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レディオヘッド 「パラノイド・アンドロイド」 の幻視した未来

英国を代表するロックバンドの一つであるレディオヘッドのサードアルバム「OKコンピューター」に収録されている楽曲「パラノイドアンドロイド」。 この楽曲ののプロモーションヴィデオはアニメーション作品ながら、色々と考えさえられる作品になっています。 そこで、自分なりにこの映像作品が「何を伝えたかったのか」を考えてみたいと思います。

レディオヘッドについて

まずは「パラノイド・アンドロイド」を作曲したレディオヘッドについて。
レディオヘッドはイギリスのロックバンドです。
1992年にEP「Drill」でメジャーデビューを果たしました。
1993年には1stアルバム「Pablo Honey」を発表。このアルバムに収録された「Creep」が当時の若者たちに絶大な支持を受けました。
当時の楽曲はオルタナティブ・ロックやUKシューゲイザーの影響が強いトリプルギターにベース、ドラムといったオーソドックスなスタイルのバンド編成でしたが、1995年にはギターロック色を強く押し出しながらもアコースティックギターやサイケデリックロックの影響を昇華した2ndアルバム「The Bends」を発表し、人気を不動なものとなりました。
このアルバム以来、レディオヘッドはプロデューサーにナイジェル・ゴッドリッチを選ぶようになります。
1997年には3rdアルバム「OKコンピューター」を発表。このアルバムは1990年代のポップ・ミュージックを代表するアルバムとして現在でも評価されています。
2000年にはエレクトロニカや現代音楽に傾倒して作られた4thアルバム「Kid A」を発表。
2001年には同時期に作られた5thアルバム「Amnesiac」は1920年代のスウィング・ジャズを取り入れた作品となり、ジャンルにとらわれない音楽性を明確にしました。同年には初のライブアルバム「I Might Be Wrong-Live Recordings」を発表をしました。
2003年には6thアルバム「Hail to the Thief」を発表しました。このアルバムは今までの実験性を包括したうえでバンドサウンドへと回帰した作品となりました。
また、2006年にはボーカルのトム・ヨークが1stソロ・アルバム「The Eraser」を発表しました。
2007年に7thアルバム「In Rainbows」を発表。購入者が自由に値段を決められる形式で販売されたことも話題になりました。
2008年には初のベストアルバム「Radiohead:The Best Of」を発表しました。しかしバンドメンバーは殆ど曲順やアートワークなどには携わっておらず、契約レコード会社のEMIが残されたアルバム契約を消化するために行ったものだそうです。
2009年にはトム・ヨークはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストのフリーやレディオヘッドのプロデューサーのナイジェル・ゴッドリッチと共に新たに「Atoms for peace」を結成してました。そして2013年には1stアルバム「AMOK」を発表しました。
また、2010年よりフィル・セルウェイはソロ・アルバム「Familial」を発表しました。
2011年に8thアルバム「The King Of Limbs」を発表すると、同時期にリミックスシリーズの発表も行うなど、精力的に活動を行っています。
そして2016年には9thアルバム「A Moon Shaped Pool」の発表しました。
このように、レディオヘッドは長いバンド活動の中で、これほど実験性に富む音楽活動を行いながら、世界中で評価されています。
村上春樹もレディオヘッドのファンであり自分の小説「海辺のカフカ」で主人公の好きな曲に「レディオヘッド」の「KID A」を上げさせています。

「パラノイド・アンドロイド」のストーリーについて

「パラノイド・アンドロイド」は3rdアルバム「OK computer」に収録された曲です。
「一人の少年が朝、目が覚めて、悪夢のような一日を過ごす」というのがストーリーの概要になっています。
そこで少し細かくストーリーを追っていきたいと思います。

ベッドから転げるような形で寝ていた少年が、シャワーを浴びながら自分自身の目を洗います。
目を洗いながら、ぼんやりとした光景が浮かぶ中、友人から電話があります。
一方、「ある男」は国際的なサミットに参加をしていました。
少年は友人とタクシーに乗り、街をから出て、一本の木に住む女性と出会います。
少年たちはその女性に裸を見せられ、無理やり金銭を要求されます。結局、少年はお金を払い去っていきます。
一方、国際的サミットではフランスの国旗を持った男性が一人残されて涙を流していました。
少年たちはペットショップに入店して、魚を眺めていました。
その後、サミットに出席していた「ある男」と少年たちはバーで並んでドリンクを飲んでいました。
少年は奇妙な踊りをする男性たちの中で、グラスを空け続けます。
ドリンクが足にかかったことに少年に怒りをぶつける客を無視して、バーの店主の胸をもみ続ける少年の友人。
剰え、バーの店主にも水をかけられてしまい、少年は店から出ていってしまいます。
一方「ある男」はタクシーに乗った後、タクシーを橋の上で降りて、川を渡る船を見ながら、たたずんでいました。
そこに登場する少年は街灯をよじ登り、座り込みます。少年は友人や「ある男」が声をかけても降りてきません。
突然裸になった「ある男」はマスクをつけ、街灯を斧でたたき始めます。
天使がヘリコプターで少年を連れ去る中、街灯を斧でたたき続ける「ある男」。
一方天使は少年にヘリの操作を任せて、ビルディングに到着。ピンポンを始めます。
いつの間にか二人がいなくても自動的にピンポンをし続けるラケット。
相変わらず斧で街灯を叩き続けていた「ある男」は自分自身の手足を斧で斬ってしまい、橋の上から落下します。
「ある男」は海の底で人魚に助けられます。
一方、天使と別れた少年は街灯から降り、友人と再会してタクシーに乗ります。
手足を無くした「ある男」は人魚たちによって、女性の住む木に置いていかれます。
まるで子供のようになすすべもなく毛布にくるまった「ある男」は鳥から餌を貰うのでした…。

以上の内容が「パラノイドアンドロイド」のプロモーションヴィデオのストーリーの概要です。

「パラノイド・アンドロイド」の幻視性

「パラノイド・アンドロイド」のプロモーションヴィデオはアニメーション作品であり、シンプルな線で作られていますが、内容は非常に暴力的でグロテスクの要素があります。また少年たちの行動には、一定性が感じられません。この行動の一定性の無さが、このアニメーションをユニークにしています。
また、「水」が非常に大きなイメージとして「パラノイド・アンドロイド」の世界を繋げています。
少年が目を洗いながら見るのは未来視として描かれています。
イメージとしては「シャワーを浴びながら未来を幻視する少年」→「大木のわきを流れる川」→「金魚鉢の中で泳ぐ魚」→「バーで出されるドリンク」→「四肢自ら切断した男が落ちる川」→「人魚たちが住む川」→「その川と大木のわきを流れる川は繋がっていた」
と「水」が大きなイメージとして、繋がりを作っています。
何故、水がイメージとしてつながるように作られているのでしょうか。
それは、前述したように少年がシャワーを浴びながら見た光景(幻視)が、「ある男」の切断された四肢だったからです。
本来なら国際的なサミットに出るような人物である「ある男」と、普通に暮らしていると思われるパンクスたちが、かかわりあう可能性は非常に低いです。
そのことから、ここに表現されているのは幻視の可能性であり、それは預言としての未来視として捉えることが出来ます。

「パラノイド・アンドロイド」の暗喩性

そもそも幻視とは、人間が日常的に見る幻の風景を指します。そのため眠りながら見る夢とは違った意味合いを持つことがあります。
この映像から読み解けるのは「この少年は普段より幻視に悩まされているのだろう。」ということです。そして「その幻視を解消するために神経症的に目を洗う行為を行っているのだろう。」と想像できます。
しかし、今回たまたま、幻視された未来が現実の現象としておこってしまいます。
ただ、幻視した少年は結局その現象を現実には見ていません。ただ天使と戯むれていただけでした。
少年を助けるため四肢を切断した「ある男」は、子供のような姿にされ、木に上に置いて行かれてしまいます。まるで生贄のように鳥はエサを男に与えようとするのでした。
この内容だけ読み取ると「国際的なサミットに出るほどの『ある男』がふとした拍子に、少年を助けようとした結果、本性を現してしまい、最後には見るも無残な姿になってしまった」ようにも見えてしまいます。
善意が報われない物語のようにも思えます。しかし、実は「ある男」は少年がバーでひどい目にあっている時、酒を飲み続けて一切無視をし続けていたのでした。
これは、人間は自分の行為行動に一切の責任を持たないまま、何らかの形で関係を持ってしまっていることを暗喩しているのではないでしょうか。
その関係性の脆弱さを暗喩しているのが「パラノイド・アンドロイド」の持っているイメージなのです。

「パラノイド・アンドロイド」の変質性

「パラノイド・アンドロイド」のプロモーションヴィデオに描かれているのは、個人の幻視を混沌(カオス)の形式を用いて描いた未来の光景なのかも知れません。
大木に置いてかれた「ある男」を世話するのは、多分、そこに住む女性でしょう。そして少年たちはまた大木に住む女性に会いに行くでしょう。
何故か、女性は四肢を切断された男を養う立場になっています。そして、それは少年たちのせいでもあるのです。
金銭を要求する女性。そして少年たちはお金を払う。それは国の為、仕事をしてきた一人の「ある男」を養うためでもあるのです。
この物語は、今を生きるロンドンパンクスたちへの応援歌のようにも読み取れますが、一方で、ただ退屈な日常を少しうがった見方をして、憂さ晴らしをしているだけのようにも読み取れます。

むしろ、ここで描かれているロールプレイは起こりえるであろう事実ではなく、すでに起こってしまっていることを繰り返しているのに過ぎないのではないでしょうか。
「パラノイド・アンドロイド」は気づかなければならないことを伝えているのです。映像の中だけではなく、それを見る観客たちもまた、ある種、「変質的なアンドロイド」のように、自分自身にこだわり続けているということを。

「パラノイド・アンドロイド」の描いた未来

もし、このような未来に気付くことが出来たのならば、このロンドンパンクスたちは、どのような人生を歩むのでしょうか。
この「パラノイド・アンドロイド」が描いたものは選択の自由なのかもしれません。
もし、今後も女性に裸を見せつけられたうえ、金銭をふんだくられることになり、バーで客に暴力を振るわれ、店員に馬鹿にされたり、あまつさえ天使と卓球をすることになったとしても、少年にとってはおこりえる人生は同じことでしかないのです。
この選択の自由についての諧謔と皮肉を描いた映像作品は「パラノイド・アンドロイド」が発表された1997年から20年たった現在でも、不穏な空気を醸し出しています。
特にパソコンやインターネットが発達した現代だからこそ、誰もがより自由に生活や仕事を選択することが出来るようになりました。
しかし、そこにあるのは選択した後の自己肯定や自己否定ではなく、選択することの自体の不自由さと、それにともなう選択における責任をどのように受け入れるかについて考えることなのかもしれません。
誰もが自由であることを義務付けられる世界は、誰かに自由に管理された世界よりも、もしかしたら、人間であることに対する一種の尊厳が必要になるのではないでしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
20年前に発表された一つの楽曲のために作られたプロモーションヴィデオは現在に起こりえる近未来を映す鏡だったのではないでしょうか。
もし、未来が過去によって幻視され、ある程度決定付けられているのならば、人間は本当に自由になることは不可能なのかも知れません。
もし自由がこの世にあるのならば、暗い未来よりも、ある光が感じられる未来を選びたいものです。
休暇の時に幻視された過去の映像を見るのも、興味深くたまの息抜きになるかもしれません。
良ければご覧になってみて下さい。

INTRODUCTION of THE WRITER

家出猫町
name. 家出猫町
家出をして猫町に住みたい。

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