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カズオ・イシグロが投げかけるいくつかの命題 ~ノーベル文学賞受賞に寄せて~

2017年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ。彼は日本人でありながらイギリス国籍を持ち、英語で執筆をする作家です。 彼の小説「わたしを離さないで」は映画化やTVドラマ化されていて、メディアの話題にも上りました。 今回は、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞によせて、彼のなげかけたいくつかの命題について考えてみたいと思います。

カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロ。ノーベル文学賞の受賞が決定した。

カズオ・イシグロは日本の長崎県出身であり日系イギリス人の小説家です。
幼少期には長崎市内の幼稚園に通っていたが父の都合で渡英をしました。1978年にケント大学文学科に進学をして、1980年にはイースト・アングリア大学の大学院創作学科に進学をします。
大学在学中に批評家であり作家でもあるマルカム・ブラッドベリの指導を受け、小説を書き始めました。

ちなみにマルカム・ブラッドベリによる著作『超哲学者マンソンジュ氏』は柴田元幸によって日本語に訳されています。

大学卒業後はミュージシャンを目指していた時期もありますが、結局文学者へと進路を決定します。
1982年に英国に在住する長崎女性の回想を描いた処女作『女たちの遠い夏(日本語版では『遠い山なみの光』と改題された)』が王立文学協会賞を受賞して華々しいデビューを飾ることになります。この小説は9か国語に翻訳されています。
1983年には日本国籍だったのをイギリスに帰化をしました。
1986年、長崎を連想させる架空の町を舞台に、戦前の思想を持ち続けた日本人を描いた第2作『浮世の画家』でウィットブレッド賞(現在はコスタ賞)を受賞しました。この年に、イギリス人のローナ・アン・マクドゥーガルと結婚をしています。
1989年には英国貴族邸の老執事が語り手となった第3作『日の名残り』で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞しました。この時35歳でした。
ブッカー賞を受賞した『日の名残り』は1993年に英米合作のもと映画化されています。監督はジェームズ・アイヴォリー、主演の老執事役はアンソニー・ホプキンスでした。
1995年には『充たされざる者』を出版、2000年には『わたしたちが孤児だったころ』を出版しました。これらの作品は発売と同時にベストセラーになりカズオ・イシグロの作家としての地位は確固たるものとなりました。
そして2005年。映画や舞台、TVドラマにもなった『わたしを離さないで』を出版。この小説はブッカー賞の最終候補に選ばれることになります。同年には英中合作映画『上海の伯爵夫人』の脚本を担当しています。この映画の監督も『日の名残り』と同じジェームズ・アイヴォリーです。
2015年には最新長編小説『忘れられた巨人』を英国・米国で同時出版をしました。この小説はアーサー王の死後の世界を描き、老夫婦が息子に会うための旅をファンタジーの要素を含んで描かれています。

そして2017年には「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」などの理由でノーベル文学賞を受賞しました。
現在、世界文学を代表する作家の1人に数えられているほどの実力を擁している作家です。

『わたしを離さないで』

2005年に発表されたカズオ・イシグロの長編小説。ブッカー賞の最終候補作。映画化、TV化、舞台化されています。

『わたしを離さないで』はファンタジーの形式を持ちながら、文学において断絶された人間の感情を与えた作品です。
何故『わたしを離さないで』を取り上げたのか。
それは文学において同時代性こそ重要だからです。
作家が小説を書くとき、そこには必ずその小説を書く理由が存在します。それは作家しか知らないことです。
その理由こそが、小説の本質であり、文学たらしめているのです。
文学には、未来を変えるだけの力があります。だからこそ、文学は今でも読まれ続けるのです。
映画化されたりTVドラマ化されることにより文学としての魅力を失ってしまう場合がありますが、その作品は、それだけ大衆に訴えかける力を持っていることになります。
表現形態が変われば、必然的に本質も変化します。変化した本質自体を知る事でその文学がいかに多くの人に訴えかける力があるのかがわかるはずです。

『わたしを離さないで』のストーリー

映画版『わたしを離さないで』の登場人物を演じる左からキャリー・マリガン、キーラ・ナイトレイ、アンドリュー・ガーフィールド。

『わたしを離さないで』の舞台は1960年代末のイギリスです。
しかし実際に存在する現実のイギリスではありません。むしろ現在の作家が見た過去のイギリスの光景なのです。その過去のイギリスにヘールシャムと呼ばれる施設がありました。
かつて、その施設には「介護人」のキャシーがいました。
キャシーはヘールシャムで育ちましたが、実はヘールシャムで育つ子供たちは全て「提供者」になることを運命によって定められてたのです。
しかし、大人になったキャシーは「介護人」として「提供者」たちを介護することになります。
そして「介護人」をしながら自分自身の子供時代を回想し、その過去が現在の自分の姿を移す鏡になるのです。
この物語の不自然な部分は、施設で育った人間は「全て」「提供者」になるはずなのです。しかしキャシーは「提供者」になっていません。
全体を表す「全て」という言葉や意味が、全くの嘘であることが前提なのです。ファンタジーとしての骨幹が断絶されていることこそ、『わたしを離さないで』の物語を支えている根っこになるのです。狭い世界だからこそファンタジーではなく、物語の強度が重要になってくるのです。

『わたしを離さないで』は近過去と近未来を観測する

映画『わたしを離さないで』から

では『わたしを離さないで』は近過去を描きながら、近未来へとは繋がらないことを描いた作品なのでしょうか。
この施設に生きる子供たちは未来への希望を持てない状態の中を生きています。
何故なら「ヘールシャム」という閉ざされた社会に生きる子供たちは外の世界に出ると同時に、自分の臓器を提供しなければならない運命を擁してしまっているからです。
なぜ提供をしなければならないのか。それは施設の子供たちは皆クローンだからです。
人間は出産によって誕生します。つまり完全な個体、オリジナルな存在として生まれるのが人間の在り方なのです。
しかし、クローンは人間の細胞から培養された人間です。つまりオリジナルな人間が存在があるからこそ、複製品があり得る。これこそクローン人間の本質になります。
施設ではクローン人間の管理を行っています。そこにこそ、クローン人間の生まれた意味があるからです。
ここには人が作り出した社会の存在の齟齬が見え隠れします。

1.クローン人間の存在はなぜ生まれたのか、ついて。
2.クローン人間がなぜ臓器提供をしなければならないのか、について。
3.クローン人間を管理するのはなぜなのか、について。

この三つのテーマを読み解いていくことは『わたしを離さないで』をより深く知ることが出来るかもしれない。

『わたしを離さないで』のクローン人間の役割

TVドラマ『わたしを離さないで』の綾瀬はるか(右)と麻生祐未(左)。

クローンとは複製のことを指します。とくに一人の人間から生まれた存在をクローン人間と呼びます。
クローン人間をオリジナルな人間と呼び習わさないのは、自然な形での誕生ではないからです。
動物は出産によって誕生します。
特に人間の出産は、男女のセックスに寄って行われます。セックスによって精子と卵子が結合するのが一番合理的だからです。
しかし動物のパターンによってはセックスの形式を持たないまま、子供が生まれることがあります。人間が自然と思う現象のみが正しいのではありません。
人間の社会に適応しないまま生まれる行為を、動物の中にある行為の中で、変態と呼ぶことがあります。
クローンの場合は人間の社会に適応する形で変態している為、生まれた存在自体を変態と指すことが出来るのではないでしょうか。
このため、クローン人間は変態、つまり私たちの社会の中で、奇妙で偏った形をしたもう一つの社会の中で生きることになります。
そのモデルこそヘールシャムなのです。
そしてモデルの器が壊れるとき、一気に感情が流れ出す。一度流れ出した感情は本人にさえ止めることは出来ない。
その結果、キャシーは臓器提供をしないままヘールシャムを出ることになる。

『わたしを離さないで』における臓器提供の目的について

TVドラマ『わたしを離さないで』の綾瀬はるか。

臓器は人間にとって重要な器官です。人はオリジナルな状態では普通に目、鼻、口、耳、手、足から、食道、肺、腎臓、胃、腸、性器、骨、筋肉などがそろった状態で生まれてきます。
手や足は神経を通して器官と繋がっているため、神経が失われた場合、脳が信号が送ったとしても、手や足への信号が上手くたどり着かず、結果としてうまく動かないようになります。
場合によっては、長いリハビリが必要になってしまうのです。
食道や肺、腎臓、胃など内臓は人間の細胞と関係した自立器官であり、脳の指示よりも筋肉の運動や細胞との関わり方が重点的になります。
それらの器官がうまく動く為には、臓器を移植しなければなりません。
臓器が体になじまない可能性があるのは、人間は体内に違う人間の臓器が入ると適応する前に排除しようと作用が働くからです。
クローン人間が存在する理由はここにあります。クローンの臓器はオリジナルの複製になるので、オリジナルと非常に近い細胞を持ち得る可能性が高いのです。
その為、臓器提供において考えうる、完全な合理的な手段は、オリジナルのクローンを作ることになるのです。
それは人間の合理的精神の行きつくところが、人間の精神の地獄であり天国であることを指しています。

『わたしを離さないで』における管理のシステムについて

TVドラマ『私をはなさないで』20年前の陽光学苑。幼少期の主人公を演じる鈴木梨央(左から二人目)と中川翼(一番左)。

この小説には「ヘールシャムがクローンを管理している」理由が明確ではありません。
もし合理性において考えうるならば、人間らしい生活を過ごさせる必要はないでしょう。
このオリジナルのみの社会とクローンのみの世界は、ユートピアとディストピア自体が一つの社会の光と影であるからです。
そこでヘールシャム側、つまりクローン側から考えてみたいと思います。
ヘールシャムでは「提供者」を管理しています。彼らが管理しているのはクローン人間であり、臓器を提供するための存在です。ヘールシャムの目的は臓器の健全な状態を保つためにあります。
しかしヘールシャムの管理人達は人間であるため、その現実に耐えきれないでしょう。管理者たちの精神衛生上も良い結果は生まれないはずです。
さらに、ヘールシャムの成り立ちや存在意義よりも、ヘールシャムで働いている人間の意識こそが重要なのです。何故なら『わたしを離さないで』ではヘールシャムを作り出した国の存在が描かれていないからです。
ヘールシャムの管理者たちは「提供者」の命が15歳で終わることを「提供者」には伝えません。なぜ伝えないのでしょうか。伝える必要がないからでしょうか。それもあるかも知れません。
しかし、伝えない実際の理由は、ヘールシャムの管理者にとって「伝えること」が強いストレスになるからです。
「管理者」と「提供者」。互いのストレスを減らすために、ヘールシャムは「提供者」にその真実をと伝えないのです。
そして、それは一つのメソッドとして成り立っています。ヘールシャムのようにクローンを管理している施設は、ほかにも存在からです。
オリジナルと同じ数の、クローンがこの世に存在します。オリジナルは必然的にクローンと出会うことがないようする必要があります。そのためクローンを施設に入れておく必要があるのです。
ここにはオリジナルとクローンの境目のなさが描かれています。もしクローンがオリジナルの存在を知らなければ、自分はクローンであることを知らないままでいられるからです。
自分という存在のあやふやさ、もしくはもう一つあるかもしれない世界が、今の自分の世界を破壊しようとするとき、世界に対して「わたしを離さないで」欲しいと願うのかも知れません。
不穏でありながら、心を持つ人ならば気持ちを揺さぶられるであろう感情がここには存在します。
そしてこの感情の純粋さが、ヘールシャムという世界の狭さを相いれないのです。
人は生きていれば、誰もが自分の世界の狭さに怯えます。人は邪悪なる意志を持ちながら生きていますが、彼らクローン人間の持つイノセントはニュアンスは、カズオ・イシグロが想像した無意識の所産ではないでしょうか。
イノセントとは、人の持つ覆われた感情を暴き立てようとする、さらなる邪悪な意志に対抗しようとするニュアンスを持つ挑発なのです。

ノーベル文学賞と世界の意志

ノーベル文学賞のメダル。

カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したのは、人間の持つイノセントな感情と、それに繋がろうとすることが出来ない断絶を、小説という形で提示したからです。
そして、それは人間が持ち得る無意識の意識なのです。作家であるカズオ・イシグロは大人になって失われてしまったイノセントな感情を描いてきました。
失われた恋を求めて旅に出る老執事、過去を取り戻そうと探偵を続ける男、イノセントの子供時代を複製する国家…。
この「ないかもしれない」世界を夢想する作家は時の流れと共に人生を歩みながらも、唐突に自分自身の深淵をのぞき込もうとします。そして、その深淵の残酷さは、唐突に読者に迫ってきます。
過酷なる自己と自意識を齎した世界と実存に対する諦観こそカズオ・イシグロという作家の本質なのです。
この諦観を作家の意志と捉えたことこそ、ノーベル文学賞の価値なのではないでしょうか。

TVドラマ『わたしを離さないで』

日本では三浦春馬さん(左)、綾瀬はるかさん(中央)、水川あさみさん(左)の三人の主演でTVドラマ化された。原作とは設定が変化している。

最後に日本のTVドラマ『わたしを離さないで』から私が感じたイメージを伝えたいと思います。
このTVドラマは主人公の三人の三角関係によって成り立っています。そこにはヘールシャムの持つ清潔でありながらも廃墟にも似た建物の雰囲気や、登場人物たちの諦観によって成り立っている静謐さが感じられます。
このドラマを見て私は強い印象を受けました。それは、人が生きているうえで受け入れなければならない感情がTVドラマを見ているだけで感じられるからです。
そして彼らが自分の感情に耐えきれず、もがき苦しむ姿は見ていると、いつしか感情の中のしこりが浄化させられるようでした。
この感情こそ、私たちの世界を成り立たせる唯一の力のようにも思えます。映像化することでイメージが力を持ち、物語を読み解くよりも感情が自分の中に満ち溢れてくるのです。
私の中に少しづつ浸み込んでいくこころは、感情を反発する私たちがすでに、感情の虜になっていることを知るのです。
また、この物語は世界からの逃走をテーマにして描かれていますが、その姿が胸に迫るのは誰もが世界の意志に反発をしながらも、常に屈服を求められていることをいつしか知っていくからです。
その所業は、自身の信ずるものに足元を掬われることに対する大きな抗いにも似ています。しかしイノセントだからこそ、当たり前の状況に対して反抗するのです。

最後に

TVドラマ版『私をはなさないで』に出演した綾瀬はるかさん(左)と、原作者のカズオ・イシグロさん(右)。綾瀬はるかさんはドラマに出演する際、どうしてもカズオ・イシグロと話をしたかったらしい。

今回は、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』をテーマにクローンであることや臓器提供、また管理社会など現代文学がファンタジーの形式をもって無意識に描いてきた世界について、命題化してみました。
揺さぶられる心がテーマになるのは、人間同士の無意識がいかに断絶されているかを、誰もが無意識に感じているからです。
その大きなつながりはいつしか綱に、そして新たに生まれた綱による綱引きが生まれます。
今後、どのような感情の分裂が誕生するのかこそ、文学の未来における大きなテーマの一つになるのではないでしょうか。
休みの日に文学に耽溺するのも、時に楽しいかも知れません。
よければ、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの小説を読んでみてはいかがでしょうか。
それでは。

INTRODUCTION of THE WRITER

家出猫町
name. 家出猫町
家出をして猫町に住みたい。

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2017年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ。彼は日本人でありながらイギリス国籍を持ち、英語で執筆をする作家です。 彼の小説「わたしを離さないで」は映画化やTVドラマ化されていて、メディアの話題にも上りました。 今回は、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞によせて、彼のなげかけたいくつかの命題について考えてみたいと思います。