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ドリスヴァンノッテン (Dries Van Noten) ロマンティストが仕立てる美しくインテリジェンスなワードローブ

1980年代後半、”アントワープの6人”として、世界的に注目を集めたデザイナーである、ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)。30年以上ベルギーを代表するラグジュアリーブランドを牽引してきた、ドリスヴァンノッテンは、モード界きってのロマンティストとしても知られています。美しく繊細なフラワープリントや、フォークロア調のオリエンタルなデザインを得意とする、ドリスヴァンノッテンは、マテリアルの魔術師とも称されました。30年以上のキャリアを持つデザイナーである、ドリスヴァンノッテンが今、世界中から注目を集めています。ドリスヴァンノッテンのプライベートと、製作風景を収めた、ドキュメンタリー映画である”ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男”が公開され、ドリスヴァンノッテンの人物としても魅力も世界中に広まりました。還暦を迎え更にクリエイティビティが高まるファッション界の重鎮であるドリスヴァンノッテン。才能が枯渇する事のない、天才デザイナーが手掛ける老舗ベルギーブランドの迫ります。

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ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)に今世界中が注目

ブレない信念と変化を厭わないスタンス

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今ファッションメディアが注目しているブランドが、ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)です。ドリスヴァンノッテンは、言わずと知れたベルギーを代表する老舗ラグジュアリーブランドです。ベルギーブランドの認知度を上げる事に、大きく貢献したブランドで、最も有名なベルギーブランドとしても知られています。

1990年代に、ベルギーのアントワープ出身のデザイナーが、世界的に注目を集め、日本でもアントワープ出身のデザイナーがファッションフリークの間で話題となります。

アントワープの6人と称されるデザイナーの中でも、ドリスヴァンノッテンは、一線を画した存在でした。

奇抜であることがモードブランドの条件として定着していた、当時のファッション界で、ドリスヴァンノッテンは、トレンドと対極とも言うべき、ベーシックでロマンティックなワードローブを発表しました。

アヴァンギャルドなデザインを必要としないモードブランド

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1990年代のモードブランドは、アヴァンギャルドなデザインを、前面的に押し出すブランドが多く、特にパリコレクションや、ミラノコレクションに登場する、新進ブランドは、まるでコスチュームのような、奇抜なデザインのルックが、ランウェイに登場する事も珍しくありませんでした。

その流れは、アントワープ出身のデザイナーに浸透しており、ドリスヴァンノッテンと共に、アントワープの6人と称された、ウォルター ヴァン・ベイレンドンクは、かなり奇抜なワードローブを発表し、一躍スターダムへと、のし上がりました。

ドリスヴァンノッテンは、アントワープの6人の中では、飛ぶ鳥を落とす勢いで大ブレークしたブランドとは言い切れません。

奇抜さを求めるモードブランドの中では、ドリスヴァンノッテンは、特異な存在であった事は間違いありません。

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当時、ドリスヴァンノッテンの事を、”上質でノーブルなワードローブをリリースするブランド”くらいの認識しかなかった、ファッションエディターも少なくありません。

しかし、ドリスヴァンノッテンは、”アヴァンギャルド=モード”という風潮を変えたブランドの一つです。

柔らかく、鮮やかな色合いや花柄を多用した、ロマンティックなドリスヴァンノッテンのワードローブは、モノトーンや、ビビットカラーが、モードスタイルの常識と確立していた、80年代後半から90年代初頭のファッションの既成概念を、ゆっくりと塗り替えていきました。

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次第に、フォークロアやエスニックな雰囲気が漂う、ロマンティックな、ドリスヴァンノッテンのワードローブは、前衛的なデザインのワードローブに食傷気味だった、ファッションフリークに浸透していきます。

ヨーロッパ以上に、ドリスヴァンノッテンのワードローブは、日本のファッションセレブを魅了しました。

日本でドリスヴァンノッテンが、ブレークした要因には、柔らかな色彩と、花柄を中心とした美しいワードローブから、何処となく、”ジャポニズムを感じ取る事”が、できたからのように感じます。

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当時、新進のインポートブランドである、ドリスヴァンノッテンですが、日本人にとって馴染み易いデザインから、幅広い年代の富裕層の間で浸透します。

”アントワープの6人”と称されるデザイナーが手掛けるブランドの中で、最も幅広い世代から支持されているブランドであり、モードブランドの中でも、ここまで幅広い年代の顧客を抱えるブランドも多くはありません。

30年以上の歴史を誇る老舗ブランドの、ドリスヴァンノッテンが、今、世界中のファッションエディターや、スタイリストから気になるブランドとして頻繁に名前が挙がります。

”ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男”が公開

ドリスヴァンノッテンのプライベートと、創作風景を収めた、ドキュメンタリー映画である、”ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男”が公開され、デザイナーであるドリスヴァンノッテンにも注目が集まっています。

2018年5月で還暦を迎えるファッション界の重鎮であるドリスヴァンノッテン。「1シーズンで終わる服ではなく、時間と共にじっくりと味わえる服を作ることが目標」と語るドリスヴァンノッテンの服作りは、トレンドの早すぎる現在のファション界や、使い捨てが当たり前のファストファッションに対する、静かな宣戦布告であり、回答なのかもしてません。

そして、このドリスヴァンノッテンのマインドとスタンスで創作されるワードローブが、世界中のファッションフリークを刺激している事は確実です。

ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)とは?

1958年生まれのファッションデザイナー

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ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)は、1958年に、ベルギーのアントワープで生まれます。祖父の代からハイエンドなプロダクトを扱うブティックを経営する家系に生まれた、ドリスヴァンノッテンがファッションデザイナーという職業を選択したことは当然ともいえます。

しかし、両親は、ドリスヴァンノッテンに、ブティックを継がせたかったようです。ドリスヴァンノッテンは、10代の頃から、両親と共に、ミラノやパリへ頻繁に買い付けに訪れていました。

しかし、ドリスヴァンノッテンのファッションに対する情熱は、自身が、バイイングしたプロダクトを販売するだけでは抑えることはできませんでした。

1977年にアントワープ王立美術アカデミー入学

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ドリスヴァンノッテンは、一族が高級ブティックを経営していた事もあり、裕福な家的に育ち、何不自由ない生活送ります。祖父はブティックを立ち上げる以前は、腕利きのテーラーとしても活躍しており、古着を仕立て直す技術には定評があり、アントワープ市内では有名な人物でした。

ドリスヴァンノッテンにはテーラーだった、祖父のDNAが受け継がれているように感じます。デザイナーとして生きていく事を決意した、ドリスヴァンノッテンは、1977年、アントワープ王立美術アカデミー入学し、ファッションについて学びます。

ドリスヴァンノッテンは、在学中も、一族が経営するブティックのバイイングに携わったり、フリーデザイナーとして活躍したりと多忙な生活を送ります。

学生時代から、多忙な生活を送っていた理由は、自身のブランドをローンチする為だったといわれています。

ドリスヴァンノッテンは、自身のブランドを創立するに当たり、両親からは勿論、どの企業からもバックアップを受けていません。

100パーセント自己資金でブランドをローンチする為に、在学中から、様々な仕事をこなしていました。

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誰からも頼ることなく、自身のブランドをローンチしようと思うようになったきっかけは、ファッションデザイナーとして生きる事を快く、思っていなかった、父親からの言葉でした。

「好きな事をするなら、自分自身を経済的に支えなければならない」と警告にも近い厳しい言葉により、ドリスヴァンノッテンは、両親にすら金銭的援助を求めない選択を下します。

100パーセント会社の流れを把握している稀有なデザイナー

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後に、経済的には誰にも頼らないという考えは、ドリスヴァンノッテンの、経営理念にもなります。彼は、デザイナーであると同時に、ブランドを運営していく会社の経営者でもあります。

ドリスヴァンノッテンは、数少ない、経営者でもあるデザイナーです。デザイナーとして以外にも、経営者としてもドリスヴァンノッテンが優れている事は、30年以上もブランドを安定して経営できている事からも、証明済みです。

ドリスヴァンノッテンのように100パーセント会社の流れを把握し、統括しているデザイナーは、世界的に極僅かで、ジョルジオ・アルマーニと、ラフ・シモンズ以外に、コムデギャルソンの川久保玲のみだといわれています。

ドリスヴァンノッテンと川久保玲は感性の近いデザイナー

H.B. Nelsonさん(@hbyzzle)がシェアした投稿 -

ドリスヴァンノッテンが尊敬するデザイナーとして、いつも名前が挙がる、川久保玲氏。川久保玲氏とドリスヴァンノッテンは、”非常に感性の近いデザイナー”だと称するファッションエディターが多い事でも知られています。

アヴァンギャルドなスタイルでセンセーションを巻き起こす、モード界の女帝であり、絶対的インフルエンサーの川久保玲氏と、数年着込むことで自身のワードローブとなる、プロダクトを目指す、ドリスヴァンノッテンでは、両極端に位置するデザイナーに感じます。

しかし、時代の流れやトレンドとは一切無縁の感覚で、コレクションを行ない、30年以上もビッグカンパニーの傘下に入ることなく、ワードローブを発表し、会社を経営してきたという面では確かに非常に近いデザイナーのようにも感じます。

ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)のデザインの特徴

豊かな色彩感覚と、上質素材使い

ドリスヴァンノッテンは、豊かな色彩感覚と、上質素材使いがデビュー当時から抜きんでており、色の組み合わせに関しては右に出る者はいないと称されます。

鮮やかな花柄やエスニックな雰囲気のパターンを得意とする、ドリスヴァンノッテンですが、彼のワードローブから、ケバケバしさは全く感じされません。

色彩豊かな、オリエンタルなパターン同士をあわせる、ルックも少なくない、ドリスヴァンノッテンですが、派手な印象よりもノーブルな香りが漂います。

研ぎ澄まされた色彩感覚の持ち主である、ドリスヴァンノッテンだからこそ可能な、テクニックであり、この色彩感覚こそが、ブランドが30年以上トップランナーであり続けた理由でもあります。

上質なマテリアルの大胆な使い方も、ドリスヴァンノッテンのワードローブの大きな特徴で、これは、ファッションを生業とする、裕福な家庭で育った事が、大きく関係しているように感じます。

高級品を扱うブティックを営む、両親は当然、ハイエンドなワードローブを日ごろから身に着けていました。幼い頃から、常に上質な素材のワードローブに触れて育った、ドリスヴァンノッテンは、自然とハイエンドな素材を好むようになったようです。

そして彼の目指す、”1シーズンで終わる服では終わらないワードローブ"には上質な素材は必要不可欠です。

ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)ブランドとしての歴史は?

1986年にスタート

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1981年に、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業した、ドリスヴァンノッテンは、フリーデザイナーとして活躍します。

1985年、アントワープの政府が企画した、プロジェクトに参加したことが、ドリスヴァンノッテンにとって大きな転機となります。アントワープで活躍するモードブランドと、工場を結びつけ活性化を図る目的のプロジェクトで注目を集めたドリスヴァンノッテンは、翌年の1986年、ロンドンコレクションへ参加します。

1986年アントワープ6としてロンドンコレクションへ参加

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アントワープの新進デザイナーチームとしてロンドンコレクションに参加した、ドリスヴァンノッテン。この新進デザイナーチームこそが、”アントワープ6”です。

アントワープ王立芸術アカデミーの卒業生6人と、マルタン・マルジェラを含めた、7人のアントワープの新生デザイナーは、ロンドンコレクションでも異彩を放っており、ファッションメディアは、当時のロンドンコレクションのメインとして大きく取り上げました。

これによりアントワープ6は、世界的に注目を集め、アントワープのモードシーンが世界的にクローズアップされます。

1989年にフラッグシップショップ”ヘット・モードパレス(Het Modepaleis)”をオープン

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ドリスヴァンノッテンは、アメリカのハイエンドセレクトショップである、バーニーズニューヨークを始め、様々な高級セレクトショップから声がかかり、本格的にブランドをスタートさせます。

1989年には、アントワープの中心に、初のフラッグシップショップとなる”ヘット・モードパレス(Het Modepaleis)”をオープンさせます。

アントワープ6としてロンドンコレクションに参加して以降、着実に歩み続けた、ドリスヴァンノッテンは、遂にパリコレクションへ参加します。

1991年にパリメンズコレクションへ参加

1991年にドリスヴァンノッテンは、初めてパリコレクションへ参加します。現在ではレディースの美しいドレスのイメージの強いブランドのドリスヴァンノッテンですが、メンズのワードローブが先に、パリコレデビューを飾っています。

1993年にメンズと共に、レディースラインもパリコレに参加。現在もパリを中心にランウェイコレクションを行っています。

レディースメンズ共にパリコレ参加を果たして以降、ヨーロッパを中心に積極的に展示会での発表も行っています。

2009年青山にフラグシップショップオープン

1994年にドリスヴァンノッテンは日本上陸を果たします。インポートブランドの売り上げが低迷していると言われる、現在の日本においても、安定した売り上げを記録しているブランドとしても知られています。

ドリスヴァンノッテンは、2009年に東京、青山にフラッグシップショップをオープンさせています。

ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)2018-19秋冬コレクション

ロマンティックなフォークロアスタイル

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パリで行われた、2018-19年のドリスヴァンノッテンのメンズコレクションは、繊細でクラシカルな雰囲気が漂う、ロマンティックなフォークロアスタイル。

コンテンポラリーアートとサイケデリックなパターンを融合させたような独特のパターンを大胆にあしらったシャツやアウターは、完全なるモードスタイルを作り上げているのですが、アヴァンギャルドな雰囲気よりもノスタルジーが漂います。

オーバーサイズのシャツや、レインコートに施された、サイケデリックなパターンは、80年代のジャパニーズモードの雰囲気も纏っていました。

サイケデリックなパターン以外にも、タータンチェックや、パイソン柄など今季もかなりパターンは豊富に使われており、異なるパターン同士を合わせても、全く違和感のないスタイリングを、作り上げる手腕は流石は、ドリスヴァンノッテンです。

オーバーサイズのアウターで作り上げる独特の空気感

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秋冬のメインアイテムであるアウターも、様々なタイプがランウェイに登場しました。クラシカルなタータンチェックのロングコートや、ダブルブレステッドのコートは、ノーブルでエレガント、刺繍やファーをあしらったロマンティックでグラマラスなアウターも、いつも以上に豊富でした。

コートの上にレイヤードした、サイケデリックなプリントが施された、薄手のコートはスポーティーなレインコートのような雰囲気です。

クラシカルなアイテムと、スポーティなアイテムがミックスされた今回のドリスヴァンノッテンのコレクションは、いつも以上にナイーブで、ノスタルジックな印象を受けました。

全てのアウターはオーバーサイズで、男性的でもあり、フェミニンさも漂う、ドリスヴァンノッテンの独特の空気感を作り上げていました。

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今回のドリスヴァンノッテンは、アウター以外にも、かなり幅色いルックがランウェイを賑わせました。

オーバーサイズのチェックのツイードジャケットに、タイトなテーパードパンツを合わせるルックから、タイガーパターンのオーバーサイズのニットに、タータンチェックのパンツを合わせた、パンキッシュなスタイル、そしてパイピングを施した、ウエスタンシャツやフリンジをあしらったノーブルでクラシカルなシャツスタイルなど、様々なアイテムとスタイリングが登場しました。

オリエンタルな刺繍で魅せるナイーブなマスキュリンスタイル

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ドリスヴァンノッテンの十八番とも言うべき、繊細なリュクスな刺繍施したアイテムも健在で、テーラードジャケットやボマージャケット、そしてトラックジャケットにも繊細でオリエンタルな刺繍を施したプロダクトが登場しました。

トラッド、スポーツ、エスニックと様々な要素をミックスさせた、今回のドリスヴァンノッテンのコレクションは、マスキュリンな男性像に、ドリスヴァンノッテンの得意とする、ロマンティックなエッセンが、全てのルックを、よりエレガントでノーブルに仕上げていました。

ドリスヴァンノッテン(Dries Van Noten)別人にならなくては着れない服は要らない

25年以上コレクションを続けてきたファッション界の重鎮

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デザイナーとして30年以上のキャリアを持ち、1991年のパリコレ参加から、休むことなく25年以上コレクションを続けてきた、ファッション界の重鎮であるドリスヴァンノッテン。

彼は、「別人にならなくて着れない服は必要ない」といいます。つまり、ドリスヴァンノッテンにとって、服は、気負うものではなく、寄り添うものという感覚があるように感じます。

ドリスヴァンノッテンがアントワープ6として注目を集めた、1980年代後半。ファッションはどんどん過激になり、アヴァンギャルドなファッションこそが芸術性の極みのような扱いを受けていました。

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しかし、当時からドリスヴァンノッテンは、ニューカマーデザイナーであるにも関わらず、トレンドは上の空。

自身の信じる美学と、信念の元、着心地がよくロマンティックなワードローブを作ることに心血を注ぎ、現在までブランドを守り続けてきました。

30年以上ドリスヴァンノッテンは、ラグジュアリーブランドのトップランナーとして君臨し続けています。

つまり、彼の信じた美学と、信念が正しかった事の証明です。

100回以上のコレクションを行ってきた重鎮デザイナーの目指すタイムレスな表現

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”ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男"が公開され、ドリスヴァンノッテンというデザイナーに注目が集まりました。

「タイムレスな表現を理想としている」と話す、ドリスヴァンノッテン。ランウェイによるファッションショーを100回以上行っている、デザイナーの口から出る言葉としては意外に感じます。

トレンドを作る、ランウェイとタイムレスは反比例する事柄のように感じるからです。しかし、ドリスヴァンノッテンのコレクションや、ワードローブを見ると、ランウェイはトレンド押し付けるだけの場所ではないように感じます。

ファッションショーはライブであり、コミュニケーションの場所

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冷静でインテリジェンスなデザイナーであるドリスヴァンノッテンですが、コレクションからは計り知れないパッションを感じます。

彼はファッションショーをおそらく、コミュニケーションの場所であり、純粋に作品の発表の場所と捉えているように感じます。

ドリスヴァンノッテンにとって、ショーは正にライブなのです。デビューから一度も広告を打った事がないドリスヴァンノッテン。

広告を一度も打った事のないロマンティスト

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広大な庭で植物と暮らすロマンティストな彼には、広告を打つことすら、彼の美学に反するのかも知れません。

花を愛するファッション界きってのロマンティストのドリスヴァンノッテンはこれからも、いつの時代に纏っても色あせない、寄り添うワードローブを作り続けていくように思います。

還暦を過ぎても枯れる事なのない、偉大なデザイナーと老舗ベルギーブランドから益々目が離せません。

INTRODUCTION of THE WRITER

hansu719
name. hansu719
ショップバイヤー、スタイリストを経てフリーライター兼シンガーソングライターが生業です。ハイブランドからストリートstyleまでラグジュアリーな香りのするstyleが好みです。

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