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坂本龍馬:剣豪の証明

 日本人なら誰もがあこがれるスーパーヒーロー坂本龍馬。北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の達人としても有名だが、実は達人ではなかった、という説もある。実際のところはどうなのか。単純な勝敗や技術を越えた“境地”という視点を持つことで、彼の実相が見えてくる。

龍馬:ザ・スーパースター

 数年前の大河ドラマ「龍馬伝」での、福山雅治さん演ずる坂本龍馬にシビれた方は多いだろう。龍馬といえば、何しろ司馬遼太郎が「世界に誇り得る青春を生きた日本人」と呼んだ日本史上のスーパーヒーロー。それを、現代日本屈指のイケメンである福山さんが演じたのだからたまらない。福山ファンの女性ならずとも、多くの日本人が喝采を惜しまなかったのは無理もない。

龍馬非剣豪説

 さて、龍馬といえば、伝記や小説での描写で“北辰一刀流の達人”という位置づけは外せない。が、龍馬の剣の実力を疑問視する声も少なからずある。それは龍馬の北辰一刀流の免状として残っているのが中目録であり、しかも刀でなく長刀(なぎなた)の免状である点や、またある道場で年端も行かない少年にあっさり負けた記録が残っている点などからの見方であろう。京の近江屋で暗殺されるに及んで、刀を抜くことすら出来ずに一方的に斬られている事も、“龍馬非剣豪説”の裏付けとなっているようだ。
 龍馬ファンは、しばしばこうした声を意図的に無視したり、敢えて反論したり、という苦しい戦いを強いられてきたようだ。が、2015年になって風向きが変わる。北海道の坂本家から、北辰一刀流の皆伝(かいでん)免状の存在を示す文書が発見されたからだ。文書によれば、免状そのものは火災で焼失しているが、龍馬が千葉道場で授けられた皆伝免状が、確かに同家に伝わっていたという。龍馬ファンは、さぞ溜飲の下がる思いだったろう。
 しかし、僕自身は熱狂的なファンではないが、2015年以前にも、龍馬が剣の達人だったことを疑った事はない。免許皆伝も、免状そのものは残っていないとしても、受けていなかったはずはないと考えていた。
 こう言うと、なにやら後出しジャンケンをしているように受け取られるかもしれないが、状況を考えればそれが当然だからだ。

免状なんて要らんぜよ!

 例えば、我が信州上田が生んだ英雄:真田幸村(信繁)公が槍の達人だったと証明するのは、実際にそうだったとしてもかなりの無理がある。しかし、龍馬は没後150年程しかたっておらず、しかも当時から相当の有名人だったのであり、交流のあった多くの人々による証言が相当数残っている。免状、という決定的な証拠などなくとも、その他の証言を統合して導き出す龍馬の人物像から“剣の達人”という一項を除いてしまえば、証言の一貫性は即座に崩れてしまうのだ。直接剣の腕前につながる証言や資料でなくとも、その前提に“剣の達人”という位置づけが無ければ、資料や証言相互の整合性が取れない。ましてや、明治・大正期には龍馬と実際に交流した人々が存命していたのだ。そうした人々が口を揃えて証言していたことを、たかだか100年の時間で覆せるわけがない。
 そもそも彼が活躍した幕末期は、実践的な剣術の腕前が、日本史上最も厳しく判定された時代なのだ。その時代に、たかが長刀の目録を得ただけの男が“達人”と称されたはずがないし、天下の千葉道場が塾頭に据えるはずがない。また、明治・大正期の証言者をごまかす形で、塾頭だったという“嘘”を捏造(ねつぞう)出来るわけがないのだ。
 さらに言うなら、幕末のヒーローとして龍馬と双璧を成す高杉晋作は、柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)という大流で免許皆伝を授けられているが、“剣の達人”という位置づけは極めて薄い。高杉は実際に人を斬った確かな記録があるし、高杉ファンがその気になれば、ほんの少し情報の濃度を操作するだけで、嘘などつかずとも崇拝対象を“名のある達人”に仕立て上げる事は容易だろう。それに対して、龍馬が剣で人を斬った記録は残っていない。後の妻“お龍(りょう)”や長州藩士:三吉慎蔵(みよししんぞう)とともに伏見寺田屋で幕吏に襲撃された際、懐中のピストルで幕吏の一人を斃(たお)した事が、彼自身の手紙から推測されるだけだ。高杉を差し置いて龍馬が“剣の達人”の称号を得るなら、よほど確かな根拠が要求されるはずである。
 ダメ押し。龍馬が通った桶町(おけまち)千葉道場の娘:千葉さな子が、生涯龍馬を思慕しつづけたことはよく知られている。無論、さな子が愛したのは、龍馬のトータルな人物像やそれが醸し出すオーラ、または存在感だったに違いない。しかし、天下に名の響いた剣術道場の娘で、自身も免許皆伝の腕前をもつ女性が、“剣の腕”というポイントを押さえていない異性に対して、恋心という契機を持つだろうか。
 いくら龍馬に人間的な魅力があったとしても、彼女の生育環境を考えれば、“剣の腕”は最重要の判断基準であったに違いない。もし龍馬の剣術が並の域を出るものでなかったなら、さな子が思慕したというのはどう考えても無理がある。

龍馬meets海舟

 龍馬が剣豪だったことは端(はな)から疑いようがないのだ。それも、この国の剣の歴史上屈指の一人。僕はそう断言する。しかし、ここで言う“剣豪”とは、通常の文脈で使われるそれではない。
 龍馬と勝海舟(かつかいしゅう)との出会いは、龍馬に関する小説やドラマには必ず登場する非常に有名なエピソードだが、このシーンにこそ龍馬の剣豪としての面目が炸裂している。
 当時まだ単純な攘夷(じょうい)主義者の域を出ていなかったとされる龍馬は、師匠筋の千葉重太郎(さな子の兄で、桶町千葉道場の跡取り)に開国主義者、即ち奸賊(かんぞく)である勝海舟の“天誅(てんちゅう)”を持ちかけられ、二人で勝の屋敷を訪ねることになる。ただの暗殺では北辰一刀流の剣が泣くというわけで、一応は弁明させた上で斬ろうじゃないか、という運びとなったらしい。
 “一応は弁明させた上で”と言えばいかにも殊勝に聞こえるが、殺人の大義名分を求めたというに過ぎないだろう。要するに、己の思想や行動を正義めかしくするエクスキューズ以上の意味はなかったということだ。龍馬も重太郎も血気盛んな年頃だったのだから、勝の弁明をその思想として聞くというよりは、斬るためのきっかけを得るために、つまりは斬るに値するキーワードを引き出す、言い方を変えれば“揚げ足を取る”ためにしゃべらせる、という趣旨だったと考える方が自然だ。
 が、龍馬がまさに龍馬だったのは、こうした沸騰しかけた空気の中で、殺すべき相手の考えをきちんと理解してしまったという点である。
 勝海舟も若くして直心影流(じきしんかげりゅう)の免許皆伝を受けた剣の達人であったし、そうした情報は当然龍馬も知っていたに違いない。事によると、この時点では刺客の龍馬と、凶刃に斃れるべき勝の剣名が同等だった可能性もある。とすれば、この会合は少なくとも龍馬の側からすれば文字通り“殺(や)るか殺(や)られるか”という性質のものだったに違いない。まさに“一触即発”。しかし、そうした血飛沫(ちしぶき)の一歩手前で、龍馬は勝の思想を自分の頭で理解し、それに共鳴してしまったのである。勝の話術や肚(はら)の太さも相当なものだが、僕が龍馬の立場なら、この命の瀬戸際に相手の言葉を冷静に噛みしめるなどはどう考えても無理だ。事実、剣の達人として既に龍馬以上に名の通っていた重太郎は勝の開国論のさなかに剣を抜こうとした。
 この一事を考えるだけでも、龍馬が単なる技術を超えた部分ですでに達人の境地に達していたことが窺えよう。

ライフセーバー龍馬

 結局この場面の結末は、重太郎が剣を抜こうとした刹那に龍馬が勝に平伏し、「うらを弟子にしとうせ」と言ってしまったがために重太郎も勝を斬る弾みを失って何事もなく帰る、というところに落ち着くのだが、僕はこの龍馬の“平伏”は、文字通りのものではないだろうと考えている。
 恐らく龍馬は重太郎の殺気を察し、勝を斬らせないために場の文脈を一瞬で変えてしまったのである(この考えは僕のオリジナルではない。この解釈を支持する人は少なくない)。同時に、重太郎の立場も救ったのだろう。
 武士ともあろう者が敵の言葉に変節させられてその弟子になるなど、当時の武士道の常識からすればあり得べからざる事態であり、もしそうした事をすればどのような嘲笑を浴びせられても文句は言えない。立場と状況によっては、切腹云々という事態に発展してしまう可能性すら否定できない。重太郎は桶町千葉道場の跡取りという立場上、敵の屋敷に乗り込んで何もせずに帰ってくるなどということは、法的な位置づけがどうこうと言う前に、当時の武士と呼ばれた人々の感覚や常識が許さなかっただろう。もし何もせずに帰るのなら、そうなるに足る充分な理由が必要だったはずで、でなくては天下の千葉道場の面目が保てない。龍馬とすれば自分が突然平伏してしまうことで、勝を救うと同時に重太郎が手ぶらで帰る事への充分なエクスキューズを与えたのである。
 ただし、いくら龍馬と言えどもこうしたことを考えて実行するような余裕はなかったはずだ。恐らくはとっさの間に、勝手に体が動いたに違いない。そして、反射的にやってのけたというところに龍馬の剣豪としての面目がある。

真髄「夢想剣」

 剣の用語に「無想剣」というものがある。作為や意図を超えた無意識の状態で最も的確な技を出す、というもので、およそ剣における最上の境地である。
 剣道を長年修行している人にとって「考える前に剣や体が動く」というのは、さほど縁の遠い話ではない。一定以上に修行の深まっている剣士であれば、日常的に経験するところのものだろう。剣ではないが、高校生時代にやっていたボクシングでは、僕も普通に経験していた。
 現在の僕が修行している夢想神伝流居合(むそうしんでんりゅういあい)も、基本的なコンセプトは“後の先(ごのせん)”、つまりカウンターである。居合は真剣を用いるので、実際に斬りかかってこられたところに抜き合わせる、ということは出来ず(本当にやったら少なくとも一方は致命傷を負う)、したがって「勝手に体が動く」という感覚を持つのはやや難しい。しかし本来の在り方は、突然斬りかかってきた敵を制するという技術群なので、頭で考える前に体が動く、という事は必然的に要求されるし、というより、そうでなければ確実に死ぬ。
 「無想剣」は、そのさらに奥の境地だ。反射的に攻撃、あるいは防禦をする、という技術(アート)ではなく、そもそも攻撃の意志や戦意の無い状態で、自然に相手を制している、という体(てい)のもの。語弊を恐れずにいうなら、“悟り”に極めて近い、哲学的な姿(スタイル)だ。
 勝に対する龍馬の平伏は、僕にとって考えれば考えるほどこの無想剣としか思えない。龍馬はそのスタイルで己のプライドを顧みず、というより、結果的に面目を放擲(ほうてき)する形で二人の人間を救っている。勝の思想を聞き、これに共鳴した時点で、龍馬に相手の命を奪う意図は消えていただろう。相手の勝が突然剣を抜いたところに、無意識に応じてこれを斃す、ということなら、龍馬も重太郎も出来たはずだ。しかし、すでに攻撃の意志を止めた状況で、自分以外の二人の人間の命や面目を、攻撃によって奪うのではなく、救うための行動を無意識に取る、ということは、重太郎では絶対に出来なかったに違いない。剣聖:上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)ならあるいは、と思えるが、宮本武蔵でもこれが出来るかは相当に疑問が残る。
 母親が我が子を危険から守るために、しばしば瞬発的な行動を取ることは確かにある。それはあらゆる宗教で言及される、偉大にして深遠な行為には違いないが、多分に本能に基づくものだ。龍馬の平伏はそれとは違う。無意識的な動作であった事は確かだろうが、少なくとも本能に基づくものではない。“理性”か、それに近い何ものかが根拠であったはずだ。であれば、それはどのような意味でも“技術”ではない。“境地”“姿”にその属性を帰するべきものだろう。

細(こま)いぜよ!

 もしかしたら龍馬は、通常の剣技では、さほどでもない剣士に後れを取ることもあったのかも知れない。しかし、無想剣をもって誰一人害することなく二人の人間を同時に救ってしまった人間は、僕は龍馬以外には知らない。そしてこういう事をやってのけた剣士を「剣豪」という言葉以外で形容する術(すべ)は、少なくとも僕には思いつかない。すでに近代黎明期のエピソードであれば、多分に伝説の香気を伴う“剣聖”という称号を贈るのは無理があるとしても。
 冒頭でも述べたが、熱烈な龍馬ファンは、とかく“龍馬非剣豪説”を裏付けるエピソードを意識的に無視したり、過剰に反応したりしているように見受けられる。その気持ちはまあ分からないでもないが、ことさら気に掛ける必要などそもそも無いのだ。
 龍馬の剣は、区々たる技術的勝敗如何で云々するような小さなものではない。皆伝免状が残っていなくとも、少年にうっかり一本取られてしまっても、さらには死に臨んで一刀を抜けなかったとしても、そうしたことの全てを「細(こま)いぜよ!」の一言で笑い飛ばせる境地で、あの男は確かに天下無双の剣豪だったのだ。

INTRODUCTION of THE WRITER

山家衛艮
name. 山家衛艮
長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、国語科予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段(夢想神伝流)。これまで小説・エッセイ等で16のコンテストで受賞経験あり。2016年、信州真田郷:「延喜式内 山家神社」の衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「夢を叶える145」にも記事を掲載中。右利き。

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