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意外なあの人物も? シベリア鉄道に乗車した文化人特集 

世界一長い鉄道として有名なシベリア鉄道ですが、戦前はかつて日本からフランスなどの欧州諸国へ渡るためのルートの一つでした。 食堂車でゆったりした気持ちで食事を取りながら、窓から見える流れゆく景色に思いを馳せる…、そんな穏やかな時間が過ごせるのもシベリア鉄道を走る寝台列車ならではです。 かつて、シベリア鉄道で欧州へ渡った有名な文化人がいます。ロシア語を殆ど知らないまま乗り込んだ勇気に驚きを感じます。 シベリア鉄道に将来乗りたいと考えている方は特に、知っておくとより深い思い入れに浸れるでしょう。 シベリア鉄道に乗車した文化人について調べました。

シベリア鉄道概要

ロシアのウラジオストクからモスクワまでを結んでいる鉄道です。
シベリア鉄道は軍事輸送面の必要性もあり、1904年、日露戦争中に前線が開通しました。建設労働者がロシアの流刑囚やイタリアからの出稼ぎ労働者が多く、シベリアの過酷な自然環境の中、工事が進められました。1875年から建設が進められたので、約30年がかりの大工事です。
当時は日本とフランス間は船で40日以上費やしましたが、シベリア鉄道の開通によって陸路だと15日程度で行け、最短ルートでした。しかし、査証の取得や言語の問題などで利用するのは困難だったようです。現在はウラジオストクからモスクワまで約7日間で走破できます。

(1) 有名な歌人 与謝野晶子 (1912年利用)

『君死にたまふことなかれ』と反戦の思いを込めた歌で有名な与謝野晶子(1978-1942年)ですが、日本の女性教育の必要性を説くために奔走した活動家でもありました。
夫は同じく歌人で後に慶応大学教授の職に就く与謝野鉄幹です。
鉄幹との仲は良く、12人の子どもに恵まれたようです。
1912年、フランスのパリに渡っていた鉄幹の後を追って、シベリア鉄道経由で晶子は旅立ちました。
出発の様子は新聞でも取り上げられ、多くの人に見送られました。欧州に渡った後、晶子は4カ月間、精力的に欧州諸国を訪れました。

(2) 林芙美子 (1931年利用)

『放浪記』で一躍有名な小説家となった林芙美子(1903-1951年)は、小説の印税を旅費にし、シベリア鉄道経由でパリへ渡っています。その後、パリで半年、ロンドンで1か月過ごしました。芙美子自身は既婚者でしたが、別の男性(誰かは不明)を追っていったそうです。

三等車に乗り、当時のロシアの人々の庶民を観察し、「西伯利の旅」「巴里まで晴天」という優れた短い紀行文も残しています。忙しい文筆業の合間をぬって時間を見つけては様々な所を旅し、紀行文や小説のネタを精力的に取材しました。
『放浪記』の他には『浮雲』などの名作があります。

(3) 宮本百合子 (1927年利用)

宮本百合子(1899-1951年)はプロレタリア文学作家です。1927年にロシア文学者の湯浅芳子と共にヨーロッパ諸国を訪れた際に、シベリア鉄道を利用しています。
17歳で『貧しき人々の群』で文壇デビュー、コロンビア大学で聴講生になるなど文筆や勉学への並々ならぬ才能を見せています。
戦時中は共産主義に傾倒しているとして、軍部にマークされて何度か検挙されたり執筆活動を停止などの処分が下されましたが、一貫してプロレタリア文学作家として執筆活動を続けました。

(4) 茂田井 武 (1930年利用)

茂田井武(1908~1956年)は絵本の挿絵として使われる数多くの日本童画を描き続けた画家です。
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」の挿絵などが有名です。
1930年にシベリア鉄道経由で鞄一つもってパリに渡り、独学で絵画の勉強を続けました。
生活費を工面するため、現地でも皿洗いなどをしたそうです。
3年間、欧州を時々旅しながら風景を描きため、後の創作活動にも活かしました。
48歳の若さで亡くなるまで、病床に入っても絵を描きつづけるなど精力的な画家でした。

(5) 実はこの方も!? デビッド・ボウイ (1973年利用?)

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デビット・ボウイは誰もが一度は名前を聞いたことのある英国のミュージシャン、俳優(1947-2016年)です。「戦場のメリークリスマス」でも北野武と共演しています。亡くなられた後、日本でも回顧展が開かれたのは記憶に新しいでしょう。
1973年に日本公演を果たした後、当時のソ連に入国し、シベリア鉄道に乗車したという噂が言い伝えられています。当時のデビット・ボウイの手紙にシベリアの雄大な景色を讃える文面のものが残されていますが、真偽はいまだに明らかでありません。
ちなみに、ご本人は飛行機が苦手で、旅の際は船や列車を使うようにしていたようです。

言語の壁を乗り越えて 果敢にもシベリア鉄道に乗車した文化人たち

シベリア鉄道に乗車した(一部、乗車したと思われる)文化人を挙げさせていただきました。
当時の交通事情や衛生面、そして言語の壁を思うとシベリア鉄道に始発駅から終点まで乗るのは容易ではありません。
シベリア鉄道に乗る機会がありましたら、かつての文化人も同じような風景を眺めたのかと思いに浸れそうです。

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