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周利菩提:印度ヴァラナシにて

ヒンドゥー教最大の聖地ヴァラナシ。この地を北流する聖なる河:ガンガーに祈りを捧げ、沐浴するために、インド中からあらゆる人々が集う。しかしこの聖地は、清浄とは程遠い。最も神聖な場所であるガートは、ありとあらゆる汚穢で埋め尽くされている。このヴァラナシはなにゆえに聖地なのか。なにゆえにこの大地を生きる人々は、ヴァラナシを目指すのか。その答えは、人間の最も美しい姿の先にある。

混沌の大地

 僕の実家は裕福とは程遠い経済状況だったが、幸いにして母方の伯父が外交官だったため、幼い頃から時々、その任地へ伯父のポケットマネーで遊びに行く幸運に恵まれた。
 どの国もそれぞれに印象深かったのはもちろんだが、訪れた中で最も印象深かったのは、と問われれば、やはりインドと答えることになろう。かの国には、小学生、中学生時分に一回ずつ、大学を休学しての計三回訪れた。三回目は言うまでもなく自費で、バックパッカーとしての一人旅である。
 最後に旅をしてからもう20年ほど経ち、その間に新興国として急速に力をつけているから、今のインドは当時とは様変わりしているだろうか。デリーやムンバイ(ボンベイ)はそうだろうが、地方都市はそうではないのではないか。半分以上は僕の願望に過ぎないが。
 インドでの体験を一言で表せば、“カオス”だ。これは、かの国を旅したり、滞在したことのある者なら誰もが納得するだろう。隙あらば日本人旅行者から何かを盗ってやろう、ボッタクってやろう、と、ギョロついた目を向ける男たち。“ジャパニー(日本人)、ジャパニー”“バクシーシ(お恵みを)”としつこく付きまとう物乞いの子供達。かと思えば、日本のそこら辺にある寺の住職ではまず見られない、静謐(せいひつ)なまなざしでたたずむサドゥー(ヒンドゥー教の修行者)。まあ、サドゥーの中にも、物乞い目的のタチの悪いやつもいるが。チャイ(インド式ミルクティー)の店先のベンチで、素焼きのカップを片手に何時間も一人で居座る商店主。マサラ(香辛料)の店主と掴みかからんばかりの声で交渉する恰幅の良い中年女性。街のあちこちで見かける奇怪な姿態の神像やリンガ(シヴァ神の男根をかたどった像)。薄汚れ、傾いた家並み。その中でひときわ目立つけばけばしい色彩の寺院。体中を膿み爛(ただ)らせて徘徊する犬。我が物顔に通りを歩む、あばら骨の浮き出た牛。
 この国の風景には“中間”がない。悪意と敬虔、欲望と瞑想、喧騒と静寂、卑賎と華美、飢渇と飽食。それぞれ前者の方が圧倒的に多いが、そうした両極端が一つの空間・風景の中に、秩序もへったくれもない容赦の無さで放り込まれている。あらゆるものがどうしようもなく本質的で、剥き出しだ。どんな下らないものにも動かし難い存在感があり、それを覆い隠すもの、というより、覆い隠す意思が最初から欠如している。
 ほとんどの日本人が“初インド”で衝撃を受けるのは、まあ当然だろう。“中間への意志”が恐らくは世界で最も強く、あらゆるものに霞をかけて生きている人間たちが、そうした概念そのものが無い風土に飛び込んで仰天しないはずがない。
 平均的な日本人の生活をしていたらまず経験できないカオス。これがもっとも凝縮している空間こそ、ヒンドゥー教最大の聖地ヴァラナシ(ベナレス)ではないか。

聖と汚穢と

 この街にやって来てまず驚くのは、そもそもそこが“聖地”と呼ばれていることだ。神道的感受性を意識下に持つ日本人にとって、“聖”の観念は“清浄”で具体化される。尊いものは清浄・清潔なのであり、清浄なものは尊い。ところが、インドではこの等式が全く当てはまらない。むしろ真逆であることの方が圧倒的に多い。別に、聖なるものがたまさか清浄であるからと言って、インド人が首をひねったりはしないだろうが、インドの“聖”は清浄であることをそもそも要求しないのである。
 訪れたことのない人が、ベナレスといって思い浮かべるのは、ガンガー(ガンジス河)の河の上から石段状に続くガート(沐浴場)を写した光景だろう。南北に数キロにもわたって続く褐色の石段に、色とりどりの傘が並び、そこかしこに小さな露店が置かれ、人々が、あるいは石段に腰かけ、あるいは河に入って祈りを捧げる様は、インドを象徴する光景としてしばしばガイドブックやインターネットで見かけるものだ。
 そうした、物に迫らないゆったりとした息遣いは、見る者によっては“悠久の時間”を感じさせるものであるようだ。なるほど、そう思って改めて眺めれば、いかにも古代から続く“聖地”めかしい色彩ではある。
 しかし、そうしたガートの石段やガンガーの汀(みぎわ)に近接した写真は、ほとんど見かけることがない。そこに何があるかを知っている者なら、その理由はすぐに思い当たるに違いないが。
 ガートの石段のそこかしこに散らばっているのは、犬や牛の糞、うずくまっているのは病み犬や薄汚れた乞食、ボロをまとった癩(らい)病人だ。また、汀に浮かぶのは数多(あまた)の塵(ごみ)、生き物の死骸――しばしば人間の――などである。
 この“聖地”の最も聖地たるゆえんの場所は、この世で思いつく限りの最も忌まわしい汚穢(おわい)で埋め尽くされている。
 “聖なる河”ガンガーの水もまた凄まじい。色はチャイと変わらない。上流ならいざ知らず、北インドのあらゆる生活排水、工業排水がすべて流れ込む河なので、水質汚染が甚だしく、聞いた話ではコレラ菌が30秒で死滅するという。
 我々のような外国からのバックパッカーは、宿泊する安宿の主人から、決まって厳しい注意を受ける。
 「ガンガーの水には、絶対に入ってはならない」
 ヒンドゥーを中心とした宗教上の理由ではない。流れが意外に速いという水難上の意味もあるが、先進国から来た抵抗力に乏しい者がヒンドゥー教徒の真似をすると、とんでもない事になるからだ。実際、僕と同宿の大学生で、調子に乗って河に入った奴がいたが、翌日眼病に罹(かか)り、病院に連れて行かれた。

祈りの河

 日本人の発想からおよそかけ離れた相を持つ、このヒンドゥー最大の聖地は、なにゆえに聖地なのか。ヒマラヤに発し、ベンガル湾に向かって東流するこの大河が“聖なる河”とされていることはよく知られている。中でもここヴァラナシは、ガンガーが北流する唯一の地(地図で見る限り、唯一とは認めがたいが)だ。
 この特別な場所で沐浴した者は、それまでの業(ごう)――カルマ――が清められ、死後に火葬した灰を流されたものは、輪廻転生(りんねてんしょう)を脱する――つまり、“解脱(げだつ)”する――とされる。これが、ヴァラナシの聖地たる最大の理由である。
 因みに、しばしばガートで人間の死体を見かけるのもそうした理由による。ヴァラナシには、死者の遺体を焼く専用のガートがいくつもあり、日中はほとんど常に煙が上がっている。死者の遺族は、死者に解脱をもたらすため、焼いた後の灰をそのまま河に流すのだが、インドに生きる民衆のうちで、人体一つを完全に灰にするに足る薪を準備できる者は多くない。火葬にするべき次の遺体も控えている。結果として、“灰”とは言い難い状態で河に流されることが少なくない。また、七歳未満の子供や妊婦、自殺者は灰にすることが宗教上禁じられているため、そのままの状態で流される。極端に貧しく、薪を準備出来ない場合は、遺体にガソリンや灯油をかけて火をつける。こうした遺体は、表面は見事に黒こげになるが、中に火が及ばないため、人体の形を保ったまま流される。それらの様々な事情で灰になっていない遺体が、魚や鳥につつかれ、ガートの石段や杭にぶつかったりすることで、あちこちを毀損され、時に内臓の一部がこぼれ出た状態になる。何かの拍子にガートに打ち上げられれば、毀損した所に蛆(うじ)が湧き、またハゲワシがついばみ、野良犬が引きちぎる。水の流れの悪い澱(よど)みには、子供や自殺者の焼いていない死体が、ぶくぶくに膨(ふく)れた姿で漂うことも多い。
 沐浴によって罪業や穢れを落とすという文脈は、発想としては日本神道の禊(みそぎ)や祓(はらえ)に近いと言えるかも知れない。が、それが実施される場の様相と迫力は全く違ったものだ。
 日の出の瞬間に沐浴するのがもっとも功徳が高い行いとされるため、ヴァラナシのガートでは毎朝その時刻、何千人ものヒンドゥーの老若男女が雪崩をうって河に入る。汚物や塵、死体が漂う中で頭まで身を沈め、朝日に向かって祈り、口を漱(すす)ぎ、時に河の水を飲む。涙を流すものも多い。神道での祓(はらえ)、いわゆるお祓(はら)いは多分に儀礼であり、それによって罪や穢れが落ちるとリアルに考える者はほとんどいないだろう。しかし、ヴァラナシでの沐浴はそうではない。そこに儀礼的要素はほとんど感じ取れない。仮に儀礼であったにしろ、その祈りが単純な形式でないことは疑いようがない。
 ヒンドゥーの人々は、しばしばこの街に、千キロの道を徒歩でやってくる。この地で死を迎えるためにのみ旅をしてくる者も少なくない。彼らは疑いなく信じているのだ。この河が、苦しみの根源を消し去ってくれることを。
 日本で同じマインドを持って生きている者がいれば、即座に狂人扱いされるだろう。だが、この河で祈りを捧げる人々の目は、原理主義や狂信者のそれではない。真っ当に日常を生きる、いささかも均衡を失わない人間の眼だ。だとすれば、この国を生きる人々は、日常の感覚で、輪廻と、そこからの解放としての解脱を信じているのだろう。

最後の生へ

 この“解脱”という概念だが、日本人でこれを正確に理解している者は案外少ない。仏教の文脈で、“あらゆる苦しみから解放されること”という程度に捉えている場合が多いのではないだろうか。その理解は間違いではないが、結果論に過ぎない。本質的には、“輪廻転生から脱することで、今生(こんじょう)で死ぬと、死後何物にも生まれ変わらなくなること”なのである。あらゆる苦しみは、生きているからこそ生じるのであれば、生そのものが消滅してしまえば、苦しみもまた生じない。その結果として“あらゆる苦しみから解放される”ことになるが、同時に喜びや快楽もまた生じなくなるのである。苦からの解放は、無論それが目的となることはあるにしろ、解脱の結果として得られる二次的なものなのであり、解脱そのものとイコールなのではない。
 ところで、何故インドで生まれた宗教――ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教など――では、この“解脱”を共通の理想とするのだろうか。
 僕はいわゆる“霊感”のある人間ではないし、スピリチュアルな世界への傾倒もほとんどないが、例えばTVのミステリー番組などで時々紹介される、前世で結ばれなかった男女が、現世での偶然の出会いを経て結婚した、という体(てい)の奇譚(きたん)は嫌いではない。虚実はともかく、ストーリーとしてロマンを感じるからだ。また、キリスト教の保育園に通っていた事もあり、死後に神の国に復活するという、生命の永続を理想とする考え方をごく素直に受け入れていたため、最初にインド的な発想を聞かされた時は非常に驚いた。インドでは、生命の永続がそもそも前提なのであり、その消滅が理想とされるのだから、ユダヤ教を始めとする一神教的発想とは真逆である。なぜこうした考え方が生まれるのだろう。
 この謎は、バックパッカーとして、時に命の危険を伴う旅をする中で、少しずつ理解できるようになった。伯父に連れられての旅行では決定的に見えなかったものが、自分自身の成長とも相まって、見えるようになったのだろう。

死にゆく人々

 伯父が外交官であったことは冒頭で述べたが、そうしたポジションを持つ大人と旅をすれば、必然的に宿泊するのは星を戴くホテルという事になる。また出会う人々も、一定水準以上の、というより、最上級の地位・経済・教養の持ち主にならざるを得ない。
 そうした人々の存在や営みが、インドの現実の一部を成しているのは疑うべくもないが、彼らとの交流をもとに“インドの現実を知った”と称するのは、多くの謗(そし)りを免れまい。やはり市井を生きる一般の人々や、その生活に触れることがなければ、最低限の理解すらおぼつかないだろう。
 日本円換算で一泊50円しない安宿に泊まり、薄いダルスープ(豆カレー)を、右手でちぎったチャパティー(北インドの一般的な薄焼きパン)ですくって口に運ぶ。右手に持つコップ一杯の水と左手でトイレを済ます。何を買うにも丁々発止の値段交渉をし、床板の穴から下の地面が見えるローカルバスで、現地の人々と一緒にギュウギュウ詰めに推し込まれて移動する。そうした旅を続ける中で、この国の現実とともに、おぼろげながら見えてきたものがある。なぜこの大地と風土を生きる人々が、生の消滅である解脱を究極の理想としたのか。
 ヴァラナシではなかったと記憶しているが、泊まった安宿のオーナーの息子と仲良くなり、街を案内してもらったことがあった。二人で並んで歩いていると、道端の汚れた水溜りに、一人の男が倒れ込んでいる。ボロをまとったその年老いた男の目は虚ろで、時々体を引き攣(つ)らせ、口からは泡を吹いている。驚いた僕は、宿の息子を振り返った。
 「なあ、大丈夫なのか? 放っておいたら危ないんじゃないのか?」
 宿の息子のにべもない答えは、今でもはっきり憶えている。
 「大丈夫だ。問題ない。その男はもうすぐ死ぬ」
 これには衝撃を受けた。この世には、“もうすぐ死ぬから大丈夫”という文脈が存在するのだ。ベクトルは全く違うが、親鸞の“善人猶ほもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや”と同じくらいのインパクトがあった。これもこの国の現実なのだ。道をゆく人々で、この男に特別の注意を向けるものは、確かにいなかった。
 気候・風土の苛烈なこの国では、まことに簡単に人が死ぬ。まず、暑さ寒さで死ぬ。旱魃で死ぬ。水害で死ぬ。サイクロンや疫病で数万人単位が死ぬ。庶民の家屋には耐震の発想と経済が無いため、震度5の地震で千人単位が死ぬ。普通のバスに、屋根の上も含めて200人以上乗ったりするので、バスが一台横転すれば数十人が圧死する。食べ物がなくて死ぬ。医者にかかれなくて死ぬ。旅行者に過ぎない僕の目の前でさえ、何人の人間が死んだだろう。一度など、ヴァラナシのガートで十数人が溺死するのを見た。
 ガートでは、巡礼客や外国人観光客を乗せる、木製の手漕ぎボートがいくつも出る。長良川や天竜川の、昔ながらの川下りで使うのと似たようなものだ。長さ6~8メートル、幅は中央部でせいぜい1.5メートルくらいだろう。その船に客を乗せ、河の上からガートを眺めさせたり、物売りの舟に付きまとわせたりするのだ。
 僕らのようなバックパッカーも含め、外国人観光客を乗せたボートは優雅なものだ。一艘に乗るのはせいぜい5~6人。しかし、インド人巡礼客を乗せる舟はそうではない。なけなしの金を出し合って舟を雇うので、僕達が5人で乗る舟に30人で乗ったりする。当然、喫水線がぐっと沈む。水面すれすれまで船べりが下がる。その状態で舟をこぎ出すのだ。何かの拍子に、わずかな水が船べりを越える。そこでパニックを起こす者がいたら最後だ。舟はあっという間に均衡を失い、基本的に泳ぐ習慣を持たない人々が、流れの速い河に投げ出される。他の舟につかまったり、差し伸ばされた櫂にしがみついて助かる者ももちろんいるが、それは幸運な者達だ。半分以上がなす術もなく溺れ死に、流れ死ぬ。

一切皆苦

 この国の人々に特徴的なのは、死んでいく者にも、またそれに立ち会う人々にも、運命に抵抗する意思がほとんど感じられない事だ。嘆きはしても、抗いはしない。ほんの小さな子供にさえ、哀しいくらいに諦(あきら)めの構えが出来ている。彼らにとって、死は非日常の何かではないのだ。自分と死とを分かつものは、カーテン一枚程度のものなのかも知れない。そのカーテンが突然暴(あば)かれるとしても、“ああ、自分の番が来た”という感覚なのだろう。
 そうした世界を生きる者にとって、生命の永続が理想にならないのは分かるような気がする。日常的に目の前の人間が死んでいく世界で、己一人の生命の永続は、決して快楽ではあるまい。むしろ苦痛以外の何物でもないだろう。デカンや南インドの状況は知らないが、少なくとも北部のヒンドゥスタン平原で生きる人々の生は、例えば日本で生きる我々の人生よりも、はるかに具体的な苦痛が多いだろう。他者の死に直面する機会が多いのもさることながら、大多数の人々は、経済にも福祉にも教育にも、またそうした状況を覆しうるチャンスにもほとんど恵まれない。いまだにカーストが根強く残っているため、子供達は自分の将来の展望を自由に描くことがそもそも難しい。困難に満ちた親の人生を、自分もまた繰り返さねばならないことを、幼いうちに思い知らされるのだ。乞食の子として生まれるか、攫(さら)われて乞食の子となれば、物心(ものごごろ)がつく前に、親によって腕、足、目のいずれかを損なわれる。そうしないと他者の憐みを乞うことができず、乞食として食っていけないのだ。
 かつての中国ほど厳密ではないが、インドでも一人っ子政策を掲げてはいる。それでも農村で人口が増えてしまうのは、娯楽が少ないとか、避妊具が普及していないなどという牧歌的な理由ではない。親である自分が年老いた時、子が一人しかいなければ、親の余生を一人で背負えない子によって、親の自分が放逐されるからだ。子の人数が多ければ、負担を分散できる分、老後の保障となる。が、娘が多いと逆に地獄を見ることになる。農村では、女性は結婚して夫の家に入らぬ限り基本的に生活出来ない。嫁がせるには多額の持参金を用意せねばならず、これが少ないと嫁ぎ先で酷(むご)い扱いを受ける。娘を不幸にしないために、娘の親はひどい苦労をすることがしばしばあるが、その苦労を見るに見かねた娘たちが全員縊(くび)れ死ぬことなど、さほど珍しい話ではない。
 “人生は苦である”、“生を滅することで、苦を滅することができる”という発想は、こうした事情と背景を肌で感じられるようになると、動かし難いリアリティと共に肚(はら)に落ちる。北インドの大地と風土では、生は快楽ではない。まして、その永続が理想になりはしないのだ。

永遠なる現在

 生命は、永遠の生まれ変わりを繰り返す、という輪廻の発想がなぜ生まれたか、これもヒンドゥスタンの大地を旅する中で、わずかながら想像することが出来た。
 インドでは、農村だけでなく都市部においても、動物をよく見かける。特に目にするのは牛、犬、猿だろうか。これらの動物たちは、野生でないのは無論だが、さりとて人間の厳重な管理下に置かれているわけではない。農村で農耕・搾乳に資する牛ならそれなりに管理されているはずだが、僕はインドを旅していて、柵や檻の中にいる牛、犬、猿は一度も見たことがない。彼らは基本的に人間たちと同じ空間を、場合によっては人間以上に自由に動き回る。この光景に慣れると、動物たちと人間とが、同じ地平に立っている生き物――“仲間”とまでは言えなくとも、“隣人”くらいの感覚で――としか思えなくなる。
 人間たちの方に彼らに対する警戒心がほとんどないため、彼らもまた人間をさほど警戒しない。そのため、“野生”とは違った意味で、彼らの“素”の表情に日常的に接することになる。
 そうした在り方をする動物というのは、妙に人間臭く見えるものだ。一匹ごと、一頭ごとの個性も普通に感じとれるし、時には哲学的な風貌さえ帯びて感じられることもある。また、ある牛の態度や犬の眼差し、猿の挙措に、親しい人間のそれが重なって見えることも珍しいことではない。もしかしたら、この国を生きる人々が古代から“カースト”なる厳しい身分制度を敷いたのは、あらゆる生き物が同じ地平に立っているとしか感じられない世界に人間の社会を構築するため、殊更(ことさら)、それこそ嵩(かさ)にかかって階層や区別を持ち込む必要があったからではないか。そんな風にすら思えてしまう。
 この大地を生きた人々が、古代から歴史書を書かなかったことは、高校で世界史を学んだ者なら知っているだろう。おそらく、そういう感覚が成立しにくい風土なのだ。実際、インドを旅していると、時間感覚が混乱したり、失われることが少なくない。一日の中での朝・昼・晩くらいは区別がつくが、一週間後とか、一か月後、という概念が怪しくなってくる。少し大袈裟に言うなら、今日の次に明日が来る、というのではなく、今日という一日を際限なく繰り返す感覚になるのだ。また農村を旅していると、人々や動物たちの緩やかな生活リズムと相俟(あいま)って“この風景って、千年前も千年後も変わらないんだろうな”とごく自然に思えてしまう。もちろん“文明の利器”なるものがいくばくか持ち込まれるようになることは想像するが、基本的な生活風景やスタイルの変化をどうしても想像できない。目の前の農夫が、千年後も同じ姿で働いていることを当たり前に考えてしまう。“発展”とか“進化”とかいった西洋的発想が、まったく降りてこないのだ。

 ――過去も未来も、全て現在のこの瞬間に集約されている――

 インドで体験するのは、こうした時間感覚だ。
 人間臭い動物たちの表情や、現在を反復する時間感覚に取り囲まれ、あるいは浸っていると、輪廻の発想が非常に無理のないものに思えることがある。かつて死んだ親しい者は、いなくなってしまったのではなく、例えばそこで寝そべっている牛の眼差しの中に生きている。ある程度の重量を持つリアリティで、そのように受け止めることが極めて自然な営みとして感じられることがある。

 ――生あるものは、たとえ死んでも姿を変えて現在の時間に生きつづけ、それを反復し続ける――

 この大地と風土の中では、そうした感受性の方が、日々を生きる実感との整合性を、より尽しているのだろう。
 生は苦であり、またそれが際限のない現在の中で繰り返されるのであれば、その生そのものを免れることが理想になるのは、考えてみれば当たり前のことなのかもしれない

輪廻:アイデンティティとリアリティ

 この輪廻の概念が、肉体と精神を分けて考える二元論をベースにしていることは容易に理解されるだろう。死ねば肉体は滅びるが、形を持たない精神は残ってしまうので、別の肉体に宿ることで再生する。この考え方がどの程度の科学的・医学的根拠を担保できるかは、素人である僕の知るところではないが、生身の肉体とマインドで現実を生きている我々なら、取り立てて説明されなくともごく自然にイメージできるものだろう。だが、死後に精神が肉体から離れる、という所までは自然にイメージできても、その離れた精神が何故別の肉体に宿らなければならないのか、という事になると、その必然性を説明するのは難しいかもしれない。もしこれを子どもに訊かれたら、答えに窮しない人はほとんどいないのではないだろうか。
 死後に残るマインドについては、ヒンドゥー教では“霊魂”“魂”と呼び、仏教では“意識”と称する。両者は厳密には別の概念であるらしいが、自己を自己として認識する主体、という意味で“アイデンティティ”と置き換えれば、両者を包括することは出来る。また、アイデンティティという概念に対応しうるものとして、肉体を“リアリティ”の概念に置き換えると、輪廻の全体像と、それに関わる必然性が理解し易くなるかもしれない。
 通常人間は、自己が自己であるという認識を、自分の身体をベースにして保つのが普通だろう。自分が自分である実感と根拠を、己の肉体に求める。つまり、自分は身体とイコールとして考えられているはずだ。別のいい方をすれば、自分が自分であるという認識は、具体的な身体があってはじめて可能になる。肉体や身体というリアルなものが客体として存在しなければ、己が己であるという、主体としてのアイデンティティが成立しない。アイデンティティとは、リアリティと結びつくことではじめて成立する認識のあり方なのだ。
 死によってリアリティとしての肉体が滅びれば、当然抽象的なアイデンティティは宙に浮くことになろう。だが、アイデンティティは、己を己として認識させるに足る具体的な客体がなければ成立できない。なので、アイデンティティはアイデンティティであることを続けるために、自動的に別のリアリティと結びつかざるを得なくなる。
 こう考えれば、科学的・医学的根拠は措(お)くとしても、輪廻の全体像とそのシステムが、ある程度の説得力を伴ってイメージしやすくなるのではないだろうか。

 輪廻をそのように捉えることが出来るなら、“解脱”の概念もイメージしやすくなろう。つまり、何らかの方法や事情でアイデンティティが消滅することで、死後別のリアリティを要求しない、つまり再生しない状態になることだ。アイデンティティは決定的にリアリティを要求するものである以上、死後にリアリティと結びつかない状態を継続することは理論上矛盾する。まあ、そうしたアイデンティティのあり方を指して“幽霊”と称するのかもしれないが、幽霊を“解脱した存在”とは言わないだろう。とすれば、解脱して死後に別の生命として再生しないためには、アイデンティティの消滅がどうしても必要になるはずだ。そう考えれば、我々日本人になじみの深い仏教は、説くところは様々あるだろうが、「アイデンティティを消滅させる方法論」と捉えることも出来よう。
 上記から、輪廻や解脱の構造は比較的イメージしやすくなると期待するが、ここに大きな疑問が出てくる。なぜヒンドゥー教では、ガンガーで沐浴したり、死後に焼いた灰をガンガーに流すことで解脱が実現するとしたのだろうか。
 僕がインドを旅し、ヴァラナシで様々な人間たちの相に触れた実感では、これが過酷な風土を苦しみに塗(まみ)れて生きる哀れな人間どもに呉れてやる、なけなしの希望であるとはどうしても思えない。この風土を生きる、哲学的思考に日常的に沈潜する人々が、こんな子供だましを本気にするとはどうしても思えないのだ。そうでなければ、この国を生きる人間たちの、剥き出しだが動かし難い存在感や、一つ一つの感情や表情の深さ、わずかな挙措にもにじみ出る哲学性が説明できない。
 この大地を生きる人々から強烈に受けるのは、それが良きものであれ悪しきものであれ、容赦の無いリアリティをもって迫る“真”の手ごたえだ。そうした人々が最もリスペクトする、ヴァラナシにまつわるストーリーが“虚”であるなら、この世界のすべての営みが、その意味と色彩の全てを失ってしまう。これほど恐ろしいことがあろうか。真偽など、もはやどうでもよいが、それだけは許されてはならない。それだけは認めるわけにいかない。
 そう考えた僕は、ヴァラナシの赤茶けたガートの石段で、2週間座り続けた。

ガンガー:もう一人の自分

 ガートの石段で、自分の呼吸を落ち着け、ただひたすら目の前に展開する光景や営みを見続けた。自分では意識していなかったが、このことが僕に、一定の深さを伴う瞑想をもたらしたのかも知れない。ある日数を過ぎてから、僕の胸は三つの問いによって占められた。それ以外の考えが、全く浮かばなくなった。

 この人々は、何のために生きているのか
 この人々は、何のために生まれて来たのか
 この人々を受けいれるガンガーとは、何なのか

 だがこの問いは、目の前に広がるガンガーの光彩から、同じ強さで跳ね返される。

 では自分は、何のために生きているのか
 では自分は、何のために生まれて来たのか
 ではそのように考える自分とは、一体何者なのか

 この大地と風土を生きる人々が、その人生において、日本人である僕よりもはるかに多くの具体的苦痛を経験することは間違いないだろう。しかし、苦痛の多い人生が、必ずしもそれを生きる意味を小さくすることはあるまい。彼らよりも安穏な生活が出来るからといって、僕の人生がより生きるに値するものだなどと、どうして言えようか。ヘレン・ケラーの生涯が、無価値であると誰が言えるだろう。また、日本人の過酷な労働環境や学歴を得るためのストレス、離婚率、自殺率などを考え合わせるなら、具体的・抽象的苦痛の総量が、この国の人々よりも少ないという保証はない。むしろ、具体的苦痛との葛藤を強いられる分、この国の人々は、抽象的苦痛については免れるところが大きいのかもしれない。苦痛の大小・軽重など量りようはないし、仮にそれが可能だとしても、その軽重で人生の価値の軽重が決まるわけではない。
 “この人々は、何のために生きているのか”という問いは、“自分は何のために生きているのか”という問いで跳ね返されてしまう。他者への問いは、自己自身への問いと等価なのだ。
 ガンガーは、こちらからの問いかけに、同じ強さと内容で問いを返してくる。押せば押し返され、斬り込めば斬り返される。そうしたループする問答を繰り返す中で、僕はあることに思い至った。

 ――つまりこの河は、俺自身なのだ――

 僕と同じ問いを、同じように発する主体。それは僕以外の何であろう。

宿命の人

 ちょうどそんな折、ある一人の老婆と出会った。
 彼女は、僕と同じように、毎日決まったガートの石段で何をするでもなく座っている人だった。時々思い出したようにガンガーに向かって掌を合わせたり、口をもぐもぐさせて、何か祈りめかしい詞(ことば)をつぶやいていた。もしかしたら、僕がそこで座り始めるよりずっと前からそうしていたのかもしれない。だとすれば、“出会った”というより“気付いた”という方が正確な言い方になるが、人の気配には比較的敏感な僕が気付かなかったくらい、その老婆は存在感の希薄な人間だった。というより、ガートの石段のある石が、そこにそうして嵌(は)まっているのと変わらない居ずまいだったため、あまりに自然でありすぎて注意が向かなかったのかもしれない。石段を構成する中の一つに過ぎない石に、格別の注意を向ける人はいないように。
 が、多少の注意をもって見てみると、この老婆はそれなりに特徴的な姿をしていた。というより、そうとう際立った風貌だった。
 まず、色がとんでもなく黒い。また、北インドで普通に見かけるインド人たちとは異なる顔立ちをしていた。かといって、ネパールからやってくるチベット系でもなさそうだ。さらには、どうしようもなく惨めな身なりだった。この後(のち)、スリランカに渡った僕は、そこで出会う乞食の服装が、北インドの一般庶民よりもずっと上等であることに溜め息が出たが、その北インドの一般庶民よりずっと粗末な身なりである乞食と較べても、さらに惨めな服装だった。というより、これを“服”と称していいか戸惑うほどだ。なるほど、簾(すだれ)みたいな紐(ひも)のつながりが、肩や頭からそれらしくぶら下がっているのは確かだが、これは“着ている”のだろうか。また、その布切れの色も、煮しめた昆布みたいな感じで、元の色や柄の痕跡がほとんど残っていない。腰布一枚で過ごすサドゥーの方が、よほど様子よく、堂々として見える。
 武道や格闘技である程度の経験を持ち、相手との間合いや呼吸、気配には自然に注意の向く僕に、ここまで凄まじい外観を持つ人物が、その存在を感じさせなかったのだ。この事実に、まず僕は驚いた。この婆さん、只者ではないかも知れない。
 なるべく相手に警戒感や威圧感を与えないように心を配りながらその老婆に近づき、声を掛けた。老婆は最初、この異国の若者に声を掛けられたことが余程意外だったらしい。小さからぬ戸惑いと怯(おび)えの色をもって僕を迎えた。声音を柔らかくして話しかけてみたが、言葉が通じない。ナマステくらいは分かってくれたが、僕が旅をしながら覚えた最低限のヒンディー語が、彼女には分からないらしかった。英語も通じない。僕は彼女に“ここで少し待っていてくれ”と身振りで伝え、宿に戻ってガイドブックを取って来た。
 巻頭のアジア全図を広げ、インド亜大陸を示し、“インディア”というと、老婆はややあって頷いた。次に日本を指さし、“ジャパン”。やはり頷く。日本を指さした指をそのまま僕自身に向けると、老婆は少し考えてから僕を指さし、“ジャパーニー”と言った。僕が頷く。
 次にガンガーを上流から指でなぞり、一旦川面を指さしてから地図の河をつつく。“ガンガー”。これも分かってくれた。“ヴァラナシ”。こくこく、と頷く。それから彼女をまじまじと見つめ、指さす。その指をインド全図におろし、首を傾げて見せた。意味は分かったらしい。
 老婆はしばし、ためつすがめつ、時に地図を傾げて眺めていた。二言三言、僕に質問する。もちろんわからない。が、しばらくして、戸惑いがちに地図の一点を示した。驚いた僕が、そこに書かれているアルファベットで発音すると、二、三度僕の発音とイントネーションを正してから頷いた。ほとんどインド最南端と言っていい場所だった。なるほど、彼女はドラヴィダ系なのだろう。北部の、アーリア系の人々との顔立ちの違いは、これで納得できる。話す言葉はおそらくタミル語か、その方言だ。
 しかし不可解なのは、これほど痩せこけて老いさらばえた、惨めな身なりの老婆が、どうやってヴァラナシまでやって来たのだろう。金などおよそ持っていそうにないし、直線距離でも約2,000キロあるのだ。
 あなたはどうやってここまでやって来たのか、ということを、身振り手振りを交え、何とかして伝えようと試みたが、老婆は戸惑うばかりで埒(らち)が開かない。彼女もこちらの言うことを理解しようとしてくれているようなのだが、僕の要求を確かめようとする彼女の言葉が僕には理解できないのだから、如何ともし難い。考えてみれば、仮に彼女が僕の言わんとする所が分かったとしても、彼女の説明を僕が理解することは出来まい。散々もどかしい試みを繰り返したが、とうとう諦めるより他ないことを思い知らされた。
 立ち去り際、僕は思いついてズボンのポケットをまさぐり、指に触れたくたくたの5ルピー紙幣を抜き出して、老婆に差し出した。因みに、僕は余程の事情が無いかぎり、乞食や物乞いに金を出すことはない。彼らに直接金を手渡す時に感じるかすかな浮遊感が、それがことさら非難されるべきものでないことは充分承知しているのだが、どうにも不潔なものとして感じられてしまうからだ。そういう自己嫌悪に苛(さいな)まれるくらいなら、“ケチ”と罵られる方がまだしもましだ、というのが当時の僕の感覚だった。
 が、見ず知らずの日本人に散々戸惑わされた、このみすぼらしい老婆に対し、何もせずに立ち去るというのはいかにも不都合に思われた。こういう事情で手渡す金銭で、浮遊感など感じはしまい。僕はむしろ安心して紙幣を差し出すことが出来た。
 差し出された5ルピーを見て、老婆がきょとんとする。意外な反応だった。皺くちゃだから分からないのかと思い、拡げて見せ、右手で物を食べる仕草をした。“この金で、何か食べなよ”という意味は分かるだろう。彼女は日が暮れればどこかで休むのだろうが、日中に食事を摂っているようには見えなかった。
 が、老婆は僕の意図を理解すると、歯がろくに残っていない口を大きく開けて笑い、顔の前で何度も手を振った。“要らない”という意思表示であるらしかった。驚いた。これまでこの大地を旅する中で、“金よこせ”“もっとくれ”“いくら出す?”という意思表示は飽き飽きするくらい見せられたが、“要らない”と言われたことは無かった。例えばこれが、僕が外国人であるとか、異教徒である、という理由なら分かるが、もしそうならもっと嫌悪感を示すのが普通だろう。しかし彼女は、実に屈託なく笑いながら手を振っているのだ。“いいから、取っておきなよ”と二度三度勧めてみたが、ついに老婆は受け取らなかった。
 何とも座りの悪い気分で立ち去り際、ふと老婆を振り返った。彼女は瞑目しながら、僕に向かって掌を合わせていた。僕が振り向いたからそうしたのではない。彼女は、そうやって僕の背中を見送っていたのだ。

周利菩提

 二日後、僕は一人の男を伴って老婆のもとを訪ねた。宿の主人に頼み、英語とタミル語の話せる人物を探してもらった。通訳である。老婆の掌を合わせる姿を目にして、どうしても彼女の事情を知りたくなったのだ。随分な金額を吹っかけられたが、言い値を呑んだ。この件に関しては、交渉する気になれなかった。
 ガートにうずくまる老婆を見て、通訳が渋った。日本人の僕には、彼女の外観のどこからそれを判断するのか分からないが、老婆は通訳の男にとって、接触が憚られる階層の人間であったらしい。契約を守れ、というと、さらに値を吊り上げようとする。一喝して脅し上げ、無理矢理連れていった。ただし、この男の体面に関わるというのは分かるので、老婆に頼み、人目に付かない場所に移動してもらった。
 随分戸惑わせてしまったが、どうにか会話することが出来た。ただし、この通訳がすこぶるいい加減で、通訳の能力も怪しい男であったため、実際にこの通りの意思疎通が行われていたのかは保証の限りではない。あくまでこの男の通訳がこの通りであれば、という話である。また老婆のタミル語も、通訳が言うには、かなり訛りの強いものであったということだ。

 “あなたは、ここで何をしているの?”
 ――待っている――
 “何を、待っているの?”
 ――死ぬのを待っている――
 “死ぬ? 誰が?”
 ――私が。そのためにここに来た――
 “どうやってヴァラナシまでやって来たの?”
 ――歩いて。物乞いをしながら――
 “歩いて? あんな遠い所から?”
 ――2年かかった――

 少し打ち解けてくると、彼女はここに至るまでの経緯を話してくれた。
彼女は、インド南端の農村で、小作人のような生活をしていたらしい。夫との間にもうけた4人の子供を失って、残った3人の娘を嫁がせるのにひどい苦労をしたそうだ。夫が死んで身寄りがなくなると、一人の娘の嫁ぎ先に身を寄せたが、自分という厄介者が来たことで、娘がその夫の家族から酷い扱いをされる。それが可哀想でならず、家を出る決心をしたらしい。もうこの苦しい人生を繰り返したくない。念願のヴァラナシを目指し、その地で灰をガンガーに流してもらおう。娘たちが僅かずつ金を持ち寄ってくれたが、すぐに尽き、乞食をしながら辿り着いた。ヴァラナシには、老婆のような事情の人間を受け入れる施設――死を待つ者の家――がいくつかあり、死後は焼いた灰をガンガーに流してくれる。今はそうした施設の世話になっている。

 彼女はごく淡々と、特に感傷の色も見せずに語った。この国では取り立てて珍しい話ではないのだろうが、僕はしばらく言葉が出なかった。ややあって、何とか言葉を繋ごうと、苦し紛れに尋ねた。

 “あなたの村からそう遠くない所に、マドゥライの街があるはずだ。そこにミーナクシ寺院という、とても大きな寺があると聞いている。そこに身を寄せようとは思わなかったの? 何故そんな苦しい思いをして、ヴァラナシまで歩こうと思ったの?”

 愚問であろう。だが、この問いを発したのは、あるいは僕にとって運命と呼びうる何かだったのかもしれない。

 ――そんな事は私にも分からない。知りたいなら、この河に訊いてみたらいい――

 僕の中で、何かの扉が激しく叩かれるのを感じた。老婆も僕と同じように、この河に向かって幾度となく問いかけたのだ。彼女にとっても、ガンガーはもう一人の自分なのだ。僕は今、この河を介して、老婆と同じアイデンティティを共有している――

 ――私からも聞きたい。なぜヒンドゥーではない日本人のあなたが、私よりもずっと遠い旅をして、この河にやってきたのか。何日もこのガートで座っているのか――

 ―――分かった。
 解脱とは何か。何故この河で沐浴し、灰を流してもらう事で解脱できると考えられたのか。

 アイデンティティとは、相対性を基盤とする概念だ。自分を、他の誰でもない自分として認識するには、他者の存在が不可欠である。自分と他者との相違によって、自分を自分として認識する。逆に言えば、他者が存在しない所にアイデンティティは成立しない。
 例えて言うなら、光の中でしか生きていない者は、自分を取り巻く環境を“明るい”とは認識できない。影や闇という“他者”を経験しなければ、明るいという事実があっても、それをそれとして認識することは出来ない。同じように、己を己として捉えるには、己ではない何者かが存在し、それと交渉することが絶対的に要求される。他者の無い所には、自己もまた無いのだ。
 もし、あらゆる生命が輪廻する存在であり、その果てしない生と死の繰り返しのどこかでこの河に辿り着き、僕と同じようにこの河に向かって問いかけるのであれば――

 ――あらゆる生命は、一つのアイデンティティを共有する――

 その時、僕は他者を失う。過去・現在・未来の全ての生命と、僕は一つの自己となる。そしてその瞬間、僕というアイデンティティは消滅する。もし今のこの生で、そうした状態に至るなら、もはや死後に生まれ変わることはない。
ガンガーでの沐浴や、灰を流す行為は、もう一人の自己、アイデンティティの媒介たるこの河との、一体化の象徴なのだ。
 仏教で、生きとし生けるすべての生命への愛――慈悲――を説くのは、道徳が目的なのではない。愛情や慈悲とは、対象との一体化を求める心の働きだ。すべてのものに心の底からの愛情を向けることが出来たとき、その愛や慈悲の主体は、主体であることから離れる。愛や慈悲は、解脱に至るための最も強力で最も有効な方法なのだ。

可憐なる祈りへ

 次の日、一日かけて、僕は日本から持ってきた小さな千代紙の束をさらに小さく切り分け、百八羽の鶴を折った。それを一本の糸に通す。夕刻、ガートに降りると、老婆が座ったまま迎えてくれた。持ってきた折鶴を見せ、戸惑う老婆の背にまわり、首の後ろで糸を結んだ。彼女はうろたえていたが、それが僕からの贈り物だと分かると、何度も胸に下がった小さな鶴を手に取り、申し訳なさそうな顔で、本当にもらっていいのか、という仕草をした。僕が笑って手のひらを差し出すと、やっと笑顔を見せてくれた。
 「俺は明日、ヴァラナシを離れる。あなたに会えてよかった。有難う」
 どうせ言葉が通じないのだ。日本語でそう言った。しかし、彼女は何かを察したらしい。僕の右手を両手で包み、それを何度もゆすった。両眼には涙が浮かんだ。
 「あなたの願いは、きっと叶うよ。俺達は、一つの何かだ」
 老婆の頬に、涙が伝う。僕は腰を上げた。彼女と同じものを、相手に見せたくはなかった。
 歩み去る時、どうしても堪(こら)えきれず、老婆を振り返った。夕陽の中で、やはり彼女は僕に向かって掌を合わせていた。

 それは、これまで僕が見た中で、もっとも美しい人間の姿だった。

 恐らく僕は、何かを得たのでも、何かを知ったのでもないのだろう。ただ己という存在の、一番奥底の相を、確信したに過ぎない。
 しかし、それを確信し、何かに向かって祈ることは、意味の無いことではないだろう。老婆の祈る姿が、あれほど美しかったように。

 これを読むあなたが、いつの日かヴァラナシを訪れることがあるのなら、聖なる河に向かって掌を合わせ、祈ってほしい。自分は、お前と一つのものだと。その祈りは、少なくとも無意味なものではない。恐らくは、この世界に実現される、最も美しい何かなのだ。

INTRODUCTION of THE WRITER

山家衛艮
name. 山家衛艮
長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、国語科予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段(夢想神伝流)。これまで小説・エッセイ等で16のコンテストで受賞経験あり。2016年、信州真田郷:「延喜式内 山家神社」の衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「夢を叶える145」にも記事を掲載中。右利き。

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ヒンドゥー教最大の聖地ヴァラナシ。この地を北流する聖なる河:ガンガーに祈りを捧げ、沐浴するために、インド中からあらゆる人々が集う。しかしこの聖地は、清浄とは程遠い。最も神聖な場所であるガートは、ありとあらゆる汚穢で埋め尽くされている。このヴァラナシはなにゆえに聖地なのか。なにゆえにこの大地を生きる人々は、ヴァラナシを目指すのか。その答えは、人間の最も美しい姿の先にある。