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善光寺への道しるべ:如是姫

JR長野駅の善光寺口には、一人の姫君が立っている。彼女の視線の先にあるのが善光寺。古来より、この姫君は、善光寺に詣でる善男善女を、その救いの在り処に導いてきた。善光寺に参詣するなら、この姫君に挨拶し、ガイドをお願いするのも一興だろう。 ※この記事は、「第三回ノースアジア大学文学賞」受賞作品を改訂・加筆したものです。

遠くとも

 “遠くとも 一度は詣れ 善光寺”

 長野新幹線が北陸新幹線に延長され、運行本数も増えたから、東京や金沢から長野市へのアクセスは格段に良くなった。上に挙げた句もあることだ。この信州きっての名刹は、読者諸氏にもぜひ一度、足をお運び頂きたい。日本有数の歴史を誇る門前町の風情は、さすがに余所では味わえないものがある。
 さて、あなたがもし善光寺参詣を思い立ち、新幹線に乗るのなら、長野駅で降りてすぐに門前に向かうのではなく、駅前ロータリーにたたずむ一人のお姫様に挨拶されることをお勧めしたい。この少女、名を如是姫(にょぜひめ)という。

The history of the princess

 信州上田で生まれた僕だが、長野市の職場に6年ほど通った時期がある。前半の3年間は勤め先が長野駅の東口にあり、反対側の善光寺口にはほとんど行かなかったので、不覚にも2年ばかり善光寺口に立っている女人像を観音様だとばかり思いこんでいた。ある時ふと、その左手のお盆から噴水を出す女人像の前で立ち止まり、何気なく説明に目をやるに及んで、この瓔珞(ようらく)を帯びた女性が観音様でないことを知って驚いた。インドのお姫様だという。この少女が如是姫。お釈迦様と同時代、商業都市ヴァイシャリーにいた月蓋(がっかい)長者の一人娘なのだそうだ。
 善光寺の由来を記した「善光寺縁起」によると、この長者というのが大変ケチな人物で信心も浅く、お釈迦様が托鉢にやって来ても施したためしがない。ところが一人娘の如是姫が疫病に罹り、明日をも知れぬ命となったことで、とうとうお釈迦様に助けを求めた。お釈迦様は「西方に向かって“南無阿弥陀仏”と唱えよ」と助言する。言われた通りにすると、阿弥陀様が観音様と勢至菩薩をお供に連れて降臨し、その光で如是姫の病気を治して下さったという。因みにその時、阿弥陀様の有り難いお姿を仏像として留めたいという長者の願いを聞き入れたお釈迦様が神通力で作ったのが善光寺のご本尊であり、長野駅の如是姫の姿は、善光寺のご本尊に向かって謝意を表しているものなのだそうだ。因みに、この月蓋長者が長い歳月を経てこの国に転生し、善光寺に御本尊である阿弥陀三尊像を将来する本田善光となる。
 バチ当たりを覚悟で言えば、この昔話(縁起)は歴史的事実とは認めがたい。お釈迦様在世当時の原始仏教に「阿弥陀如来」という概念などあったはずがないし、仏様の姿を仏像として表現し始めるのは、早くともお釈迦様の没後五百年を経たガンダーラ地方においてであるからだ。しかしそうしたこととは別に、僕はこの如是姫の存在には不思議と興味を引かれてしまう。
 父の月蓋長者のキャラクターは実にはっきりしているし、我々も心に描きやすい。では如是姫がどんな人物だったのか、となるとほとんど想像できない。疫病にかかり、その病気を阿弥陀如来に救ってもらうというストーリーそのものは明瞭だが、その人格や容貌、信じがたいことには美醜すら言及されていないからだ。その存在はまるで善光寺のご本尊を称揚するためにのみあるかのようで、彼女の担っている義務の大きさと人物像の希薄さのアンバランスを思うとき、その一心に謝意を捧げる姿のあまりの儚さと可憐さには胸を打たれるものがある。
 考えてみればこの如是姫とは不思議な存在である。先に挙げた縁起からすれば、長野駅に立っているのが彼女である必要はなく、むしろ父親の月蓋長者である方がはるかに筋は通る。また彼女を救ったのがお釈迦様ではない、というのも面白い。このあたりの消息には、お釈迦様在世当時の原始仏教を受け継ぐとされる上座部仏教への、大乗仏教側からのやや底意地の悪い暗喩が含まれているのかもしれないが、だとすれば阿弥陀様ではなく薬師如来によって救われたって不都合は無いし、むしろ自然だろう。
 思うにこの如是姫には実在のモデルがいたのではないだろうか。善光寺の御本尊に何らかの形で深く関わり、その名を高からしめた歴史上の女性がいて、しかし時の権力者にとっては都合が悪いなどの事情で彼女の事跡をそのまま伝えるには憚りがある。が、どうにかしてして彼女の思いと業績を残したいと考えた人々が、本田善光の事跡に多少強引に結びつけて作ったのが「善光寺縁起」の、如是姫のくだりなのではなかろうか。生来のヒネクレ者である僕は、どうしてもそんな想像をしてしまう。
 そう仮定してみると、善光寺縁起の不自然さや、如是姫がそのキャラクターの希薄さにもかかわらず、非常に尊重されている点の説明はつくかもしれない。また、彼女の人物像がほとんど“真空”と言えるほどに儚い事にも納得がいく。実在の人物とその事跡をもとに後世の人間が好き勝手にストーリーを考えると、往々にして中心であったはずの人物が没個性的になってしまうことがある。「真田十勇士」における我が郷土:信州上田のヒーロー幸村公や「西遊記」における三蔵法師がいい例だが、ひょっとすると如是姫は、そうした物語の在り方の最も極端で最も成功した例の一つなのかも知れない。

是くの如き姫君

 それにしても、彼女に“如是姫”という名がつけられているのは実に感慨深い。「善光寺縁起」がいつの時代に成立したものかは知らないが、日本の各地から歩いて善光寺までやって来た人々が、宿坊で彼女の名と物語を聞く場面は何百年にもわたって繰り返されたことだろう。人々は、今から二千五百年前の、北インドはヴァイシャリーにいたとされるこの少女をどのような人物としてその胸に思い描いただろうか。
 彼女はただひたすら阿弥陀仏に感謝を捧げる存在である。彼女が病を得たのは、その父の不徳によるものであり、彼女自身に原因があったのではない。いわば理不尽な業(ごう)を負わされたのであるが、我が身が救われるや、その理不尽には触れることなく、救われた事にのみ一心に感謝するのである。その在り方は、時代や権力に理不尽に翻弄されながら、一筋に阿弥陀仏の慈悲をもとめる多くの人々の在り方とそのまま重なったに違いない。人々が彼女を「是くの如き(かくのごとき:このような)姫君だったろう」と想像したときの“是くの如き”の中には、多かれ少なかれ、想像している本人が自然と投影された事だろう。そして、彼女の存在が御本尊の荘厳を支える上で不可欠の存在である事に思い至るなら、彼女の在り方と重なる自分の存在の尊さ、かけがえのなさを、この姫様を介して発見出来たはずだ。そしてこの発見こそが、阿弥陀様の救いとして人々に実感されたことも、きっとあったに違いない。

青き衣の姫様よりも…

 如是姫は生身の人間でありながら、その名称と存在の真空さによって、数限りない人々の中に救いの灯火をともし続ける機能を果たし続けてきたのだろうか。同じく人々を清浄へと導く姫様でも、例えば「風の谷のナウシカ」よりは大分インパクトに欠けるが、やれる仕事は大きいだろう。彼女はこれからも、善光寺を目指して長野駅に降り立つ人々に、その救いの在処(ありか)を示し続けるに違いない。
 儚くも、何とも愛おしい姫君である。

 読者諸氏も、折角ならこのお姫様に導かれて参詣するのは如何だろう。ちょっぴり粋だし、御利益も増すというものだ。

 お帰りの際は、お土産に「八幡屋磯五郎」の七味唐辛子をお忘れなく。

INTRODUCTION of THE WRITER

山家衛艮
name. 山家衛艮
長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、国語科予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段(夢想神伝流)。これまで小説・エッセイ等で16のコンテストで受賞経験あり。2016年、信州真田郷:「延喜式内 山家神社」の衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「夢を叶える145」にも記事を掲載中。右利き。

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