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ジル・サンダー (JIL SANDER) 進化し続ける、ミニマリズムブランドが見せる未来

ノーブルで、ミニマムなモノトーンをベースとした、コレクションやウエアで一世を風靡した、ジル・サンダー。都会的なジル・サンダーのウエアは、ファッションエディターや、スタイリストご用達itemとして、90年代後半、爆発的な人気を博しました。ファッション関係者が、こぞって愛用するブランドとしても有名なジルサンダー。ミニマムで、上質なリアルクローズウエアは、シンプルなだけではなく、凛とした強さを感じます。新、クリエイティブ・ディレクターも話題のジルサンダー。ブルジョアジーな、ジェットセッターにも愛される、元祖ミニマリズムブランドを、徹底解析いたします。

ノーブルな、ミニマリズムブランド、ジル・サンダー(JIL SANDER)の魅力

ファッション関係者に多くのファンを持つ、ハイエンドブランド

ノーブルな、ミニマリズムスタイルを代表するブランドである、ジル・サンダー。90年代に、ファッショニスタを虜にした、ミニマリズムを浸透させたブランドです。

ミニマリズムとは、最小限を意味する言葉で、ファッションでは、アバンギャルドな、前衛的ファッションとは、対照的な、シンプルなデザインを意味します。

しかし、ジル・サンダーが掲げた、ミニマリズムは、単純にシンプルな、コンサバファッションではありません。ノーブルで強く、気高い、都会的なファッションやスタイルを、ジル・サンダーは、ミニマリズムとして打ち出しました。

モノトーンや、アースカラー基調とした、ジル・サンダーのガーメンツは、過剰な、デコレーションや、ランウェイメインの、前衛的過ぎるファッションに、食傷気味の、ファッションエディターや、スタイリストの目に留まり、ムーブメントを起こします。

シンプルなデザインや、シルエットでありながら、絶対的な強さと、凛とした美しさを纏った、ジル・サンダーのウエアは、ファッション関係者ご用達、itemとして浸透していきます。

ハイエンドな素材を使用した、ノーブルな、リアルクローズウエアは、感度の高い、富裕層の間にも、瞬く間に広まり、セレブご用達ブランドとしても、知られるようになります。

日本では、90年代後半から、2000年代初頭に一大ムーブメントを起こした、ジル・サンダーですが、実は、50年近い歴史を持つ、老舗ブランドです。

不遇の時代を乗り越え、自分のマインドと美学を信じ、貫き通した、ミニマリズムの女帝、ジル・サンダー。ミニマリズムでファッション界を牽引する、老舗ハイブランドに迫ります。

ジル・サンダー(JIL SANDER)の歴史とは?

1968年にオープンさせた、ブティックからスタート

ジル・サンダーは、デザイナーである、ヘイドメリー・ジリーン・サンダーが生まれ故郷である、ドイツ、ハンブルクに、1968年に、ジル・サンダーを設立したことが始まりです。

設立当初、ジル・サンダーは会社であり、ブティックの名前でした。自身がデザインする、オリジナルウエアよりも、ソニア・リキエル等の、インポートブランドを扱う、感度の高いセレクトショップだったようです。

ジル・サンダーがブランドとして動き出すのが、1973年。パリのプレタポルテコレクションに参加します。

ジル・サンダーは、約7年間パリコレに参加し、パリを拠点に活動していました。その理由は、自身のショップでも扱っていた、ソニア・リキエルの影響も大きかったように感じます。

しかし、1980年を最後に、パリから撤退します。撤退の理由は、パリでの、ジル・サンダーの評価が、著しく低かったことが、大きく関係しています。

70年代半ばから80年代のパリは、グラマラスで、鮮やかな色使いやデザインが、トレンドとされていました。コムデギャルソンが、黒をメインとした、コレクションを、パリで展開し、否定的な意見も多かった時代です。

当時のパリのモード界では、黒をメインとすることは少なかったようです。ジル・サンダーが、パリコレで見せた、コレクションも、モノトーンを中心とした、ミニマムスタイル。

美しく、ノーブルでありながら、強さを感じる、ジル・サンダーのウエアは、地味で時代遅れと酷評されます。

1985年、ミラノでの再スタート

思うような評価の得られない彼女は、一念発起、パリから、ミラノに活動拠点を移します。1980年にパリを後にした彼女は、1985年に、ミラノで再スタートを切ります。1987年にミラノコレクションへ参加、得意のノーブルでミニマムなウエアで再起を図ります。

ミラノコレクションに参加した、ジル・サンダーは、ファッションエディターや、感度の高い富裕層から、高い評価を得ます。

彼女の曲げなかった信念が、報われた瞬間でした。パリコレデビューから、10年以上の時間を費やし、早すぎた、彼女のデザインにやっと時代が追い付きました。

不遇の時代を経て、ジル・サンダーは、トレンドセッターとして、成功の階段を駆け上がります。

ジル・サンダーの創り上げるミニマム且つ、強さ感じる、ウエアは、ファッションエディターや、スタイリストと言った、ファッション関係者の間で急速に浸透していきます。

モノトーンや、アースカラーを中心とした、シックで、ノーブルな色使いに、美しいカッティングの洗練された都会的なウエアは、アッパークラスの、キャリアウーマンからも、注目を集めることとなります。

派手な柄や色使いに、過剰なデザインよりも、上質な素材を使った、シンプルで都会的なウエアこそがトレンドである”ミニマリズム”と言うスタイルが確立するのが、90年代半ば、つまり、ジル・サンダーは、新たなトレンドを確立させた、ハイブランドなのです。

過剰なデコレーションは必要ない、ファッションは引き算が最も大切。ジル・サンダーが一貫して掲げてきたテーマであり、ポリシーです。

彼女の確立したミニマリズムとは、シンプル・イズ・ベストという考え方とは違い、ラグジュアリーな、リアルクローズです。

上質な素材と美しいカッティングで、シンプルなガーメンツを仕立てる。着心地のよさと、シルエットの美しさこそが、最も贅沢でラグジュアリーだと言う、彼女の考え方が、勝利した事も意味します。

ファッション関係者から、感度の高い富裕層、そしアッパークラスのキャリアウーマンまで、ジルサンダーのウエアが大ブレークした90年代、メンズラインの要望が高まるのは、当然の結果です。

1997年にメンズラインのローンチ

ジル・サンダー自身が身に着けたいと思う、ウエアの製作から、ブランドをスタートさせた、ジル・サンダー。いわば、セレクトショップの、オリジナルブランドとしての、スタートです。

レディースの、ノーブルでミニマムな、ジル・サンダーのウエアは、男性ファッションエディターや、スタイリストの間でも、評判となります。

ジルサンダーの、シンプルで美しいシャツや、スーツのメンズバージョンが欲しいとの、要望が高まり、1997年に、待望のメンズラインをローンチします。

1995年に、ニールバレットによる、プラダのメンズラインが話題となり、シンプルで上品なリアルクローズスタイルが、メンズファッションのトレンドを、席捲し始めていた時期もあり、ジル・サンダーのミニマムで上品なメンズウエアは、レディース以上の、注目度を集めます。

ジル・サンダーの、メンズライン登場の、影響も大きく、1990年代後半の、メンズファッションは、ミニマリズムが、ビッグトレンドとなり、ジル・サンダー、プラダ、ヘルムートラングが、ミニマリズムを代表するブランドとして、ファッショニスタに知れ渡ります。

1990年代、飛ぶ鳥を落とす勢いのジル・サンダー、レディース同様に、メンズウエアも素材に拘った、シンプルな、ウエアを中心に展開、モノトーンや、アースカラーの上質で、ノーブルなメンズウエアは、都会的であり、ヤングセレブレティや、ジェットセッターご用達ブランドとして浸透します。

90年代後半から2000年代前半は、ジル・サンダーのメンズウエアの最盛期であり、ビジネスクラスや、ファーストクラスを利用する、アッパークラスの、ビジネスマンは、制服のように、ジル・サンダーのスーツや、アウターを着用したと言います。

好調な滑り出しのジルサンダーは、メンズラインをローンチした1年後の1998年に、プーマとのコラボレーションによる、レザースニーカーをリリース、大きな話題となります。

スポーツブランドと、ハイエンドブランドのコラボレーションは、今では当たり前ですが、1990年代後半ではかなり、稀。ジル・サンダーの先見の目には、驚かされます。

プーマとのコラボレーションスニーカーが大ブレーク

プーマとのコラボレーションが、行われた経緯については、同じドイツ出身のブランドであることが理由や、ジルサンダー自身が、プーマの愛用者であるとも言われていましたが、はっきりとは、分かっていません。

しかし、この異例のコラボレーションitemは、世界中で空前の大ヒット記録、ジル・サンダーとのコラボレーションが大成功したことが、きっかけとなり、プーマは、ミハラヤスヒロ、ニールバレット、アレキサンダー・マックイーン等のハイブランドとのコラボレーションを積極的に、行うようになります。

ジル・サンダーとのコラボレーションは、10年以上続き、2009年まで行っていました。

ジル・サンダー(JIL SANDER)をビッグブランドが買収

1999年、プラダグループにより、買収

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メンズラインをローンチし、勢いに乗る、ジル・サンダーは、当時、絶好調のプラダによって買収されます。

ビッグブランドによる、買収劇が、珍しくはない、アパレル業界。買収によって、莫大な資金力を味方に付け、更なる高みを目指すブランドは、少なくありません。

ジル・サンダーも、プラダの傘下に入ることにより、巨大な資本をバックにつけることに成功します。

ジル・サンダーというブランドを、プラダに売却したことにより、ジル・サンダーは、ブランドとして、絶対的な安定感を保ちます。

しかし、クオリティを重視するジル・サンダーと、企業としての利益を最優先する、プラダグループの総帥、パトリッツィオ・ベルテッリとの間に、軋轢が生じます。

ジル・サンダーがプラダグループに買収された翌年の、2000年にジル・サンダーは、自身のブランドを離れます。

ミニマリズムの女王を失ったジル・サンダー

ジル・サンダーが、ブランドを去ったあと、デザインチームが、ジルサンダーのデザインを、引き継ぎます。

総帥、パトリッツィオ・ベルテッリの指示により、シルエットの再構築や、モノトンに加え、鮮やかなカラーバリエーションを加えた、ジル・サンダーは、高い評価を得ます。

時代に合っていたのは、ビッグブランドを飛躍的に、成長させた、カリスマ、経営者であるパトリッツィオ・ベルテッリのヴィジョンでした。

2000年以降、ジル・サンダー不在の、ジル・サンダーは驚異的な売り上げを記録、2001年には、ミラン ヴィクミロビッチを、クリエイティブ・ディレクターとして迎え入れ、フレッシュなジル・サンダーを構築します。

ミラン ヴィクミロビッチ(Milan Vukmirovic)とは?

ミラン ヴィクミロビッチ(Milan Vukmirovic)とは、現在、ポーツ1961のメンズのクリエイティブ・ディレクターとしても知られている人物です。

トムフォード率いる。グッチにも在籍していたこともある実力者であり、世界中のビッグブランドから、ラブコールの止む事のない、引く手数多のデザイナーです。

2001年から、2003年までの間、ジルサンダーのクリエイティブ・ディレクターとして、活躍、ジル・サンダーの売り上げに、大きく貢献した人物です。

ミニマリズムの女王のカムバック

2003年、プラダ側の呼びかけにより、ジル・サンダーは、デザイナーとして、カムバックを果たします。しかし、2004年にまた、ジル・サンダーのデザイナーを辞任。理由はプラダグループとの方向性の違いでした。

2006年にプラダグループは、投資ファンド会社にジル・サンダーを売却、現在はオンワード樫山の傘下に入っています。

ジル・サンダーは、プラダグループを離れた、ジルサンダーで、2012年からデザイナーとして復帰、しかし2013年をもって、引退を発表しました。

ジル・サンダー(JIL SANDER)を支えたデザイナー

ラフシモンズ(RAF SIMONS)

ジル・サンダーの功労者として、忘れては、いけない人物が、ラフシモンズです。カリスマ的人気を誇る、ラフシモンズのデザイナーであり、クリスチャンディオールのクリエイティブ・ディレクターや、現在は、カルバン・クラインのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしても、注目されてい鬼才です。

ラフシモンズが、ジル・サンダーの、クリエイティブ・ディレクターに就任したのが、2003年。ファッション界に、吉報として伝えられました。

ラフシモンズは、2003年から、2012年の9年間、ジル・サンダーを支え続けました。

反骨精神むき出しの、ミリタリーウエアや、クラッシュデニムのイメージが強い、ラフシモンズのガーメンツ。

アーティスティックで、メッセージ性の強い、プロダクツで、多くのファッショニスタを虜にし続けてきた、鬼才が創り上げる、ミニマリズムのパイオニアブランド、大きな、期待と共に、少なからず不安を抱いていた、ファッションエディターが、いなかったと言えば、嘘になります。

ラフシモンズは、自身のコレクションとは、全く異なる、ノーブルで、美しいジル・サンダーを表現しました。

ラフシモンズによるジル・サンダーの評価は、著しく高く、ジル・サンダー史上最も、ノーブルで、ミニマムな、リアルクローズと賞賛するファッショニスタや、ファッションエディターは大勢、存在します。

ラフシモンズによる、ジルサンダーのラストコレクションに、涙した、ファッションエディターや、ファッショニスタがいたことは事実です。

ジル・サンダー(JIL SANDER)の現在のデザイナーは?

2018春夏からルーク・メイヤー(Luke Meier)夫妻

2018年春夏コレクションから、ジル・サンダーのクリエイティブ・ディレクターに就任した、ルーク・メイヤー(Luke Meier)と、ルーシー(Lucie)夫妻。

2014年から3年間、ジル・サンダーの、クリエイティブ・ディレクターを務めた、ロドルフォ・パルアルンガが、辞任を発表、後任のクリエイティブ・ディレクターに、様々なデザイナーの名前が、浮上していました。

そして、正式に発表された、ルーク・メイヤー夫妻による、新生ジル・サンダー。ルーク・メイヤーはカリスマ的、スケーターブランドの、シュプリームのヘッドデザイナーを務めた人物でもあります。

ルーク・メイヤー夫妻が、ジル・サンダーの、クリエイティブ・ディレクターに指名されることを、予想できた、ファッション関係者は少なかったかと、思います。

クール・メイヤーは現在、OAMC(オーエーエムシー)の、リエイティブ・ディレクターでもあります。

OAMCはフランスをベースとして、ローンチされた、メンズブランドです。2014年に、デビューした、OAMCは、ラグジュアリーな素材を使用した、ガーメンツと、ストリートな香りが漂う、スタイリングで、ファッションエディターや、感度の高い、富裕層から、注目を集めている、話題のブランドです。

ハイエンドな、ストリートスタイルを基準とした、リアルクローズを得意とするブランドの、デザイナーが手掛ける、新生、ジル・サンダー。

ノーブルで、洗練されたシンプルなガーメンツに、ベーシックスタイリングが、ジル・サンダーと言うブランドの素晴らしさを再確認させてくれるような、コレクションでした。

ジル・サンダーのテーマカラーである、モノトーンや、アースカラー、そして、ノーブルなライトグレーの使い方が印象的でした。

ミニマリズムの女王である、ジル・サンダーに対して、敬意を感じるコレクションを発表した、ルーク・メイヤー夫妻。

メンズスタイルは、テーラードジャケットや、ドロップショルダーのコートをメインとした、新生ジルサンダー。ロングニットベストに、ルーズなショートパンツ、そして、ドロップショルダーのジャケットや、コートを合わせた、90年代のミニマリズムを、髣髴させるスタイリングも、ノーブルでした。

フレッシュで、よりラグジュアリーさを増した、新たな、ミニマリズムを掲げる、新生、ジル・サンダーの未来は明らかに明るいことは、2018年春夏のコレクションで、証明されました。

ジル・サンダー(JIL SANDER)の未来のカタチ

ミニマリズムの女王を失っても、進化し続けるハイブランド

ミニマリズムという、新たなファッションのカタチを、浸透させた人物は、紛れもなく、ジルサンダーの創業者である、ハイデリー・イリーネ・ザンダーです。

地元ドイツで、テキスタイルを学んだ彼女は、カルフォルニア大学に入学します。その後、ニューヨークの出版社に勤務していた彼女は、ファッションジャーナリスとして、活躍、1968年に帰国すると、ジルサンダーを設立します。

ジル・サンダーのウエアから感じられる、都会的なモダンな雰囲気は、ジル・サンダー自身が、体験した、当時の、ニューヨークの空気感なのかも知れません。

彼女自身も、雑誌の編集者や、ファッションジャーナリストとして、ニューヨークの街を走り回っていたキャリアウーマン。

大都会で生きる、キャリアウーマンだった、ジルサンダー自身が、求めていたガーメンツが、自身のブランドである、ジル・サンダーに、反映されているように思います。

ファッショエディターや、感度の高い、富裕層、そして都会で生きる、キャリアウーマンや、エリートビジネスマンに愛される、ジル・サンダーのウエア。

ジル・サンダーの掲げる、ミニマリズムとは、究極のラグジュアリースタイルなのかもしれません。

INTRODUCTION of THE WRITER

hansu719
name. hansu719
ショップバイヤー、スタイリストを経てフリーライター兼シンガーソングライターが生業です。ハイブランドからストリートstyleまでラグジュアリーな香りのするstyleが好みです。

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