圧倒的な個性を放つ新生ケンゾーを構築し、進化させた二人の、若きクリエイティブ・ディレクタに迫ります。

ケンゾー(KENZO)を進化させる鬼才クリエイティブ・ディレクター

ウンベルト・レオン(Humberto Leon)キャロル・リム(Carol Lim)

ウンベルト・レオン(Humberto Leon)とキャロル・リム(Carol Lim)の二人は2011年からケンゾーのクリエイティブ・ディレクターに就任し、ケンゾーを深く理解したうえで、進化させ、トレンドを発信するラグジュアリーブランドへと昇華させました。

ウンベルト・レオンは「中国系アメリカ人として、高田賢三というアジア人の功績は計り知れない」とリスペクトを表明しています。

ケンゾーのクリエイティブ・ディレクターのウンベルト・レオンとキャロル・リムはお互い1975年にロサンゼルスで生まれます。

二人の出会いは、カリフォルニア大学。在学中に親交深めた二人は、カルフォルニア大学卒業後に、ニューヨークへ移住します。

ウンベルト・レオンはバーバリーとギャップで5年ほどキャリアを積み、キャロル・リムはバリーでキャリアをスタートさせます。

2002年にお互いはビジネスパートナーとなり、ショップをオープンさせる事を決断します。

オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)の誕生

2002年、ニューヨークに高感度なセレクトショップ、オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)をオープンさせます。

ウンベルト・レオンとキャロル・リムの、独自のコンセプトによって選別されるガーメンツやグッズは、エッジの効いた新進ブランドから老舗ラグジュアリーブランドまで多種多様。

所謂ハイエンドなブランドを扱うセレクトショップとは、スタンスの異なるオープニングセレモニーは、感度の高いファッショニスタが集うショップとしてニューヨークでその名を轟かせます。

オープニングセレモニーはワードローブやグッズを販売するだけの、セレクトショップではなく、トレンドやスタイリッシュなライフスタイルまで発信するショップとして、ヤングセレブレティの間で絶大な人気を博します。

ファッションセレブは勿論、若きファッショニスタが集う、1970年代や80年代のサロンのような役割も果たしていた、オープニングセレモニーは、ニューヨークで最も感度の高いセレクトショップとして、ファッショニスタを魅了します。

"趣味としての消費”をコンセプトに掲げるセレクトショップ

オープニングセレモニーが他の追随を許さない、独自のスタイルを確立した要因は、明確なコンセプトにあります。

オープニングセレモニーは、”趣味としての消費”をコンセプトに掲げ設立されたセレクトショップです。

つまりショッピングは楽しいものであるという、最もベーシックな考えに則り設立されたショップなのです。

そして、ウンベルト・レオンとキャロル・リムのブランドやアイテムのセレクトの仕方も斬新で、シーズンごとに”テーマとなる国をピックアップ”と言うユニークな方法を採用しています。

テーマとなる国をピックアップしたら、4つの観点から、その国のブランドとアイテムをセレクトします。

”新進デザイナー”、”老舗ブランド”、”代表デザイナー”、”その国を象徴するプロダクツ”このセレクト方法により、毎シーズンまるで、違うショップのように、セレクトブランドや、アイテムが様変わりします。

この新感覚のセレクト方法と、ハイレベルな、オープニングセレモニーオリジナルアイテムをプラス。毎シーズン、顧客を飽きさせる事のない、独自のスタンスとスタイルを確立させました。

オープニングセレモニーは、新進ブランドの発掘にも定評があり、オープニングセレモニーにセレクトされ、レコメンドされたブランドは、ヤングセレブレティや、ファッションエディターによって着用され、話題となる事は、常とされています。

オリジナルやコラボレーションも常に話題

オープニングセレモニーは、オリジナルアイテムが高い評価を得るセレクトショップとしても、有名です。

ケンゾーのクリエイティブ・ディレクターである二人が手掛ける、アイテムが優れているのは当然ともいえますが、セレクトショップのオリジナルアイテムが、セレクトブランド以上に注目を集めるのはかなり稀です。

そしてハイブランドや、新進ブランドとのコラボレーションもかなり話題となる事でも知られています。

アレキサンダーワン、アクネ、ラフシモンズ等のハイブランドとのコラボレーションアイテムは、世界中で話題となりました。

2017年には、絶大な人気を誇る、ダウンプロダクツブランドのカナダグースとのコラボレーションダウンが各メディアで取り上げられました。

オープニングセレモニーのオーナーとして活躍しながら、ケンゾーのクリエイティブ・ディレクターとしてラグジュアリーブランドを進化させ続ける、二人のバイタリティには尊敬の二文字がよく似合います。

ケンゾー(KENZO)の創立者の高田賢三とは?

モードファッションのパイオニア

最も偉大な日本人デザイナーであり、パリのモードファッションを牽引したアジア人としても知られる、高田賢三。

1960年代に渡仏し、1965年には既にキャリアをスタートさせた、日本のファッションデザイナーのパイオニアです。

高田賢三は、1970年代、パリのモードファッションが、オートクチュールからプレタポルテへと移行する端境期に、プレタポルテによるモードスタイルを打ち出し、イヴ・サンローランと共に、プレタポルテ中心の新たなモードスタイルを牽引した人物です。

「日本という国はよく知らないが、ケンゾーが素晴らしいブランドであることはよく知っている」と当時のパリのファッションエディターに言わしめた、天才デザイナーである、高田賢三。

高田賢三はモードファッションの先駆者であり、日本人デザイナーが、パリで活躍する為の、道を切り拓いた開拓者でもあります。

高田賢三がパリで成功を収めていなければ、コムデギャルソンやヨウジ・ヤマモトのパリ進出は、随分遅れていたとも言われています。

日本が誇る、デザイナーであり、ラグジュアリーモードブランドの元祖であるケンゾーをローンチした、高田賢三に迫ります。

高田賢三は1939年に兵庫県で生まれる

高田賢三は、1939年に兵庫県に生まれます。生家は”浪花楼”という旅館を経営しており、裕福な家庭環境で育ちます。

生家が、旅館を経営していた為、和服姿の女性を目にする事が多く、無意識に着物の素晴らしさが、刷り込まれていたと、インタビューで答えていました。

実際に、最初に手掛けたガーメンツは、着物地を使ったハンドメイドのワンピースでした。

高田賢三は、姉達が洋裁の勉強していた影響から、ファッションに興味を抱くようになります。小学生の頃には、姉達が、購入するファッション誌に夢中になっていたと言います。

しかし、進学したのは、神戸市外国語大学。絵に関われる仕事がしたいと漠然と思っていた、高田賢三は、絵以上に、ファッションに関しての思いが強くなります。

大学を中退し、男子生徒の受け入れ体制が整ってまもない、文化服装学院へ入学、ファッションの世界への扉を開けます。

一ヶ月かけて船でパリへ

高田賢三は、文化服装学院時代は、優秀な生徒ではなかったと、自分のことを振り返ります。しかし、高田賢三は、若きデザイナーの登竜門として知られる、装苑賞を受賞します。

文化服装学院卒業後は、三愛に就職、どうしてもパリに行き夢が諦めきれずに、3年ほど務めた三愛に、半年間の休暇を申請して、渡仏します。

パリに行く際に、文化服装学院の恩師の言葉により、船でフランスへ渡る事を決意します。1ヶ月の航海の末、1965年パリの到着します。

初めての海外旅行で、しかも1ヶ月間の船旅。フランスに辿り着くまでに様々な異文化に触れた、若き高田賢三。この船旅での経験が、多様性を重視する、ケンゾーのデザインにも大きく影響を与えているように感じます。

パリに着いた高田賢三は、自身が書いたデザイン画を販売して生計を立てます。自身の絵が売れたときの感動は今でも覚えているとインタビューでも語っています。

デザインが、既製服メーカーの目に留まり、契約する事になり、旅行で訪れたはずのパリで、高田賢三はキャリアをスタートさせます。

パリに到着して約4年後の1969年に、自身の服を販売するショップである”ジャングル・ジャップ”をオープンさせます。

1970年に初のプレタポルテコレクション

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1969年に皮肉を込めたショップ名である”ジャングル・ジャップ”をオープン。高田賢三曰く、日本人の奥ゆかしさを込めてのネーミングだったようです。

1960年代後半、プレタポルテの存在はありましたが、到底オートクチュールに適う存在ではありませんでした。

特にモードファッションを牽引するパリでは、オートクチュール至上主義が、当然の如くメインを疾走していました。

高田賢三は、自身のショップ、ジャングル・ジャップで、プレタポルテによる自身のブランドを展開します。

パリでは色男の天才デザイナー、イヴ・サンローランが、プレタポルテラインに力を入れ始めた頃、女性のパンツルックも当たり前ではなかった時代です。

高田賢三はこれからのモード界を牽引するのは、オートクチュールではなく、プレタポルテだと確信し、プレタポルテオンリーで勝負します。

高田賢三自身が、モデルとなり、ケンゾーのワードローブを着てパリの街を闊歩しました。ケンゾーのワードローブはパリのファッショニスタを刺激しました。

日本という国さえ理解しない、パリジェンヌが、ジャングル・ジャップに殺到します。パリでブランドを立ち上げる事に光を見出した高田賢三は、自身のショップ、ジャングル・ジャップで、プレタポルテコレクションを開催します。

プレタポルテコレクションと言っても、極々、小規模なものでした。資金面の関係もあり、30名ほどのインヴィテーションできなかったそうです。

プレタポルテコレクションの為に、高田賢三は、日本に戻り、服作りの資金と生地の調達に走り回ります。

着物の切れ端や、ヴィンテージの帯を解体して仕上げた、ハンドメイドによる、ケンゾーのプレタポルテコレクションは、パリのファッショニスタに衝撃を与えました。

安く購入できる着物地をピックアップした高田賢三のアイディアが功を奏します。

今まで見た事のないアヴァンギャルドで艶やかな、色使いと、平面的でゆとりのあるシルエットが、ファッションジャーナリストや、ファッションエディターを虜にさせます。

ファーストコレクション以降、ケンゾーのワードローブは、雑誌”エル”のカバーを飾り、ケンゾーは新進モードブランドとして、パリのファッショニスタの間で絶大な支持を得ます。

色彩の魔術師の異名を持つ天才デザイナー

1970年代半ばには、パリだけではなく、ヨーロッパや日本でも高田賢三の名前は浸透していました。パリで最も成功したアジア人デザイナーとして、時代の寵児となった高田賢三は、鮮やかな色彩と、アイコニックパターンである花柄を多用した、ガーメンツを発表、”色彩の魔術師”とも称されました。

エスニックスタイルや、ジャポニズムをモードファッションに取り入れ、パリで一大ムーブメントを起こした高田賢三を、世界中が天才デザイナーと絶賛しました。

1977年にはニューヨークでショーを行ない、モードの帝王と称される、カールラガー・フェルドと共に、”モード界の2K”と称されました。

パリやニューヨーク、そしてヨーロッパで絶大な支持を得た、ケンゾーと言うモードブランドと、天才デザイナーである高田賢三は、ファッション界の中心人物となり、新たなモードのファッションのカタチを創り上げました。

1970年代から80年代の原色や、ビビットカラーがプレタポルテコレクションのトレンドとなった要因は、ケンゾーの影響であることは間違いありません。

ジャポニズムという新たな感覚をパリで根付かせ、モードファッション全体に浸透させたパイオニアは高田賢三であることは間違いありませんが、高田賢三本人は、日本的な試みにチャレンジしようと言う考えはなかったようです。

結果として、ジャポニズムや、日本のクラシカルなスタイルを、融合させたスタイルが生まれただけと、語っています。

高田賢三は様々な、新たな試みにより、パリを中心としたモードスタイルを牽引してきました。立体裁断によるガーメンツが最も優れていると、信じられてい常識を覆し、平面裁断によるガーメッツの素晴らしさを、ヨーロッパのファッショニスタに認めさせた、初めてのデザイナーが、高田賢三だと言われています。

1970年代半ばから1980年代初頭は、ケンゾーというブランドが、世界のモードシーンの中心にいました。1983年には念願のメンズラインローンチ。飛ぶ鳥落とす勢いのケンゾーは、急速に成長し、ラグジュアリーブランドのトップに君臨します。

しかし、80年代後半頃から、次第に会社の経営が厳しくなっていきます。80年代半ばになると、高田賢三自身の感覚と世間のズレを感じるようになったと、インタビューで答えていました。

ケンゾーは自力では立っていることさえ,、危うい状態に陥り、LVMHの傘下に入ります。

1993年にLVMHがケンゾーの株式を買い取り新会社を設立

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資金難に陥ったケンゾーに手を差し伸べた企業が、フランスの巨大コングロマリット企業である、LVMHです。ルイ・ヴィトンやクリスチャン・ディオールを抱える、ラグジュアリーブランドに特化したコングロマリット企業の傘下に入ったケンゾーは、新会社として、スタートしました。

創立者である、高田賢三は、デザイナーに専念するカタチとなり、経営から完全に退きます。しかし、経営側との軋轢が生じ、1999年にデザイナーの引退を発表。ケンゾーを離れます。

ケンゾー(KENZO)に受け継がれる高田賢三のDNA

天才デザイナーのマインドを継承するラグジュアリーブランド

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プレタポルテが、モードの中心となる、新たな時代を切り開いた開拓者であり、パイオニアである高田賢三。

ケンゾーを離れた今も、殆どの時間をパリで過ごすという高田賢三。日本よりもパリでの生活のほうが、既に長くなってると言います。

現在はフランスでフレグランスのプロジェクトに関わっているという、時代を席巻した天才デザイナーは、メンズウエアのデザイナー復帰に意欲を示しているようです。

エディ・スリマン時代のディオール・オムが好みと言う、天才デザイナーの復帰に期待している、ファッションジャーナリストや、富裕層が多い事は間違いありません。

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モードファッションの新たな可能性に果敢に挑んだ、最も偉大なアジア人デザイナーである、高田賢三のDNAは、現在クリエイティブ・ディレクターである、ウンベルト・レオンとキャロル・リムが受け継ぎ、ケンゾーと言うビッグブランドを更に進化させています。

ファッショニスタが注目する、ラグジュアリーモードブランドの元祖、ケンゾーから益々目が離せません。

INTRODUCTION of THE WRITER

hansu719
name. hansu719
ショップバイヤー、スタイリストを経てフリーライター兼シンガーソングライターが生業です。ハイブランドからストリートstyleまでラグジュアリーな香りのするstyleが好みです。

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