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アン女王の復讐号と黒髭〜実在したカリブ海の海賊

実在したカリブ海の海賊の中でこれほど恐れられた海賊もまれだろう。姿は見えずともその噂、その船影の気配がしただけで数多の海軍や海賊は一目散に逃げ出してしまうほどだったという。

世にも恐ろしい黒髭

『黒髭』の異名を持つこの男はその名をエドワード・ティーチといった。この名すらも本名ではないというが、そもそも名を呼ばれることはほとんどなかったと言ってもいいだろう。
その姿を一目見たら『黒髭』と以外に呼ぶことは不可能と言っていいほど印象的な髭を持っていた。それは見事に蓄えた髭とか、特徴的な形に整えられた髭とかいうレベルのものではなかった。

戦闘時、顎から立派に蓄えられた髭には火種のついた荒縄がや麻布が編み込まれ、その顔は黒く煤け煙で霞んでいたという。身長も高く大柄だったという黒髭が銃を数丁、剣やナイフの類も複数ぶら下げたその姿を見たものは「まるで地獄からやってきたよう」と黒髭の姿を評した。

黒髭の思惑通りだった。噂は噂を呼び、この世のものならぬ恐ろしい海賊として知れ渡ることで避けられた戦は一つや二つではない。気配をほのめかしただけで敵は自ら恐れて逃げ出してくれるのだ。増してや姿を見せたなら、敵は戦わずして船や財宝を差し出して降伏もしくはすべて捨て去って逃亡するのが常と言っても過言ではなかったと見られる。

黒髭はその恐ろしげな容貌に反して、敵がおとなしく降伏して要望の品を差し出し従ったなら、一切手出ししなかったという。
もちろん逆らうことがあれば当然の如くその恐ろしさを思い知らされることになった。

黒髭の旗艦『アン女王の復讐号』

黒髭がまだ海賊ベンジャミン・ホーニゴールドの手下であった頃、フランスの奴隷船ラ・コンコルド号を拿捕した。この船はただの奴隷船かと思いきや、目を疑うような金銀財宝が積まれていた。これに大喜びしたベンジャミン・ホーニゴールドは、手柄を立てた黒髭に40門もの大砲を積んだフリゲート艦であったこのラ・コンコルド号を褒美として与えた。排水量は300t、全長は33.5m、幅は7.3m、定員は300人前後とこの当時の最大クラスの船だった。
黒髭はこの船を『アン女王の復讐号』と名付けた。
ここから黒髭の伝説が始まった。

黒髭の最期

黒髭はカリブ海や大西洋の沿岸で大暴れし、バハマ諸島に2箇所の拠点を持つほどになった。この当時イギリスはヨーロッパの戦乱に気を取られていた為、黒髭のみならず多くの海賊が台頭しカリブ海を我が物のように荒らし回った。まさに海賊の黄金時代と呼ばれる時代である。『海賊共和国』という名がカリブ海の代名詞になるような始末であった。

しかし時代はいつでも動いていく。黒髭だけが時代の流れに無関係でいれるはずもなかった。

元私掠船(英国から認められた元海賊で英国の名のもとスペイン船を略奪する船)の船長がバハマ総督に就任すると、勝手知ったる海賊達を容易に壊滅。黒髭も例外ではなく、バハマ諸島の2つの拠点のうちの1つを失ってしまう。
それでも派手な海賊行為を続ける黒髭についに英国も本気を出し始める。
1718年11月、ノースカロライナのオクラコーク湾に黒髭が停泊して砦を築いているとの情報を受けたイギリス軍艦パール号の船長ロバート・メイナードは襲撃をかけた。黒髭の抵抗は凄まじく、パール号が率いていた軍艦のうちの一つの船長を殺害、ほとんどの乗組員を負傷させるなどこれまでと変わらぬ圧倒的強さを見せつけた。

しかしロバート・メイナードが1枚上手だった。

状況が有利になり、勢いに任せてメイナードの船パール号に乗り込む黒髭に、メイナードが甲板下に潜ませておいた水平達が一気に襲いかかる。待ち伏せの罠にかかった黒髭はそれでも全く怯むことなくその強さで次々水平達を蹴散らしていくが、1つ2つと刀傷は増えていき、黒髭の体力を奪い取る中、メイナードの放った銃弾が胸に命中するも跪くこともなく戦い続けた。
しかしそんな怪物じみた黒髭も集中攻撃を受け続け、ついに力尽きるときが来た。倒れ伏して絶命した黒髭の身体には5発の銃弾を受けた跡、20以上に及ぶ刀傷があったという。

メイナードは黒髭の遺体からその首を切り取り、誇らしげに船首にぶら下げた。胴体は海に投げ捨てたが、首を求めてか生への執着か、船の周りを3周回ってから海の底へ沈んでいったと言われている。
その死に際してもこのような怪談じみた話が語り継がれるほど黒髭という存在は恐ろしく生ける怪物のような海賊であった様子をうかがい知ることができる。

海賊人生に幕を下ろし海底で眠りについた黒髭であったが、伝説はここで終わらなかった。

引き揚げられたアン女王の復讐号

黒髭の旗艦であったアン女王の復讐号であるが、黒髭と最期を同じくしたわけではない。黒髭の最期から遡ること約半年前、現在のビューフォート湾で座礁してしまっていたのである。これは事故とも黒髭が故意に座礁させたとも言われているが真相はどちらかわかっていない。
座礁したアン女王の復讐号をそのまま放置し別の船に乗り換えたが、その際、アン女王の復讐号を救出しようとして結局一緒に座礁してしまった部下の船、アドベンチャー号とアン女王の復讐号から金品を根こそぎかき集めた。この他にもかねてからの略奪品の財宝がかなりの量あったといわれたいるが、黒髭はそれらをすべて秘密の場所に隠したまま死んでしまった。
部下が隠し場所を一度黒髭に尋ねたことがあったそうだが、悪魔と自分以外に知る者はいないと一蹴されたそうだ。

時代は下って1996年、ノースカロライナ州沖でアン女王の復讐号と思われる船が海底で発見された。1997年に本格的な発掘調査が開始、様々なものが引き揚げられた。中でも黒髭が活躍していた18世紀のフランス王家の紋章入りの分銅はこの船がアン女王の復讐号と認定される大きな手がかりになった。アン女王の復讐号は黒髭が手に入れるまでは前述のとおりフランスの奴隷船であり、その奴隷船に乗船していた船医が使用していたものだと思われる。その他にも1705年の年号の刻印の入ったスペイン製ブロンズの鐘、鉛製の散弾、それと共に隠されるようにしてあった金粒、大宴会に使用されたのであろう大皿、イギリス製の銃身。そしてこの船が海賊船であることを証明するかのような数多くの手榴弾や大砲も発見されている。

2011年、当局によってこの沈没船がアン女王の復讐号であると公式認定された。同時期同海域において、船の規模の大きさや、かなりの重装備であることからみてアン女王の復讐号以外には考えられないという。

アン女王の復讐号からは黒髭の財宝は今のところ見つかっていない。やはり黒髭によって何処かに隠されたというのは本当のようだ。
黒髭はもはやいない。財宝の在り処は悪魔のみぞ知るということになってしまった。

今でも何処かで黒髭の財宝は眠り続けている。
財宝の行方と共に黒髭の伝説も語り継がれていくのだろう。

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紫水晶
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