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アンダーカバー( UNDERCOVER )ユースカルチャからパリコレブランドへ昇華した唯一無二の存在感

90年代一大ムーブメントを席巻したストリートスタイルとモードスタイルをコンフージョンさせたスタイルである”裏原スタイル”。裏原スタイルを牽引し、その代表ともいえるブランドがアンダーカバー(UNDERCOVER)でした。”裏原”とは裏原宿の事で、当時、明治通り沿いの裏側に軒を連ねていた、ブランドやショップのウエアを着用するスタイルに事を指します。現在トレンドである、90年代スタイルはこの裏原スタイルをベースとしたストリートリアルクローズを意味します。裏原ブランドの中心であり、90年のユースカルチャーを牽引したアンダーカバー。東京発の元祖ユースカルチャーブランドのアンダーカバーは、今ではパリコレでショーを行う、ランウェイブランドへと昇華しました。熱狂的なファンを世界中に持つ唯一無二の存在感を放つアンダーカバー。多くのブランドの影響を与えた、アンダーカバーとデザイナーの高橋盾に迫ります。

アンダーカバー(UNDERCOVER)経験した事のない新しい服の価値観

ファッションの常識を根底から覆したユースカルチャーブランド

ファッションは”生き物”だとよく言われます。時代の空気を敏感に読み取り、カタチを自在に変えるファッション、そして時代の流れや、経済情勢によってもファッションは激変します。寧ろファッションによって時代が構築されていると言っても過言ではありません。

その理由は時代を回顧するときにファッションが必ず登場するからです。”時代遅れ”と言う言葉もファッションに由来すると語る知識人もいます。

70年代のヒッピースタイルや、80年代のバブル期のスタイル。日本の好景気を反映するように、インポートブランドが飛ぶように売れ、ラグジュアリーブランドの消費大国として、日本は世界一の市場と称されました。

現在でも、ルイヴィトンの売り上げの4割は日本が占めているといわれています。

華やかなバブル景気が崩壊後の90年代は、ストリートスタイルに身を包むハードアメカジブームが到来します。

煌びやかなゴールドジュエリーからハードなシルバーアクセサリーがトレンドとなり、インポートブランドから古着や、ドメスティックブランドへとファッションスタイルが移行する過渡期に産声を上げたブランドがアンダーカバー(UNDERCOVER)です。

月並みな言い方ですが、アンダーカバーの登場は、日本のファッションシーンに大きな影響を与えました。

アンダーカバーのワードローブは今まで、経験したことのないガーメンツであり、何処にも属さない、スタイルはヤングファッショニスタを中心に、大きな衝撃を与え、同時にカルト的なブームメントを巻き起こします。

アンダーカバーを設立し、ブランドを通しファッションの常識を変えた人物がデザイナーである高橋盾です。

現在では日本のファッション界の重鎮であり、インフルエンサーとして世界的な影響力を持つ高橋氏。
”ジョニオ”と呼ばれる高橋氏がアンダーカバーをローンチしたのはまだ学生だった、1990年。バブル崩壊を予期していたかのように、立ち上げたブランドは、ストリート色の強いリアルクローズウエアが中心でした。

バブル期を象徴するようなダブルブレストジャケットや煌びやかなスーツもない、手刷りのTシャツや、ボンテッジパンツと言ったパンキッシュで音楽の香りが漂うガーメンツを次々とリリースします。

ストリートカルチャーに強い影響を受けた若者の作るガーメンツは、フラストレーションを抱えたティーンネイジャーや、ヤングファッショニスタを刺激しました。

ストリートスタイルとモードスタイルをミックスした、今までにないスタンスのブランドであるアンダーカバーに、多くのファッションフリークは夢中になります。

世代によって大きくブランドイメージが異なるアンダーカバー

ランウェイブランドとしてのイメージが確立、海外のファッショニスタやファッションジャーナリストからも絶大な支持を得るアンダーカバーですが、世代によって、かなりイメージが異なるブランドです。

90年代の所謂、裏原カルチャーに触れた世代は、アンダーカバーにソリッドでエッジの効いた、ユースカルチャーのイメージを持っていますが、ヤングファッショニスタには、ランウェイブランドであり、レディースブランドのイメージの方が強いと言います。

勿論どちらのイメージも、正解であり、アンダーカバーが時代によって変化してきた事の証明でもあります。

多くのブランドやデザイナーの影響を与え、90年代ファッションや、裏原カルチャーのパイオニアであり、90年代カルチャーそのものでもある、アンダーカバーに迫ります。

アンダーカバー(UNDERCOVER)とは?

1990年に設立された日本のブランド

アンダーカバー(UNDERCOVER)1990年に設立された日本のブランドです。創立者は現在のアンダーカバーのデザイナーである高橋盾と一之瀬弘法です。

二人は当時文化服装学院の学生でした。つまり学生だった二人がローンチしたブランドがアンダーカバーでした。

当時は手刷りのプリントTシャツをメインとしたブランドでした。高橋氏と一之瀬氏の手掛けるTシャツは、二人の友人の間で話題となり、生産が間に合わなくなるほどの人気を博します。

当時はインターネットやSNSなど皆無の時代です。口コミだけで爆発的な人気を誇ったアンダーカバーは、1991年の二人の卒業を機に本格的に始動します。

アンダーカバーの成功があり、90年代の所謂、裏原ブランドは、Tシャツからスタートする事が常となりました。今では珍しくないTシャツからブランドをスタートさせる手法もアンダーカバーが旗手であると言えます。

トータルブランドを始める為の、資金を集める目的もあり、シーズンに関係なくコストの掛からないTシャツからブランドをスタートさせたと高橋氏は後のインタビューで語っています。

しかしこの発想が既に、斬新であり、アンダーカバーという、新たなブランド形態をスタンスを生むきっかけとなった事は明らかです。

当時Tシャツをオールシーンズ置いてあるショップは少なく、ランウェブランドに関してはTシャツ自体殆ど置いていない状態でした。今ではオールシーズンTシャツを置くブランドも珍しくは在りませんが、これもアンダーカバーが変えたファッションの常識ともいえます。

アンダーカバーが登場する以前は、Tシャツをアイコニックとするブランドは皆無だったと言っても過言ではありません。

少なくとも、ランウェイブランドでTシャツをアイコニックとするブランドはアンダーカバーがパイオニアです。

アンダーカーバーの登場は、日本のブランドの在り方を抜本的に覆し、ストリートブランドとモードブランドの境界線を曖昧にしました。

アンダーカバーは「パーティーに行った帰りにアスファルトに座る事ができる服」

はっきりと区別されていたモードブランドとストリートブランドの境界線をなくし、コンフュージョンした新たなブランドのスタンスがアンダーカバーでした。

ユースカルチャーと音楽をベースとしたアンダーカバーのガーメンツは、”モードとストリートの中間のウエア”と称されました。

高橋盾氏の友人でもあり、古くからアンダーカバーを着用している、ミュージシャンの藤井フミヤ氏は「パーティーに行った帰りにアスファルトに座る事ができる服」とアンダーカバーの事を表現しました。

この言葉は如実であり、的確にアンダーカバーを称した明言だと思います。

当時ファッションアイコンとして絶大な支持を得ていた、藤井氏が着用しているワードローブとして、アンダーカバーは飛躍的に知名度を上げました。90年代藤井氏のツアー衣装の大半もアンダーカバーが占めていました。

藤井フミヤ氏の衣装を手掛けた事もあり、アンダーカバーは常に音楽の漂うブランドとして浸透していきました。

アンダーカバーは、天才である高橋氏のセンスは勿論ですが、恵まれた人脈によって成功したブランドともいえます。

従来、個人主義といわれたデザイナー業でしたが、高橋氏は学生時代に築き上げた、膨大な人脈を生かし、成功したデザイナーです。

高橋氏が最も尊敬するデザイナーとして名前の挙がる、コムデギャルソンの川久保玲女史は殆どメディアに姿を晒さないことでも有名です。その為、コムデギャルソン自体もベールに包まれた神秘的なイメージを纏ったブランドです。

しかし、高橋氏はクラブでDJとして活躍するなど人前に姿を現し、そのスタイルをもファッションやブランドイメージに落とし込んできた人物です。

”スタイリッシュなデザイナーの走りであり、クリエイターと言う言葉がよく似合うデザイナー”と当時のファッションジャーナリストは高橋氏を称しています。

高橋盾氏の登場により、デザイナーのスタンスが変わった事は間違いありません。今では老舗ラグジュアリーブランドのデザイナーですら、ライダースにクラッシュデニムでランウェイに登場します。

バブル崩壊直前のデザイナーでストリートスタイルに身を包んだ人物は、高橋盾氏以外見当たらなかったように感じます。

90年代に彗星の如く現れたアンダーカバーは、90年代前半、最も早くスターダムに、のし上がったブランドです。同時に、高橋盾氏もファッションアイコンとして大きな影響力をファッション界全体に与えました。

ファッション界の寵児であり、異端児であった高橋盾氏は、ブランドを立ち上げて約2年でショップをオープンさせます。

1993年伝説のショップ”NOWHERE"をオープン

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高橋氏は、アンダーカバー設立から3年後の1993年に自身のショップ、”NOWHERE"をオープンさせます。理由は納得する卸先がなかなか見つからなく、それなら自分の店を持てばいいとのアドバイスによりオープンに至ったと言われています。

NOWHEREがオープンする事で、裏原カルチャーが本格的に開始します。高橋氏は、ヒューマンメイドのデザイナーであるNIGO氏と共にNOWHEREを竹下通りを抜けた明治通り沿いの一本裏に出店します。

この場所を選んだ理由は原宿でありながら家賃が安かった事が大きいと言われています。裏原と言う言葉は、NOWHERE以降生まれた言葉で、今では、90年代のカルチャーやファッションを語るには欠かせない言葉となりました。

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NOWHEREにはアンダーカバーとNIGO氏がバイイングしてきたアメリカ古着が並びました。当時NIGO氏はまだ、ファッションライターや、スタイリストとして活動している時期で、ア ベイシング エイプをローンチしていませんでした。

5坪ほどの小さなセレクトショップは、高橋氏とNIGO氏の友人でいつも賑わい、サロンのような役割も果たしていました。

「殆ど休みもなく遊んでるような感覚だった」と当時の事をNIGO氏はインタビューで答えていました。接客も殆どしない異色ともいえるショップのNOWHEREは、その場所に行くことがヤングファッショニスタのステータスとなりました。

”一見さんお断り”のような雰囲気が漂うNOWHEREは、媚びない90年代のファッションやカルチャーを体現したようなショップでした。

居心地がいいとはいえないショップに連日多くのヤングファッショニスタが訪れ、1年足らずで、NOWHEREは原宿で最も忙しいショップとなります。

決してメインではない、裏原をファッションやカルチャーのメインとしたNOWHERE。NOWHERE出店にはある人物のバックアップが大きかった事は間違いありません。

藤原ヒロシのバックアップ

藤原ヒロシ氏のサポートがなければNOWHEREをオープンさせることは困難だと言われています。少なくとも当時の高橋氏とNIGO氏がショップを持つ事は不可能でした。

原宿カルチャーやユースカルチャーの先駆者であり、ファッションとカルチャーを融合させた人物である藤原ヒロシ。

裏原ムーブメントの火付け役であり、90年代のユースカルチャーのベースは藤原氏が構築したものである事は疑う余地もありません。

90年代スタイルは藤原氏が創り上げたスタイルでありカルチャーでした。ロンドンから帰国後、今では当たり間のDJを日本に広めた先駆者であり、ストリーアイテムとラグジュアリーブランドをミックスするスタイルを提案し浸透させた人物でもあります。

今では最も影響力のある世界的インフルエンサーとして、グローバルに活躍しています。藤原ヒロシ氏が主催するイベントの頻繁に訪れていた、高橋氏とNIGO氏は、ブランドローンチ以前から、藤原氏とは面識がありました。

様々なカルチャーやファッションをブレークさせてきた、藤原氏は、若き才能を敏感に察知し、高橋氏に自身の店を持つ事をレコメンドしました。

ビジネスに関しては右も左も分からない、若い二人の全面バックアップをし、NOWHEREをカリスマショップへと昇華させ、自身もアンダーカバーを着用し、全面的にプッシュしました。

原宿のカリスマであり、流行仕掛け人である藤原ヒロシ着用ブランドとして、ヤングセレブレティー以外にも、ファッション関係者の間でも話題となり、アンダーカバーは単なる、一過性の若者ブランドではなく、ユースカルチャーをガーメンツに落とし込んだ、ニューカマーブランドとして認知されました。

そして藤原ヒロシ氏のアイデアにより、雑誌に、高橋氏とNIGO氏が連載を持つ事となり、更にアンダーカバーの人気が過熱します。

デザイナーが紙面に登場する事が少なかった時代に、藤原氏と3人で紙面を飾った、"LASTORGY"呼ばれる連載は、絶大な人気を博しました。

自身のブランドのことよりも、3人が興味のある音楽やカルチャーについて語られる事が多かったLASTORGYは、三人の”お気に入りアイテム”が掲載される事も多く、本人私物やレコメンドアイテムを雑誌のコーナーで掲載するパイオニア的存在でもありました。

デザイナーである高橋氏は当時タレントのような扱いを受け、ヤングファッショニスタのファッションアイコンとして認知されました。

デザイナーが全面的に顔を出すという新しい、スタイルも勿論藤原氏のアイディアです。

こうしてアンダーカバーは、ファッションアイコンが手掛けるブランドとして更にステータス性を高める事に成功します。

1994年に東京コレクション参加

アンダーカバーは1994年に、東京コレクションに参加します。手刷りのTシャツから、東京コレクション参加まで僅か、4年。かなりのスピードで疾走してきたアンダーカバーは、初の東京コレクションで、異質なまでの存在感を放ちます。

ストリートの香りを纏ったモードブランドであるアンダーカバーは、東京コレクションに集まるモードブランドとは明らかに異なるムードを醸し出していました。

危険な香りさえ漂う、拘り抜かれたガーメンツの数々に、ファッションジャーナリストやファッションエディターは夢中になります。

若者の為のブランドだとアンダーカバーを軽視していた、被服評論家もアンダーカバーの独特の威圧感に圧倒されます。

アンダーカバーの東京コレクション以降、ランウェイブランドのスタンスが変わった事は、明らかです。

東京コレクションに参加した同年に、高橋氏は有限会社アンダーカバーを設立します。

1995年に”NOWHERE LTD"を設立

1995年に高橋氏は”NOWHERE LTD"を創立します。NOWHERE LTDはアンダーカバーのオンリーショップであり、この年から本格的にレディースとメンズのコレクションを展開します。

東京コレクションのメインブランドとして、ファッションジャーナリストやファッションエディターから注目を集めたアンダーカバーは、コレクションの場所をパリに移す事を思案します。

更に高いステージを目指すべく、休止していたコレクションを1997年に再開、2001年には株式会社アンダーカバーを設立します。

その間、様々な賞を受賞したアンダーカバーは、2003年についにパリコレクションに参戦します。こうしてアンダーカバーは、世界的なランウェイブランドとして歩き出しました。

2009年にはメンズラインのアンダーカバイズムもパリにてコレクションを発表

2003年のパリコレクションは、メンズブランドではなく、レディースブランドとしての参加でした。その為、アンダーカバーは海外ではレディースのイメージの方が強いブランドだといわれています。

レディースのパリコレ参加から、6年後の2009年にメンズラインである、アンダーカバイズムがパリにて展示会方式でコレクションを発表します。

こうしてアンダーカバーは活動の場所を正規式パリに移す事になります。メンズラインのアンダーカバイズムは、2015年にレディースと同様のアンダーカバーに統一されました。

ジョンアンダーカバー(JohnUNDERCOVER)とは?

アンダーカバーのセカンドライン

ジョンアンダーカバー(JohnUNDERCOVER)とはアンダーカバーのメンズのセカンドラインです。2013年からスタートしたラインで、コレクションで発表されています。

アンダーカバーのとって、セカンドラインの設立は初めての試みで、ヤングファッショニスタを中心に幅広い世代に向けて、価格を抑えたガーメンツを展開しています。

ファーストラインに比べ、かなり手の届き易い価格帯の、ジョンアンダーカバーですが、デザインや作りに於いては一切妥協はありません。

ファーストラインよりもリアルクローズを意識したガーメンツが多く、デイリーユースには最適です。

セカンドラインはレディースもローンチされており、スーアンダーカバー(SueUNDERCOVER)がレディースになります。

スーアンダーカバーもメンズ同様に毎シーズンコレクションにて発表されています。

アンダーカバー(UNDERCOVER)のデザイナー高橋盾とは?

1969年生まれのインフルエンサーでありデザイナー

アンダーカバー(UNDERCOVER)のデザイナーである高橋盾は1969年に群馬県で生まれます。高橋氏は、1989年に、文化服装学院に入学します。

1989年には、入学した一之瀬弘法と出会い、アンダーカバーを設立します。一之瀬氏が着ていたTシャツに興味を持った高橋氏が声をかけた事がきっかけだと言われています。

NIGO氏とも文化服装学院で出会い、親交を深めます。NIGO氏は高橋氏の1歳年下になります。クラブ「ピカソ」にNIGO氏と共に通うようになり、様々な人脈を広げていったと言われています。

クラブや、ショップが、サロンとしての役割を果たしていた、1990年代に、藤原ヒロシと出会います。

出会いはNIGO氏のほうは先だったとも言われています。

パンクやロックに造詣の深かった高橋氏は、後輩に当たる、岩永ヒカル氏とバンドを結成します。”東京セックスピストルズ”というセックスピストルズのコピーバンドのボーカルを務めていた高橋氏は、そのルックスがジョニー・ロットンに似ていた事から”ジョニオ”と呼ばれるようになります。

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MILKの大川ひとみ女史がジョニオの呼び名を定着させたとも言われています。藤原ヒロシが主催するイベントである、”ファミリー”に通うようになり、ファッション関係者や芸能関係者の間で、高橋氏の知名度は上がります。

アンダーカバーをローンチした、1990年には、高橋氏は既に文化服装学院ではかなり著名な存在でした。

学生が手刷りしたTシャツが、驚異的な売り上げを記録した事実を見れば、どれほど高橋氏の知名度が圧倒的だったかは、容易に想像が付きます。

アンダーカバーと並行してA.F.F.A.をローンチ

高橋氏は藤原ヒロシ氏と共に、A.F.F.A.を立ち上げます。アンダーカバーの原点ともいえる手刷りのTシャツをメインとしたブランドで、ヤングファッショニスタを中心に絶大な人気を博しました。手刷りによるTシャツがメインの為、少量生産だった事と、アンダーカバーがカルト的人気を起こっていた事もあり、A.F.F.Aのアイテムはプレミアム価格で取引される事が当たり前となります。

A.F.F.Aは人気絶頂であったにも関わらず、約1年半でブランドを休止します。高橋氏が多忙だった事が大きな理由とされています。1997年に一度再開しましたが、半年で休止、それ以降活動は再開されていません。

しかし、藤原氏との交流は現在も続いており、藤原ヒロシ氏が手掛けていたコンセプトストアであるパーキングギンザから、2016年にオリジナルのグラフィックTシャツやコーチジャケットをリリースしています。

今では閉店してしまった伝説のショップであるパーキングギンザ。常にファッションフリークから注目を集めていたショップでした。

パーキングギンザとのコラボレーションによるオリジナルTシャツやコーチジャケットは瞬時に完売した事は言うまでもありません。

現在もパーキングギンザとのコラボレーションアイテムは高額で取引されています。

コラボレーションのラブコールが鳴り止まないインフルエンサー

国内外様々なブランドからコラボーレーションのラブコールが鳴り止まない高橋氏。ナイキとのコラボレーションによる、ギャクソウは高橋氏自身がランニングを趣味としている事から始まったプロジェクトとも言われています。

そして、話題となった、2012年のユニクロとのコラボレーションは、更にアンダーカバーの名前を浸透させることに成功しました。

ユニクロとのコラボレーションによりアンダーカバーは、日本を代表するブランドとして広く知れ渡ったと言っても過言ではありません。

そしてリーバイスとのコラボレーションも大きな話題を呼びました。リーバイスのトラッカージャケットタイプ3の誕生50周年を記念して行われたコラボレーションは、リーバイスのリジッドデニム地のジャケットに刺繍を施したアイテムをリリース。

リーバイスとアンダーカバーのコラボレーションアイテムは直ぐに完売し、伝説のコラボレーションと呼ばれました。

ファンからの熱いラブコールにより、コラボレーション第2弾を発表。デニムジャケットオンリーだったファーストコレクションに、デニムパンツをプラス。

ファーストコラボレーション以上に白熱した争奪選が繰り広げられました。

アンダーカバー(UNDERCOVER)アヴァンギャルドとラグジュアリーのバランス

ファッション界に於いての奇跡

20代前半の若者が手刷りのTシャツを販売した事から始まったアンダーカバーの歴史。手刷りのTシャツブランドが今ではパリコレの常連として、世界中のファッションセレブや、ファッションジャーナリストから注目を集めています。

アンダーカバーの誕生は日本におけるファッション界の奇跡でもあります。アンダーカバーが設立される、1990年以前に、手刷りのTシャツブランドが、パリコレのランウェイブランドへと駆け上がったサクセスストーリーなど聞いた事がありません。

つまりアンダーカバーがブランドの在り方を覆し、ファッションのスタンスを大きく変えたと言っても過言ではありません。

20年以上インフルエンサーとしてファッション界のトップに君臨する高橋盾。ファッション界の重鎮となった高橋氏は今では、多くのデザイナーが目標とする存在となっています。

アンダーカバーの魅力はアヴァンギャルドとラグジュアリーの絶妙なバランス感覚にあるように感じます。このバランス感覚こそがアンダーカバーの中毒的ともいえる魅力を醸し出している要因だといえます。

90年代、アンダーカバーという新たなジャンルをファッション界に創り上げた高橋盾は、これからも、想像もできないようなギミックで、ファッション界に衝撃を与える事は明らかです。

INTRODUCTION of THE WRITER

hansu719
name. hansu719
ショップバイヤー、スタイリストを経てフリーライター兼シンガーソングライターが生業です。ハイブランドからストリートstyleまでラグジュアリーな香りのするstyleが好みです。

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