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フットザコーチャー (foot the coacher) ミステリアスな孤高の靴職人が手掛ける精悍なデイリーシューズ

世界で最もミステリアスな靴職人の一人である竹ヶ原敏之介 。竹ヶ原敏之介氏が2000年にローンチしたブランドがフットザコーチャー(foot the coacher)です。フットザコーチャーを立ち上げる以前に、靴職人としてブランドをスタートさせていた、竹ヶ原氏は、靴職人として20年以上のキャリアの持ち主です。英国の名門シューズブランドである、トリッカーズで、修行をし、本場英国仕込のグッドイヤーウェルト製を得意とする、竹ヶ原氏が手掛けるフットウエアは、どれも英国紳士のように、精悍でノーブルです。優れた技量と、センスを持つ、竹ヶ原氏が手掛けるフットウエアは、多くのファッショニスタを熱狂させています。しかし、竹ヶ原氏は、殆どメディアの前に姿を現したことがありません。インタビーでも顔を見せない徹底振りが、竹ヶ原氏の手掛けるフットザコーチャーのプロダクトをミステリアスに、より魅力的に魅せているように感じます。英国の香りが漂う、孤高の靴職人が手掛ける日本のシューズブランドに迫ります。

フットザコーチャー(foot the coacher)とは?

2000年に設立した日本のシューズブランド

フットザコーチャー(foot the coacher)とは2000年に設立された、日本のシューズブランドです。創立者は靴職人である、竹ヶ原敏之介。

フットザコーチャーは、イギリスから帰国した、竹ヶ原氏が、ワークシューズや、デイリーシューズをメインに展開する為にローンチされたブランドで、当初は、殆どのシューズが、グッドイヤーウェルト製法によって生産されていました。

グッドイヤーウェルト製法は、英国靴の特徴的な製造方法で、ドレスシューズの聖地としても、名高い、ノーサンプトン出身のシューズブランドの多くが、この製法でシューズを製造しています。

耐久性に優れ、ソール交換も比較的簡単に行う事が出来る、グッドイヤーウェルト製法は、シューズを育てるように、履き続ける、英国紳士好みの製法であることから、英国に高級シューズブランドの証しと称されています。

柔らかな履き心地の、イタリアシューズに多く見られる、マッケイ製法に比べ、堅牢で堅い履き心地がデメリットといわれる事もありますが、「この堅い履き心地こそが、高級紳士靴の証しだ」と豪語する靴好事家の方が圧倒的に多く、堅い履き心地さえ、グッドイヤーウェルト製法のメリットとも言われています。

19世紀から20世紀のデイリーシューズをベースとしてローンチされたシューズブランド

イギリスの名門シューズブランドで経験を積んだ、竹ヶ原氏が手掛けるフットザコーチャーに、グッドイヤーウェルト製法のシューズが多いことは必然ともいえます。

しかし、最近では、デザインに合わせて、さまざまな製法でシューズを手掛けています。

フットザコーチャーは、クラシカルなヨーロッパのワークシューズや、デイリーシューズをベースとしたフットウエアをメインに展開しているブランドです。

デザイナーの竹ヶ原氏が、19世紀から20世紀の特に、イギリスで履かれていた、ワークシューズや、デイリーシューズの堅牢さと、機能性に魅了され、現代に似合う、クラシカルなワークシューズを手掛ける事を目的に、フットザコーチャーは産声を上げます。

竹ヶ原氏が、フットザコーチャーを立ち上げた、2000年前後は、ワークシューズや、デイリーシューズは、アメリカ製の老舗ブランドのプロダクトがメインでした。

”ワークシューズ=アメリカ製”のイメージが定着しており、ヨーロッパのワークシューズという概念が根付いていない時代です。

2000年前後は、メンズファッション界にとっても過渡期であり、インポートブランドから、ドメスティックブランドへと、ファッションフリークの関心が移り始めた時代でした。

現在では、世界で活躍する、ドメスティックブランドが、数多く産声を上げた時期でもありました。

日本ブランドとは思えない空気を纏ったシューズブランド

当時の新生ドメスティックブランドは、アメリカンテイストの、ワークブーツや、エンジニアブーツをリリースするブランドが殆どで、ヨーロッパのワークシューズや、デイリーシューズをリリースするブランドは、数えるほどしか存在していませんでした。

2000年にデビューを果たし、直ぐに、ファッションエディターや、スタイリストの間で話題となった、フットザコーチャーは、大手セレクトショップがこぞってピックアップします。

ノーサンプトンの堅牢なイギリス靴の雰囲気を纏った、フットザコーチャーは、そのブランド名や、デザイナーの竹ヶ原氏が、メディアに姿を見せないことも関係して、インポートブランドだと思い込んでいた、ファッションフリークも少なくなかったといいます。

ヨーロッパのワークシューズを浸透させた日本のシューズブランド

インポートシューズのような雰囲気を醸し出しながらも、日本メイドの丁寧な作りの、フットザコーチャーのプロダクトは、イギリスと日本のハイブリッドシューズであるような気がします。日本の靴職人である、竹ヶ原氏ですが、靴作りの原点は英国にあります。英国靴の圧倒的な存在感に魅せられた事が、竹ヶ原氏を靴職人の道へと誘いました。

英国シューズに魅せられ、度英し、名門シューズブランドで本場の英国シューズ作り方を学んだ、竹ヶ原氏は、英国シューズの概念を持って、シューズ作りを行っているように感じます。

イギリスのドレスシューズではなく、あくまでデイリーなワークシューズを、ソースに持つ、フットザコーチャーは、日本にヨーロッパのワークシューズを浸透させたブランドでもあります。

イギリス靴といえば名門のドレスシューズのイメージしか、なかった2000年前後に、イギリスのワークシューズを自身のブランドを通して、浸透させた、竹ヶ原氏。

フットザコーチャーのシューズは、ドレスシューズとワークシューズの中間に位置するシューズです。この独自のスタンスを確立した、フットザコーチャーは、後の日本のシューズ界に多大な影響を与えました。

フットザコーチャーの影響力は、シューズ業界にみならず、日本のファッション界に大きな衝撃を与えました。

フットザコーチャーが注目を集めた事で、英国シューズが爆発的ヒットを記録します。その影響で、英国イズムが漂う、シューズをリリースするブランドが2000年以降急速に増えました。

今では、本場イギリスでも注目を集めるフットザコーチャーと、孤高の靴職人、竹ヶ原敏之介に迫ります。

フットザコーチャー(foot the coacher)の創立者、竹ヶ原敏之介とは?

日本の靴職人でありシューズデザイナー

フットザコーチャー(foot the coacher)の創立者であり、デザイナーの竹ヶ原敏之介は、福岡県久留米市出身の靴職人です。

生年月日は非公開となっています。竹ヶ原氏は、高校生の頃に、ジョンムーア(John Moore)のシューズに衝撃を受け、靴作りへの道を志したと言われています。

ジョンムーアとは、イギリスの伝統的な靴作りの手法を用い、前衛的でアーティスティックなシューズが高く評価された靴職人であり、ブランドです。

ジョンアームがこの世を去って、30年近い年月が経ちますが、その人気は衰えるどころか増すばかりです。

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ジョンムーアは、現在も、イギリスのアンダーグランドカルチャーを代表するシューズブランドであり、その芸術性の高さから、アーティストやデザイナーにも多くのファンを持ちます。

竹ヶ原氏もジョンムーアのシューズに魅せられた一人でした。元々英国靴に興味があった、竹ヶ原氏は、なんと高校生で、トリッカーズのシューズを履いて通学していたそうです。

生年月日は公開されていませんが、竹ヶ原氏の経歴から推測する年齢は、40代後半のように思います。つまり、30年近く前に、竹ヶ原氏は、トリッカーズを履いていた計算になります。

しかも当時は、高校生。当時トリッカーズを履いて通学していた高校生は、久留米市はおろか、全国的に見ても、竹ヶ原氏以外には皆無だったといっても過言ではありません。

上京後10代で独学で靴作りを開始

美大進学の為に上京した、竹ヶ原氏は本格的に靴作りを開始します。10代で靴作りを始めた、竹ヶ原氏ですが、全くの独学でスタートした為、靴の基本的な構造すら分からなかったといいます。

手持ちの靴を分解して、靴の作りを学んだという竹ヶ原氏。一番最初に手掛けた靴は、自身の足型のパターンを取って、型紙に合わせ、レザーを裁断し、縫い合わせた、革のソックスに、ソールを合わせたような、ふんわりとした靴だったそうです。

「原始的で稚拙なシューズとは呼べない代物だった」と当時を振り返る、竹ヶ原氏ですが、三日間休むことなく没頭して作り上げた、初めてのシューズが完成したときは、嬉しくて、靴を履いたまま眠ったそうです。

当時は木型の存在すら、知らなかったと話す、竹ヶ原氏。ロンドンに旅行していた、友人から、スーベニアとして木型をもらい、靴作りには、木型が必要だとを知ったと言います。

木型の存在を知り、様々な靴を分解していく日々を送る、竹ヶ原氏は、靴によって、異なる製法があることを知ります。

セメンテッドや、マッケイ製法などの言葉を知らずに、靴の構造を細かく、メモしていくうちに、自身のシューズ作りのレシピが完成します。

独学でシューズ作り学んでいくに当たり、限界を感じた、竹ヶ原氏は、ジョンムーアも学んだ、英国のコードウェーナーズ靴学校へテキストを買いにいきます。

1994年にシューズブランド、竹ヶ原敏之介を設立

コードウェーナーズ靴学校のテキストで、クラシカルなシューズ作りを学んだ、竹ヶ原氏は、ハンドメイドによるドレスシューズブランドである、”竹ヶ原敏之介”を1994年に設立します。

当時20代前半だった、竹ヶ原氏の作る、英国の香りが漂う、ドレスシューズに、スタイリストや、ファッションジャーナリストが反応し、セレクトショップで取り扱いが、開始します。

関係者の勧めをあり、渋谷でインスタレーションを行った竹ヶ原氏。それまでの既成靴とは、趣の異なる、竹ヶ原氏の手掛けるシューズは、ファッションフリークの間でトレンドとなります。

それまでとは、比べ物にならないほどのオーダーが殺到し、竹ヶ原氏のシューズはファッションメディアでも頻繁にピックアップされるようになります。

嬉しい悲鳴が上がったように感じますが、ハンドメイドで2週間ほど掛けて完成する、竹ヶ原氏の手がけるシューズは、大量生産には不向きでした。

採算を取るのに随分時間が掛かったとインタビューで当時を振り返っています。

1998年に渡英し、トリッカーズの工場で働き始める

ブランドを立ち上げ、シューズ作りが生業となった、竹ヶ原氏は英国の名門シューズブランドで経験を積みたいという欲求が高まります。

高校の頃から愛用している、トリッカーズで働きたいと、様々な場所で話していた、竹ヶ原氏の元に、トリッカーズの工場を紹介できるという朗報が届きます。

直ぐに渡英を決断した、竹ヶ原氏は、ブランドをストップし、1998年からトリッカーズの工場で働き始めます。

1999年帰国後、ブランドを再開、翌年フットザコーチャーをローンチ

トリッカーズの工場で働く事が決まった、竹ヶ原氏は「兎に角、迷惑を掛けないように必死で働いた」とインタビューでも答えています。

1998年から1999年の1年間の経験でしたが、靴漬けの濃厚な時間を過ごしたそうです。トリッカーズのレディメイドで修行を積み、ビスポークのアシスタントを経験した竹ヶ原氏は、帰国後、”竹ヶ原敏之介”を再開、更に翌年の2000年にフットザコーチャーをローンチします。

フットザコーチャーは、ドレスシューズをメインとしていた、竹ヶ原敏之介のカジュアルラインとしてスタートさせたブランドです。

フットザコーチャーを立ち上げるに当たり、無骨でオーセンティックなシューズを作り続ける、トリッカーズでの経験が大きく影響しているように感じます。

ハンドメイドから工場生産へと体制を移す

トリッカーズでの経験は、竹ヶ原氏靴作りの根底を覆しました。それまでは、竹ヶ原氏と数名のスタッフによるハンドメイドで、シューズを生産していました。

しかし帰国後、ブランドを再開するに当たり、工場生産に切り替えました。工場生産よりも、ハンドメイドで生産されるシューズの方が圧倒的にハイレベルという考えがあった、時代に、工場生産に切り替えた理由は、デザインと、ディレクションに最も時間をかけるべきだと、思ったからだと、竹ヶ原氏は答えます。

効率的な分業を行う、トリッカーズの生産体制を目の当たりにしたことが、工場生産に踏み切った要因です。

ナンバーナインのシューズを手掛けるブランドとして、その名を轟かせる

工場生産に切り替えた事で、フットザコーチャーはブランドのOEMを積極的に行うようになります。

その中でも、フットザコーチャーの名前を一躍有名にしたブランドは、ナンバーナインです。2000年からナンバーナインのシューズを生産し始めた、フットザコーチャーは、2009‐10年秋冬の宮下氏が、ナンバーナインを解散させるまで、フットウエアを生産し続けました。

カリスマ的人気を誇ったナンバーナインのシューズを手掛けるブランドとして、フットザコーチャーは、ファッションフリークから絶大な支持を得ます。

ナンバーナインの創立者である、宮下貴裕氏とは、現在も交流があるようで、現在、宮下氏が率いるブランドの、タカヒロミヤシタザソロイスト.ともコラボレーションスニーカーを発表し話題となりました。

2002年、”竹ヶ原敏之介”をオーセンティックシュー&コー(AUTHENTIC SHOE & Co.)へ変更

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2002年に「カスタマーと靴が一番である」との思いから、ドレスラインのブランド名を”竹ヶ原敏之介”から、オーセンティックシュー&コー(AUTHENTIC SHOE & Co.)へ変更します。

2006年からは、レディースシューズにも携わるようになり、遂に、2010年レディースラインである、ビューティフルシューズ(BEAUTIFUL SHOES)をローンチします。

2012年には実験的でハイブリッドなシューズラインである、スペクタス(SPECTUSSHOECO.)をローンチします。

スペクタスは、レザーシューズでもなく、スニーカーでもない、新たなイノベーションシューズとしフットウエア界に、衝撃を与えました。

フットザコーチャー(foot the coacher)ミステリアスな靴職人が手掛けるストイックなシューズ

顔写真を必要としないスタンス

竹ヶ原敏之介氏の素顔は、2007年に篠山紀信氏が撮影して以降、現在まで、存在していないはずです。

国内では勿論、海外でも竹ヶ原敏之介氏の名前は、靴好事家の間では知られています。特に、イギリスでは、ノーザンプトンにある、靴博物館に、竹ヶ原氏の作品が永久展示された影響もあり、日本国内並みの高い知名度を誇っています。

しかし、ここまで著名な、シューズデザイナーにも関わらず、竹ヶ原氏の顔を知る人物は、極限られています。

極端な露出嫌いという事もありますが、顔が見えないからこそ、作品が際立つとの考えも、竹ヶ原氏はあるようです。

肩書きさえ必要としない靴職人

フラッシュポイントのスカルリングや、クレイジーピックのアクセサリーを着用した手元や、オールブラックの衣装が、雑誌のインタビューと共に掲載される事も少なくない、竹ヶ原氏。

洗練されたアクセサリーの着け方も、ミニマムな衣装も、彼の手掛ける、フットザコーチャーに似合っています。極端に少ない、露出も、竹ヶ原氏の存在をより神秘的にしている事は間違いありません

シューズデザイナーでありブランドの経営者でもある、竹ヶ原氏は、肩書きは無くてもいいと話します。

顔も肩書きも必要としない、孤高の靴職人である、竹ヶ原氏は、自分の作品である、靴だけ見てもらえれば、それでいいのかもしれません。

フットザコーチャーのプロダクト同様に、自身もかなりストイックにも感じる、竹ヶ原氏。しかし、撮影や取材に関しては、かなり協力的だといいます。

靴に関する事にはかなり、饒舌ともいえる、竹ヶ原氏。フットザコーチャーが、ここまで世界中のファッションフリークを熱狂させる理由は、ストイックなデイリーシューズである事は勿論、竹ヶ原氏の靴に対する情熱が大きいような気がします。

英国シューズのエッセンスが漂う、フットザコーチャーのプロダクトですが、グッドイヤーだけにこだわることはありません。

デザインによって適した製法がある、そのためには、マッケイでも、セメンテッドでも問題ないと、竹ヶ原氏はいいます。

国産である事がフットザコーチャーのプライド

竹ヶ原氏は日本人の為のブランドである、フットザコーチャーは、日本国内で生産することが、プライドだと話します。

大手シューズブランドが、コストの関係から、海外生産に切り替える現状を、靴ブランドのオーナーの一人として嘆いている事は確かです。

生粋の靴職人が手掛ける、フットザコーチャー。今更ですが、竹ヶ原氏には、肩書きも、グラビアも必要ないような気がします。

英国イズムが漂う、ストイックでパンキッシュな、日本製のデイリーシューズを手掛けるデザイナーは、顔を見せないスタンスもミステリアスで、よりブランドのステータスを高めているようにも感じます。

INTRODUCTION of THE WRITER

hansu719
name. hansu719
ショップバイヤー、スタイリストを経てフリーライター兼シンガーソングライターが生業です。ハイブランドからストリートstyleまでラグジュアリーな香りのするstyleが好みです。

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世界で最もミステリアスな靴職人の一人である竹ヶ原敏之介 。竹ヶ原敏之介氏が2000年にローンチしたブランドがフットザコーチャー(foot the coacher)です。フットザコーチャーを立ち上げる以前に、靴職人としてブランドをスタートさせていた、竹ヶ原氏は、靴職人として20年以上のキャリアの持ち主です。英国の名門シューズブランドである、トリッカーズで、修行をし、本場英国仕込のグッドイヤーウェルト製を得意とする、竹ヶ原氏が手掛けるフットウエアは、どれも英国紳士のように、精悍でノーブルです。優れた技量と、センスを持つ、竹ヶ原氏が手掛けるフットウエアは、多くのファッショニスタを熱狂させています。しかし、竹ヶ原氏は、殆どメディアの前に姿を現したことがありません。インタビーでも顔を見せない徹底振りが、竹ヶ原氏の手掛けるフットザコーチャーのプロダクトをミステリアスに、より魅力的に魅せているように感じます。英国の香りが漂う、孤高の靴職人が手掛ける日本のシューズブランドに迫ります。