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バーソロミュー・ロバーツ〜実在したカリブ海の海賊

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」でおなじみとなったカリブ海の海賊であるが、17世紀から18世紀にかけて実際に カリブ海で海賊が大暴れしていた時代があったことをご存知だろうか。

最後にして最大の海賊

バーソロミュー・ロバーツ。1682年に南ウェールズに生を受けたこの男は後に偉大な海賊となる運命を持っていた。

36歳のとき、彼が航海士として乗り合わせていた船が海賊ハウエル・デイヴィスに捕獲される。当時このような状況の場合、乗組員は殺されるか有能であれば手下として海賊の一味になるかのどちらかだった。給料の安い水夫として働き続けるよりも自ら望んで海賊の手下になることを望むものもいれば、ならず者になるのを拒否して自ら海に身を投げるものもいたという。
バーソロミューはその時三等航海士であったがその腕を見込まれハウエル・デイヴィスに是非にと熱心に誘われて一味の仲間入りをした。

それまで真面目に生きてきたバーソロミューであったが、海賊は彼に向いていたらしい。航海の手腕だけでなく人望、そして人を惹きつけるカリスマ性を持ち合わせていた。バーソロミューが海賊の仲間入りをしてから約2ヶ月後、ハウエル・デイヴィスが戦闘中死亡、次の船長としてバーソロミューが選ばれた。

船長としての初陣はもちろん亡き前船長ハウエル・デイヴィスの報復戦だ。この時略奪の対象となったプリンシペは要塞都市であり、難攻不落の都市と言われた場所。歴戦の海賊でも簡単には落ちない都市であったがバーソロミューは見事に成功させ、鮮烈なデビューを飾った。

偉大なる海賊バーソロミュー・ロバーツ誕生である。伝説はここから始まった。

別名『黒の準男爵』

『Black Bart』という別名を持つバーソロミュー。訳すと黒の準男爵ということになろうか。もちろん本当に爵位を持っていたわけではない。『Black』はバーソロミューのよく日に焼けた浅黒い肌、そして海賊という悪徳稼業=黒い稼業ということを表しているのであろう。エレガントな気品を持った美男子だったというその外見から『Bart』準男爵と言われるようになったと思われる。

『黒の準男爵』と呼ばれるだけあり、バーソロミューはライフスタイルも他の海賊とは一線を画していたようだ。

海賊にしては非常に珍しく飲酒を好まず、本物の英国貴族さながらに紅茶を愛していた。またグルメだったらしく食事も豪奢な物がお好みだった様子。船上でそのような食事を用意するのはさぞ大変だったろうと彼の料理人には同情を寄せてしまう。
服装も凝りに凝っている。羽飾りの付いた三角帽に宮廷スタイルの半ズボン、ダマスク織のベスト、真紅の天鵞絨のガウン、胸には略奪品の見事な金にダイヤモンドを散りばめた十字架が輝き、緋色の絹で一級品の銃を肩から下げていた。赤を基調にした服装を好んだという。貴族趣味の豪華でエレガントな服装は顔立ちの整ったバーソロミューの魅力をさらに引き立て、当時の海賊たちのファッションリーダー的な存在であったことだろう。

海賊の掟

略奪を繰り返すならず者の集団である海賊たちだが、どの海賊もそれぞれの船長が決めた掟があった。とりわけバーソロミューは手下に厳格な掟を守らせたことでも有名である。

その掟の一例を挙げると、

・全ての乗組員が平等な投票権、また投票を発起する権利を持つ。
・仲間内での盗難や横領は孤島置き去りに処する。
・トランプやサイコロで遊ぶ際には金品を賭けてはならない。
・午後8時には消灯。以降は月明かりで甲板でのみ飲酒を許可。
・いつでも戦闘できるようにピストルなどの武器類の手入れの徹底。
・女子供を乱暴目的で船に連れ込んだものは死刑。
・戦闘中に仲間や船を見捨て降伏した者、許可なく持ち場を離れた者は死刑または孤島置き去りとする。
・船上での口論や私闘禁止。もしそういった揉め事が起こった際は陸についたとき決闘して決着をつける。
・稼ぎは役職に応じて平等に分配。戦闘中に負傷したものには別途手当を支給。
・日曜日には賛美歌を歌うことが望ましい。

ここに紹介したのは一部であるが当時としてはかなり民主的だ。この時代は階級社会であり、様々な差別も多く社会的弱者に対する配慮も殆どなされていなかったことを鑑みれば海賊船の船上の方がよほど民主的だったようで、喜んで従う者が多かったという。
また安息日である日曜日には賛美歌を歌い祈りを推奨すると同時に海賊行為も控えていたらしく、海賊としては珍しい敬虔なキリスト教徒という一面もあったようだ。

想像を超える略奪額

バーソロミューが持っていたのはその際立つ外見や人望、カリスマ性だけではない。当然、卓越した航海技術、そして戦闘時における人並外れた指揮力、海賊になくてはならない略奪能力、そして天賦の勘と運、これらをすべて兼ね備えていた。
バーソロミューが略奪した船は3年の間で400隻を超えるという。金額にして約5千万ポンド。現在の日本円に換算すると500兆円前後になると思われる(当時のイギリスの貨幣価値を現在の日本円に換算するのは非常に難しい)。ちょっと想像のつきにくい規模の金額である。

記録や伝説によってその隻数は前後するが20隻前後の大船団を率いていたという。手下の数は多いときには500人以上、その規模は間違いなく大海賊といえるだろう。

バーソロミューと海賊の時代の終焉

優雅に海賊生活を送っていたバーソロミューにも、終わりの時は近づいていた。

バーソロミューが海賊になったときすでに、大航海時代はその終焉を見せ始めていた。国境が厳しく警備され、海の自由は少なくなっていった。すなわち海賊にとっての黄金時代の終わりである。もう50年早くバーソロミューが生まれていればその才能をこれまで以上に存分に開花させることができたであろう。

バーソロミューはかつての海賊たちが味わったような栄華を手にするには遅きに失したのだ。

1722年2月、ついに最期の時はやってきた。激しいスコールの中バーソロミューはいつものごとく優雅な朝食を取っているとき、英国軍艦が接近してきた。しかし手下たちは前日の酒盛りで酔っている状態の者が多く、対応が遅れた。射程内に入ってしまいやむなくバーソロミューは戦闘を開始する。しかし初期対応の遅れは致命的だった。砲弾の嵐の中、バーソロミューは英国軍艦の放ったぶどう弾(現在の散弾)に喉を切り裂かれついにその人生に幕を下ろした。

戦闘が続く中バーソロミューがかねてから手下に伝えていたとおり、その遺体は身の回りの品と共に錘を付けて海へ沈められた。

指揮者を失った手下たちはの総崩れになり、あっという間に決着はついた。

バーソロミューの死と共に、海賊の時代は、過去のものになろうとしていた。
その後海賊たちは全くいなかったわけではないが、バーソロミューのような大海賊はもう存在しなかった。

海賊の黄金時代は一世紀弱続いた自らの終焉の時に最期を飾るに相応しいバーソロミュー・ロバーツという不世出の海賊を用意したのだ。

バーソロミューの旗艦ロイヤル・フォーチュン号は海の底で今も主と共にいるのだろうか。

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紫水晶
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