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光と自由を追い求めたフランス印象派の画家たち

19世紀のフランスで、印象派は誕生しました。政治や社会が激変し、近代化の波が押し寄せる中、持ち運びのしやすい絵の具、鮮やかな色彩の登場により、フランス印象派は近代絵画への道のりを歩き始めます。印象派の絵の具にまつわるエピソード、光と色の三原色に基づいて描かれたタッチについてご紹介いたします。どうぞご覧ください。

時代の革命児だったフランス印象派

今日では「フランス印象派」と呼ばれる画家たちは、巨匠として知られ、日本でも親しまれていますね。クロード・モネをはじめとする、ルノワールやエドガー・ドガといった印象派の絵画は、誰しもが一度は目にしたことがあると思います。19世紀の近代的な生活、身近な風景を題材にした印象派の絵画は、私たちの心にこぼれるような光と、自由な空気を感じさせてくれます。ですが、19世紀のフランスでは、田園や都市の風景、市民の生活をありのままに描くことは、権威との闘いであり、美術界に革命を起こすことでもありました。

初の印象派グループ展開催

1874年、前衛絵画を試みる、若手画家たちのグループ展が開かれました。この展覧会は、パリ市内の写真スタジオで開催され、のちに「第1回印象派展」と呼ばれるようになります。上の画像は、記念すべき第1回印象派展が開かれた、写真家ナダールのスタジオです。当時はまだ、画家たちにはグループ展や個展を開く習慣がなく、サロン(官展)への出展が一般的でした。そのためか、このグループ展は、パリ有数の繁華街というロケーションにもかかわらず、来場者は1日平均100人程度だったと言われています。また、厳しい審査もなく、自由な雰囲気だったため、第1回目から女性画家のモリゾも参加しています。当時女性画家がサロンへ作品を出展することは難しく、この展覧会は、女性に活躍の場を提供できる自由さだったことが分かります。

「印象派」という新しい時代の到来

モネの描いた「印象、日の出」

クロード・モネの「印象、日の出」は、朝霧の中で輝く太陽、光の加減や色彩、ぼんやりとした煙突、空気の微妙な揺れといった瞬間を、目で捉えたまま手早くキャンバスに描かれています。一方で、モネの描いた波は、筆の跡がはっきりとわかりますね。しかしながら当時のフランス美術界では、17世紀の古典的な手法が規範とされており、筆の跡が残らないように色を塗ること、対象物は具体性を持って描くことが鉄則でした。モネのような少々荒っぽいともいえる斬新なタッチとあいまいな形は、絵画の常識を覆すものでした。そのため、1847年に開かれた「第1回印象派展」で、一般の人々や批評家に嘲笑され、新聞記者には皮肉交じりの酷評をされるという結果になりました。今では信じられない話ですね。

ピサロの描いた「白い霜」

ピサロの描いた「白い霜」は、冷え込んだ空気、茶色い地面に降りる霜、農村の風景などが、明るく温かみのある色と共に描かれています。土に降りた冷たい霜は、混ぜた絵の具を使わず、地面の色を塗った後、灰色や藤色を重ねて描かれています。絵の具を厚く重ねていく手法で、地面に霜が降りる様子を再現したと言えます。ピサロは、チューブから絵の具を出してそのままキャンバスに乗せたり、意外性のある色を微妙に塗り重ね、農村の何気ないヒトこまを豊かに描きました。ですが、霜柱を描いた荒っぽいタッチは、やはりモネと同じように「第1回印象派展」で、酷評されてしまいます。

新しい絵の具と画材は印象派に欠かせない?

チューブ入り絵の具がモネやピサロを戸外へ連れ出した

初期のルノワール、クロード・モネ、ピサロといった印象派の画家たちは、刻々と移り変わる光や風景を追い求めて、自由に戸外での制作に取り組むようになります。アトリエで絵を描くことが常識だった時代に、画家たちを戸外へ連れ出したのは、チューブ入りの絵の具だったと言われています。ブリキのチューブに入った絵の具は、19世紀にイギリスで開発されました。一説によるとそれ以前は、豚の内臓に、自ら調合した絵の具を入れていたそうです。手間がかかるうえ、持ち運びが容易ではなく、時には容器の内臓が破裂し、絵の具が飛び散るという惨事も起こっていたようです。

「印象派」の名にふさわしい制作スタイル

チューブ式絵の具の他にも、口金のついた絵筆、持ち運びのしやすいイーゼルが19世紀に生まれ、戸外での制作活動を後押しする形となっていました。フランスにも押し寄せていた近代化の波は、鉄道やガス灯、カフェ、ファッションなど庶民の生活を一変させ、画家たちの制作スタイルも変化させました。絵の具の変遷は容器だけにとどまりません。様々な化学合成顔料を使った、鮮やかな色彩の絵の具が開発され、画家たちは、安価な価格で絵の具を手に入れられるようになりました。

化学合成顔料がフランス印象派を支えた?

印象派が好んだセルリアンブルー

19世紀に入り、美しい発色と安価な価格を兼ね備えた化学合成顔料が登場します。コバルトブルー、ヴィリジアン、カドミウムイエローなどは、印象派が誕生する以前から使われていましたが、1860年代にセルリアンブルーが登場し、絵の具の色彩はさらに幅広くなりました。明るい空色のような鮮やかなセルリアンブルーは、印象派の画家たちに好んで使われていました。また、浮世絵ではベロ藍とも呼ばれるプルシャンブルーも、印象派の画家たちは、やはり好んで使います。ですが、発色が良すぎたため、「扱いが難しい」とルノワールが、仲間にメモ書きを残したと言われています。近代化の生み出した化学合成顔料も、印象派の誕生に一役買っていると言えそうです。

かつては高価だったウルトラマリンブルー

現在使われている絵の具は、ほとんどが化学合成された顔料から作られているため、安い価格で自由に色彩を作ることができます。それ以前は、絵の具は天然の顔料から作られていたため、貴重なものとされていました。また、顔料によっては原材料が手に入れづらく、とても高価なものもありました。例えば、ウルトラマリンブルーは、半貴石のラピスラズリを細かく砕いてすりつぶし、顔料にしていました。ラピスラズリは、アフガニスタンを中心とした地域だけで産出されるため、大変貴重でした。ウルトラマリンブルーは、半貴石から作られる深い青にふさわしく、西洋絵画では聖母マリアの色とされていました。日本では瑠璃色と呼ばれ、仏教の七宝の一つとされています。

フランス印象派の斬新なタッチとは?

印象派が生み出した筆触分割法

印象派の筆遣いはそのころの画家に比べると、明らかに違いがみられますね。細部まで丁寧に塗りつぶすのではなく、短く力強いタッチを重ねる筆触分割の技法で表現しています。印象派の中心となったモネの作品は、この技法が顕著に表れています。筆触分割とは、絵の具を混ぜて混合色を作らずに、原色を使います。キャンバスの上に絵の具を塗るというよりは、色とりどりの絵の具を並べる感覚に近くなります。印象派の絵画に、光が溢れ、輝きや鮮やかさを感じられるのは、筆触分割で描かれているからなのですね。

筆触分割を生んだ科学的な理論「光と色の三原色」

光と絵の具には、決定的な違いがありました。光は、色を混ぜると明るくなる性質を持ち、赤(R)、緑(G)、青(B)を重ね合わせると白色になります。上の画像の最上段にある文字は、色がすべて重なっているため白色になっています。これは「光の三原色」と呼ばれています。ところが、絵の具は「色の三原色」と呼ばれ、混ぜれば混ぜるほど色が濁り、黒くなります。自然界の光と絵の具は、全く逆の性質を持っていたのです。そこで、印象派の画家たちは、画面から濁りをなくし、明るい色彩にするため、キャンバスに原色を乗せていき、パレットではなく網膜で色を混ぜる筆触分割が生み出したのです。印象派の絵画が明るく鮮やかなのは、科学的根拠に基づいて描かれているからなのですね。

印象派の鮮やかな美しさは近代化の波があったから

チューブ入りの絵の具、鮮やかな化学合成顔料は、フランス印象派にとって、なくてはならないものだったと言えます。また、光の三原色という科学的根拠があったからこそ、筆触分割法は生まれました。どちらが欠けていても、今のような明るく鮮やかな印象派の絵画は生まれなかったのではないでしょうか。今ではどちらの技術も珍しいことではありませんが、印象派の絵画に触れた時は、近代化の波も連想していただけると幸いです。印象派の絵画は、離れて見るのと近くで見るのとでは、また違った様相を表します。近づいてタッチを眺めたり、離れて光の雰囲気を味わったりと楽しんでみてください。

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grazie.mimo
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